◆ことばの話580「素っ裸と真っ裸」

以前、誰かに聞かれた気がします。



「素っ裸と真っ裸は、どう違うのか?」



後輩のSアナウンサーに「どう違うと思う?」と聞くと、ひとこと、



「一緒でしょ。」



と言われてしまいました。そうなんだけど、それじゃ、話が進まない。夕食を摂りながら考えました。



まず「素」のつく言葉を幾つか思い浮かべました。



素顔、素通り、素の自分、素直素っ頓狂



次に「真」のつく言葉を思い浮かべました。



真顔、真ん中、まっさら、真っ赤、真っ青、真冬、真夏



これだけ見ても、それぞれ「素」の代わりに「真」を入れることはできませんから、「素」と「真」は違うはずです。例えば、



「真ん中」を「素中」、「真っ青」「真っ赤」を「素青」「素赤」



とは言えませんし、逆に



「素通り」を「真通り」、「素直」「素っ頓狂」を「真直」「真っ頓狂」



とも言えません。



日本国語大辞典を引いてみました。



「すっぱだか」(素裸)



【1】 衣服を何も身につけていないまったくの裸。すはだか。まっぱだか。まるはだか。



【2】 財産など、身の回りのものがなくなって体一つになること。裸一貫。



【3】 いろいろな装飾をとり去ったありのままの事実。事実のとおりであること。



「まっぱだか」(真裸)



身に衣服を何もつけないこと。また、そのさま。全くのはだか。まるはだか。まはだか。すっぱだか。



「すっぱだか」のほうが意味がたくさん載っていました。ほとんど意味は同じですが、微妙に違うようにも思います。



思うに「まっぱだか」の「まっ(真)」は、「裸」を強調する言葉です。それに対して、「すっぱだか」の「すっ(素)」は、「裸という状態」を示しているだけです。「素の裸」。



それは、「ふんどし一丁」「パンツ一丁」「上半身裸」「下半身裸」ではなく、



「全身裸」=「素っ裸」



という気がしますが、いかがでしょうか?



ちなみに、英語で「素っ裸」は「フル・モンティ」。そんな映画もありました。英語で「素っ裸」と「真っ裸」の違いはあるのかな?



2002/2/20


◆ことばの話579「金熊賞」

「千と千尋の神隠し」が、ベルリン映画祭のグランプリにあたる「金熊(きんくま)賞」を受賞しました!去年7月に公開されてから、いまも上映中、観客動員数は2260万人を超えています。
日本人の6人に1人は見ていると。私は残りの5人のほうですが。
宮崎駿監督にとっては、もう賞はいっぱいもらったのでいまさら・・・という感じかもしれませんが、ベルリン映画祭は、カンヌ、ベネチアと並ぶ「世界三大映画祭」と言われているくらい権威のあるものなんだそうで、アニメ作品で受賞したのは初めてだそうです。
で、以前から気になっていたのは、
「なぜ"金熊賞"と言って、"ゴールデン・ベアー賞"と言わないのか?」
ということです。「きんくま」なんて、ヘンでしょう?「シロクマ」ならともかく。
同じ疑問を、アナウンス部のM先輩と、後輩のN君も口にしていました。
その疑問を声に出した途端、私の頭の中で、ナゾは氷解しました。
「ゴールデン・ベアー」は英語、この映画祭は「ドイツ(ベルリン)」で行われているから、「賞の名前もきっとドイツ語なのだ」と。その「ドイツ語で言うところの"金の熊"を、日本語ならともかく英語にする必要性はないから」なんでしょう。
ドイツ語では「金の熊」は、なんて言うんでしょうね。大学で第二外国語でドイツ語を取っていたのにわかりません。さぞやギュンター・ツォーベル先生もお嘆きのことでしょう。
あ、ツォーベル先生は大学1年の時のドイツ語の先生です。ドイツ語は忘れましたけど、先生の名前だけは覚えています。
ドイツ語の辞書(和独辞典)を引いて見ましょう。と、思ったけど、ドイツ特派員経験が豊富なH報道部長に聞いてみました。するとH部長は、「どうだっけなあ。」と言いながら、独和辞典を引いてくれました。しめしめ。その結果、「金」と「熊」、そのまま並べると、
Gold Bar
aにはウムラートがついて、発音は「ゴルト」「ベール」。「熊」の複数形はBaren
(aはウムラートつきます。)発音は「ベーレン」。この賞の場合は、単数形・複数形、どちらでしょうかね?現地ではどう言ってるのでしょうか?そのあたり、H部長がメールで、ベルリン支局に問い合わせてくれました。その結果、現地では、
Goldener Baer
発音は「ゴルデナー・ベール」だそうです。ちなみに「ae」というスペルは「aウムラート」がタイピングできない時のものだということで、本当は「aウムラート」。水島ベルリン支局長が「ベルリン
モルゲンポスト」という新聞のコピーまでFAXで送って下さいました。ありがとうございました。
なぜ「熊」なのか?というと、ベルリン市のマークが「熊」なんだそうです。なるほど。
それにしても、この間「なぜメキシコシティーと表記せずにメキシコ市とするか?」というのと同じパターンですね。メキシコの場合はスペイン語なので、英語の「メキシコシティー」とはしない、ということでしたが。
でも日本語にするにしても「金熊賞」というよりは、「の」を入れて「金の熊賞」にして欲しかったなあ。
さて。後輩のN君に事の顛末を紹介したところ、彼はこう言いました。
「でもそのドイツ語のゴルデナー・ベールを日本語に訳す必要があるんですか?ゴルデナー・ベール賞でいいんじゃないですか?固有名詞でしょ。たとえば"カーペンターズ"を"大工兄弟"と訳したり、人の名前の"ミラー"さんを"粉屋さん"とは訳さないでしょ?"アカデミー賞"も"学院賞"とは言わないでしょ。」
そ、そのとおりですね。「ブッシュ大統領」を訳して「藪大統領」とは絶対言いません。さらに彼は、
「マスコミもなぜ何の疑問も持たずに"金熊賞"なんて言ってるんでしょうねえ。」
また、先輩のMさんは、
「"きんくま"って、つい"く"の代わりに"た"と言い間違えそうなんだよなあ。」
と言ってました。 "たま"に間違うかもしれません。

2002/2/18

(追記)

田中克彦『名前と人間』(岩波新書)を読んでいたら、113ページにこんな記述がありました。
「たとえば、ベルリンやベルンは、そこに含まれているベル(Ber-)が、クマ(ベーア BA[ウムラート]R−英語のbear)の古形にさかのぼるというような説明は、もうかなり専門的な語源解釈だ。この解釈を支持するものだとして、町の紋章(ワッペン)にクマが用いられていることが引き合いに出されているし、スイスのベルン市ではクマが飼われている。」
ベルリンとクマのつながりは、「ベルリン」という町の名前にあったようです。

2006/5/8
(追記2)

テレビを見ていたら、サントリーの「ビール味の新製品」のコマーシャルをしていました。見た目はビールですが、最近は第3のビールやら第4のビールやら、発泡酒やらいろいろあって、なにがなにやらよくわかりません。とにかくその商品の名前は、
「金麦」
でした。そうです、「金熊」と書いて「きんくま」と読むのと同じように、これは、「金麦」と書いて、
「きんむぎ」
と読むそうです。そのままやなあ。「の」は入れないのか。
いずれにせよ、一度飲んでみようと思いました。
2007/6/17
(追記3)

6月18日の『ズームイン!!SUPER』で、NEWSの手越君と増田君が、台湾のグラミー賞ともレコード大賞とも言われる式にゲストとして出席したということを伝えていました。その賞の名前が、
「金曲賞」
というものだったそうです。
西尾アナウンサーは、
「きんぎょくしょう」
と濁っていましたが、それでいいのかな?英語では、
「ゴールデン・メロディ・アワード」
だそうです。なお日本語のページでのGoogle検索(6月18日)では、
「金曲賞」=906件
でした。
2007/6/18
(追記4)

スイスの「ロカルノ映画祭」で、小林政広監督の『愛の予感』という映画が、グランプリにあたる、
「金の豹賞」
を受賞したというニュースを、2007年8月12日にやっていました。へえ、そんな映画祭とそんな名前のグランプリがあるんですね。「金豹(きんひょう)賞」ではなく、ちゃんと間に「の」が入って「金の豹賞」です。

2007/8/12
(追記5)

えええ!そんなあ・・・新聞(朝刊)休刊日の8月13日の夕刊を見たら、読売新聞と日経新聞が、ロカルノ映画祭での小林監督の快挙を伝えていましたが、ともにそのグランプリの名前は、
「金豹賞」
で、「の」は入っていませんでした。読売にいたっては「きんひょう」とルビまで振ってありました。どないなってんのやろ?
Google検索(8月13日)では、
「金の豹賞」=59件
「金豹賞」=2万0100件
でした。サイトで見ると、
「金の豹賞」=NHK
「金豹賞」=サンスポ、時事通信、日本テレビ(『ズームイン!!SUPER』)
読売新聞
といったところでした。
2007/8/13

◆ことばの話578「産経新聞の終戦記念日の写真」

平成ことば事情406「"に"と"を"」(読売新聞)、523「毎日新聞」、531「朝日新聞」に続いて、お待たせしました。産経新聞の終戦記念日の戦没者追悼式の写真に、日の丸が写っているかどうか、について、ようやく時間ができて調べることができました。



産経新聞は縮刷版を出していないということで、大阪・西長堀にある大阪市立中央図書館に出向いて、3時間かけて約40年分のマクロフイルムをコピーさせてもらいました。



(1枚70円でした。)キレイな大きな図書館で、ずいぶん利用者もいましたよ。結果は以下の通り。(○は、日の丸が写真に写っていた年)



昭和38年(1963)○



39年(1964)○



40年(1965)○



41年(1966)×



42年(1967)○



43年(1968)○



44年(1969)×(写真なし)



45年(1970)○



46年(1971)○



47年(1972)○



48年(1973)○



49年(1974)○(但し2面)



50年(1975)×



51年(1976)○



52年(1977)○



53年(1978)○



54年(1979)○



55年(1980)×(写真なし)



56年(1981)○



57年(1982)○



58年(1983)×(写真なし)



59年(1984)×



60年(1985)×



61年(1986)○



62年(1987)×



63年(1988)×



平成 元年(1989)×(写真なし)



2年(1990)×



3年(1991)×



4年(1992)×



5年(1993)×(写真なし)



6年(1994)×



7年(1995)○



8年(1996)×



9年(1997)○



10年(1998)×



11年(1999)×(写真なし)



12年(2000)×



13年(2001)×



という結果でした。



まとめると、昭和38年から63年までの昭和の時期に日の丸の写真が載らなかったのは、26回中9回(載ったのは17回)、平成になってからの13年で日の丸が載らなかったのは、11回(載ったのはたった2回)ということです。



特徴としては、



【1】平成になってからはほとんど日の丸を載せていない。→これは意外でした。産経新聞なのに。産経新聞の用語委員のSさんにも伝えたのですが、やはり「意外だ」ということでした。



【2】昭和の時代も、必ず日の丸を載せるというわけでもなかった。26回中9回、日の丸がない時があったというのも意外です。



それほど、「戦没者追悼式」と「日の丸」を結び付けることは必要ではなかったのでしょうか。きまぐれなのかどうか。もちろん、その26年間デスクが同じということは考えられませんから、年によって方針が変わったりもしたのでしょう。それに比べると、平成になってからは、「日の丸を載せないのが原則」のようになっているのは、一貫しているように思えます。昭和の時代も後半(昭和58年=1983年頃から)は日の丸が写っていません。それまでは漫然と「絵になる日の丸」を入れ込んで撮っていたものを、「意図のあるものとして、写し込まない」ようにしてきたのではないのか?とも思えます。



あと、1963年(昭和38年)から1979年(昭和54年)までの毎日新聞の記事を調べ終わったら、4紙まとめて一覧表を作ってみようと思います。

2002/2/28



◆ことばの話577「田中前外相」

田中真紀子さんが外務大臣をやめさせられてから、もう2週間以上(これを書いた時点=2月16日で。それからさらに2週間近く経ってしまいました。本当に2月は"逃げる")経つでしょうか。



新しい外務大臣の川口順子さんとのあいだで引継ぎがまだゴタゴタしているかと思ったら、今度は鈴木宗男氏とまたゴタゴタでもう大変です。



その中で「引き継ぎ」に関して、川口さんは「私の前任者は、小泉総理です」と言ったと新聞で報じられました。確かに、田中外相を"解任"した後、次の外務大臣が決まるまでの間、というか緒方貞子さんに断られるまでは、小泉総理が外相を兼務しました。



そうすると、田中外務大臣は「前外相」ではなく「前前外相」=「元外相」ではないのでしょうか?しかし新聞も週刊誌もテレビもみんな



「田中前外相」



というような表記をしています。とすると、小泉総理が兼任していた「外相」は「本当の外相ではなかった」ということでしょうか?そういえば「外相空白」の時に来日した外国の外相との会談は、たしか外務政務次官(今は副大臣でしたっけ?)が対応していたようです。



そうすると今度は、川口現外相の「私の前任者は小泉総理」という発言も、ウソっぽく聞こえてきます。



政治家の言葉は、鈴木宗男さんや田中真紀子さんの、小泉純一郎の言葉を聞くまでもなく、官僚出身で、辻元清美議員をして「官僚的」と言わしめた川口順子外相も、やはりまぎれもなく「政治家」ということなのでしょう。



ことほど左様に、政治の場は一義的な言葉を必要とせず、二面も三面もある何とでも解釈のできる玉虫色の言葉を好み、それはすなわち、言葉尻を捉えられて「言質」を取られたくはない、責任は取れない取りたくないということのあらわれではないか?とも思うのです。



そんな中において「コイズミ語」は、「わかりやすい」=一義的です。でもあとで「そういう意味じゃない」とか「例外はある」「まだ途中だ、結果を問うには早い」というふうに平然と逃げていていては、「まだ玉虫色の方がマシ」という声を出るかも知れません。

2002/2/16


(追記)

今朝の読売新聞(5面)を見ると、読売は「元外相」という表現を使っています。読売新聞は「川口大臣派」なんでしょうかね?



2002/2/28


◆ことばの話576「漁期」

さんまが、おかしいそうです。・・・あ、明石家ではなく、サンマ。魚です。



南紀・熊野灘では、例年、北海道から南下してくるサンマの漁のピークは12月ぐらいなのですが、今年はどうも黒潮の水温が例年より1,2度高く、そのため、高い水温を嫌うサンマの南下が遅れて、今がちょうどサンマ漁の最盛期になっているとのこと。



2月15日のお昼のニュースで、そんな原稿を読みました。



その原稿の中で、



「漁期」



という言葉が出てきました。確かこれまでは何の疑いもなく



「リョーキ」



と読んでいたと思うのですが、なぜか「待てよ?」と思って、デスクにあった辞書(広辞苑)で「りょうき」を引いてみました。すると「"ぎょき"を見よ」となっているではないですか。いわゆる「空(カラ)見出し」というものですね。「ぎょき」をひくと、「"りょうき"とも」とあったことはあったのですが。あらら。



NHKアクセント辞典をひくと、なんと「りょうき」は載っていませんでした。「ぎょき」しかありませんでした。



ニューススクランブルの坂キャスターに、



「漁師の"漁"に期間の"期"と書いて、なんと読む?」



と聞いたら、すぐに



「"リョーキ"でしょ。」



という答えが返ってきました。



「アクセント辞典には"ぎょき"しか載っていないんだけど・・・。」



と言うと、 「え!!」



と驚いていました。まあ、どちらも国語辞典には載っているのでどちらでも良いのですが、「ギョキ」と読むと、何か間違ったように感じてしまいます。でも、ニュース本番は、



「"ギョキ"と読んで、果たして苦情が来るか、試してみよう」



と思い、あえて



「ギョキ」



で読みました。が、なんの反応もありませんでした。ホッ。



そしてニュース本番後、原稿を送ってきた南紀駐在のカメラマンに電話をしました。



「地元の漁師さんは"漁期"のことを、なんて言ってるんですかね。」



「うーん、あんまりその言葉は使わんね。大体、"今とれるやろ""ようとれる時や"とか、そんな感じやね。」



という答え。



「じゃあ、"漁期"という言葉は使わん訳ですか。」



「漁師さんは使わんね。水産試験所なんかの、漁師ではない漁業関係者は使うけど。」



「その人達は、なんて言ってますか?」



「"リョーキ"と言ってるね。"ギョキ"というのは聞いたことないな。」



ということでした。



そういえば、もともと「漁」という字は「ギョ」という読みしかなかったのに、山でケモノを獲る職業の人を「猟師(リョーシ)」と言うのに合わせて、海でサカナを獲る職業の人の呼び名である「漁師」も「ギョシ」→「リョーシ」と呼ぶようになった、と、どこかの本で読んだことがあるような気がします。(?)



漢和辞典を引いてみましょう。手元にあるのは角川の「新字源」。606ページに「漁」が載っていました。読みは「ギョ」(漢音)で「リョウ(レフ)」は慣用、とあります。さらに(参考)として「"リョウ"は、猟との混同による日本の音」と、ちゃあんと書いてありました。



しかし「漁」を「リョウ」と読むのは慣用としてかなり定着しているとみて良いでしょう。今後、私はまた「漁期」を「リョーキ」と読むことにします。それとも



「魚がいっぱい取れる時期」



と、噛み砕いて読むかな。

2002/2/16

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