◆ことばの話565「らしいプレー」

最近スポーツ中継などでよく耳にする表現に、



「"らしいプレー"が見られました。」



「今日は"らしさ"が見られませんね。」



といった表現があります。



当然、「らしいプレー」「らしさ」のには、当の選手の名前が入るべきところなのですが、あえてそれを省略したところに、その競技に通じているという"(プロ)らしさ"を演出しようとしているようなのです。しかし、あまり何回も出てくると気になります。



たとえばスキー・ジャンプの原田選手の場合、スキーに詳しくない私でも、あの明るさ、北海道弁丸出しの純朴な感じ、それでいて決してすぐにはめげない根性・粘り強さ、といったことが、特長としてすぐにあげられます。リレハンメル五輪では金メダルを目前にして失敗ジャンプ、しかし長野五輪では見事のその雪辱を果たした、といったようなことも、ほとんどの日本国民は知っているでしょう。



その原田選手が、今回のソルトレーク五輪では20位。あの大ジャンプは"不発"でした。



それを指して「らしさが見られませんでした。」というのであれば、上に挙げたような「原田選手らしさ」は十分に周知されているでしょうから、OKでしょう。しかし、あまり知られていない競技の知られていない選手について「今日はらしさが見られません」と言われても、「ハア、そうですか」としか言えないですねえ。アナウンサーの"独りよがり"の印象があります。



そして、「らしいプレー」という言葉についてですが、「○○選手らしいプレー」という使い方のほかに、「それを盗んだのは、どうも○○らしい」というような「推測・推定」にも使われるので、何か違和感を私は覚えるのです。



しかし、新明解国語辞典で「らしい」を引いてみると、なんと、こんな例文が!



「らしい女優」(=いかにも女優らしい女優)



「"ぶる"な、"らしく"せよ!」



「らしからぬ喫茶店」



このほか、会話の中で、「上野さん来ないの?」「らしいね」という形も。



うーむ、「○○選手らしい」というふうな「〜らしい」ではなく、いきなり「らしい」「らしさ」が出てくる「らしいプレー」「らしさが見られない」という形も、既に辞書も認めた形なのですね。まあ、あえて言うならば、この「らしいプレー」「らしさが見られない」は、いかにも俗語っぽいのです。そこに、すこーし違和感を覚えるのかもしれません。



皆さんはどうでしょうか?もう、慣れた?

2002/2/16


※2002と打つのに、ようやくこの頃慣れました。これまではよく2001と打ってしまっていました。





◆ことばの話564「断乳」

新聞を読んでいると、時々意味はわかるが、見たことがない言葉にあたります。それは新語だったり、専門用語だったりするわけです。先週(2月8日)、朝日新聞の家庭欄を見ていると、「断乳」という言葉にぶち当たりました。大きな見出しには



「乳離れの時期は自然に」



とありました。「乳」を「断つ」のですから、意味は「乳離れ」と同じでしょう。「ちばなれ」と読むか「ちちばなれ」と読むかは別にして。まあ、あえて言えば、「乳離れ」が「赤ちゃんのほうからおっぱいから離れて行く」のに対して、「断乳」は「おっぱいからなかなか離れたがらない赤ちゃんを、強制的に乳から断たせる」といったニュアンスが感じられますが。



この記事の小見出しでの「断乳」の使われ方は



「母子手帳、"断乳"の言葉消える」



でした。この「言葉消える」に私は引っかかって、「断乳」という言葉に目を留めたのです。



記事の内容は、これまで1歳・1歳半検診の欄に「断乳」という言葉があったのが、今年の4月からなくなるというのです。というのも、これまでは母乳をやめる時期は1歳前後というのが長い間の主流だったのだが、最近は精神的・肉体的な母子のつながりを重視して、母乳をやめる時期は個々で判断する傾向が広まっているためだそうです。



この「断乳」という言葉、「新明解国語辞典」「三省堂国語辞典」「広辞苑」「日本国語大辞典」には載っていません。



しかし、例によってインタート検索Googleで「断乳」を調べると、9890件もありました。育児の用語としては、一般的なのかもしれません。



ただ、4月から母子手帳からこの言葉が消えるということになると、徐々にこの言葉も「死語」になっていくのかもしれません。



少子化が進む中で、育児用語も流行り廃りがあるのですね。

2002/2/14


P,S

2月8日の読売新聞の「論点」に「孤育て」という言葉が出ていました。東京・東村山市で起きた、中高生によるホームレスの男性への暴行死事件を受けて、東京都東久留米市立東中学校の教諭、森薫氏が書いています。子育てが「過保護で過干渉な囲い込み型」の子育てと、「虐待、放任、母性喪失」の子育ての二極化しているとのことで、その双方に共通しているのは、母親に押し付けられた孤独で孤立した「孤育て」である、と森氏は述べています。このような育児・教育用語は「悲しい」としか言えませんね・・・。



「孤育て」をGoogleで検索すると、39件出てきました。その中には大阪府泉大津市の社会福祉法人の紹介文もあって、「小さなお子さんとお家にいるお母さん、"子育て"を楽しんでいますか?一人で悩んで"孤育て"になっていませんか?」と「孤育て」が使われていました。



妻に"「孤育て」って知ってる?"と聞いたところ、「最近時々見かけるわよ」とのことでした。こういった言葉はやはり女性のほうが詳しいのでしょうかね。

2002/2/14


(追記)

久々に「断乳」という言葉を見掛けました。2003年8月22日産経新聞夕刊。文化部の岸本佳子記者が書いた

「赤ちゃん虫歯 母乳は有罪?」

という記事の中で、

「母子手帳から『断乳』という言葉が消えたのは昨年。育児の世界では、自然に赤ちゃんが飲まなくなるのを待つ『卒乳』という考え方が主流になりつつある。ところが最近、乳幼児に重度の虫歯が目立ち始め、小児歯科医らは、いつまでも母乳を飲ませているのが原因としてきしている。果たして『卒乳』は虫歯の原因なのか?」

というリードです。結論は、

「虫歯の原因は複合的要素があるので断定は出来ないが、母乳を飲む子は、寝る前に歯を磨かないで寝るから虫歯になりやすいのではないか」

というようなことでした。
ちなみに「卒乳」という言葉も初めて目にしました。Google検索では、
5万4500件もありました!この言葉も育児関係者(母親たち)の間では、「常識」なのかもしれませんね。

2003/8/22



◆ことばの話563「ヴォーリズとボーリズ」

65年前の昭和初期に建てられたという滋賀県豊郷町立豊郷小学校の校舎の解体計画の中止を求めて、昨日(2月6日)地元住民35人が大津地裁に裁判を起こしました。



この建物は、アメリカ人建築家メレリ・ヴォーリズ(1880〜1964)が設計したと言われています。ヴォーリズはメンソレータムを製造する「近江兄弟社」の創業者としても知られており、関西学院の神学館をはじめ全国各地の教会、大丸心斎橋店などの設計でも知られます。



このヴォーリズの名前の表示が新聞各紙で違っています。



ヴォーリズ=朝日、産経、日経



ボーリズ=毎日



読売は記事が見当たりませんでした。(見逃したかも)



彼の本名はWilliam Merrell Vories。



そこから考えると、Vですから「ヴォ」という表記のほうがふさわしいのかもしれません。一応、平成3年(1991年)6月28日、海部俊樹内閣の時に、(おお、もう11年も前なのか!ついこの間のような気がしていたのに。年を取るはずだわい。)「外来語の表記」に関する内閣告示が出て「Vの音はヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ、ヴュも可」となっています。ただ一般的には「バ、ビ、ブ、ベ、ボ、ビュ」と書くことができる、となっていますが。



これは、普通の国語辞典の後ろのほうの載っていますから、一度ご覧ください。



固有名詞では、例えばサッカー・Jリーグの



「ヴィッセル神戸」「東京ヴェルディ」



などはちゃんと「ヴィ」「ヴェ」が使われていますが、



「ベートーベン」



は、「ベートーヴェン」と書くことは少なくて、「ベートーベン」が多いのではないでしょうか。中にはなぜだか「ヴェートーベン」と書いてしまう人もいらっしゃいます。



表記はこのように分かれていますが、発音に関しては、「V」の音をしっかり発音して



「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ、ヴュ」



と言っている人を見たことも聞いたこともありません。



言文一致なんて、なかなか上手くは行かないものなのですね。所詮、外国語と外来語は違うと言うことですね。

2002/2/13


◆ことばの話562「ナノ」



去年あたりから、新聞紙上で頻繁に目にするようになった言葉に、「ナノ」があります。



「かなり小さなものの大きさ・長さの単位」というのは知っていますが、これまで「ミリ」より下は「ミクロン」しか知りませんでした。どうも「ナノ」は「ミクロン」より小さそうです。2月7日の日経新聞にも



「歯車の直径0,2ミリ ナノ素材使い世界最小級」



という見出しが、ありました。それにしても、「世界最大級」という言葉は聞いたことがあるけれど、「世界最小級」というのは初めて目にしたなあ。



日経新聞には「ナノ」がよく出てきます。2月14日の日経朝刊のトップ記事の見出しは



「ナノテク連携加速」



ですし、「ドキュメント挑戦」というシリーズのタイトルは



「ナノの魔術師」



です。2月7日の日経新聞には、



「最小の温度計、長さ1マイクロメートル」



とありました。半導体の熱を測ったりするのに使うんだそうです。このマイクロメートルとナノメートルはどっちが小さいんだろうか?



その新聞によると、「1マイクロメートル」は「百万分の一メートル」だそうです。



1000000分の1。



マイクロメートルと名のメートルはどっちが小さいんだろうか?



今朝(2月14日)の日経新聞に「ナノテクノロジー」の解説が出ていましたのでそれからひくと、



「原子数個分の大きさの材料を測定したり、加工したりする技術」



を「ナノテクノロジー」と言うそうですから、「ナノ」は「原子数個分の大きさ」のようですね。「ナノテクノロジー」は略して「ナノテク」とも言われています。「ハイテク」とか「ローテク」とか、「テクニック」は「テク」と略される傾向にあるようです。



さて、「原子数個分と言われても・・・・」と思うのでさらに調べてみましょう。国語辞典はもうこの「ナノ」を採用しているのでしょうか?



一番、新しい言葉の採用に貪欲な「三省堂国語辞典」は、お、載ってますね。



「十億分の一。」



シンプルですね。おや、「ナノテク」も略語の形で見出しで載っているぞ。



「十億分の一メートルほどの微細な大きさのものをあつかう新技術」



「新明解国語辞典」も「ナノ」は載っていました。



「(nano=小人を意味するギリシャ語に由来。)国際単位系における単位名の接頭辞で、基本単位の十億(=十の九乗)分の一であることを表す。記号n」



そのほかの国語辞典にも、「ナノ」はちゃんと載っていました。



ちなみにこれより小さい単位の「ピコ」は「一兆分の一」なんだそうです。うーん、実感が湧かない。漢数字だからだろうか?洋数字(アラビア数字)で書いてみましょうか。



まず「ナノ」は、十億分の一だから、



1000000000分の1。



お、これは大変なことですな。そうすると、「一兆分の一」である「ピコ」は、



1000000000000分の1。



細かいなあ。



ソルトレーク五輪・スピードスケート男子で惜しくも銀メダルだった清水選手の、1位とのタイム差0、03秒も、こうやってみると、結構、大きな差というか大したことないと言うか・・・どうナノか。



20000000000002/2/14


→日付も2002年だけど、20億2年にしてみました。

(追記)

「早稲田学報2002、2・3月号」を見ていると、「ナノ構造を基盤とする分子ナノ工学の構築とマイクロシステムへの展開」という記事が出ていました。執筆者は理工学部でのこの研究のリーダーである大泊巌教授。実はこの方、早稲田大学グリークラブでの大先輩で、お忙しい中、OB合唱団の練習などにも顔を出してくれる人です。グリーで見る時とは全く違うプロの顔として、ワセダにおけるナノテク研究の現状について、17ページにわたって書いておられます。



読んでいると、途中で頭の中に???がたくさん浮かびましたが、「日本経済立ち直りのためにもナノテクノロジーを通じて貢献することが私達の使命」という大泊先輩の意気込みは、ひしひしと伝わってきました。

2002/2/22


◆ことばの話561「見えず」

以前から、正確に言うと会社に入った時から、もう18年来悩んでいることがあります。アクセントのことです。



ニュース原稿の中にこんな表現がよく出てくるのです。



「○○さんには疲れも見えず、しっかりとした足取りで・・・」



「結局△△は目標を達成できず、引退を余儀なくされた」



「◇◇さんは40日間、何も食べずに漂流したということです。」



この中の、「見えず」「できず」「食べず」のアクセントなんですが、会社に入った時のアナウンサーの新人研修の時に、当時の先輩アナウンサー(20歳以上、年上のベテラン)



からは、



「頭高アクセント(HLL)で読むように」



と指導されました。


私は、中高アクセントで「見えず」「できず」「食べず」(LHL=Lは低く、Hは高く)と読むべきじゃないのかな?と思っていたのですが、「そう読むんだよ!」と大先輩から言われてはなかなか反論できませんでした。



私がなぜ、中高アクセントを主張したのか?というと、否定の「ず」を、現代口語の否定の形である「ない」に置き換えると、



「見えない」「できない」「食べない」



になりますが、その時のアクセントは、どう考えても「LHLL」という中高アクセントになります。頭高アクセント(HLLL)で「見えない」「できない」「食べない」では、おかしいでしょ。意味は同じなのだから、アクセントも変わらないのではないか?というのが私の主張でした。



その後、不承不承、「頭高アクセント」で「見えず」「できず」「食べず」を読んでいたのですが、その後入ってくる後輩や、よその局のアナウンサーのアクセントを聞いていると、私が思っていた通り「中高アクセント」で読んでいることが徐々に増えてきました。



「やっぱり、そうやんか」



と思いながらも、18年もニュース原稿を読んでいると、今ではもう「頭高アクセント」のほうが身についてしまっていました。



そんなある日(つい、先日)、ふと、ある考えが浮かびました。



「"見えず""できず""食べず"は、もともと文語の否定形であり、肯定形は"見ゆ""でく""食ぶ"である。それらは否定形も肯定形もすべてアクセントは"頭高アクセント"である。それに対して、現代口語の肯定形は「見える」「できる」「食べる」で、否定形は「見えない」「できない」「食べない」。アクセントは肯定形・否定形共に"中高アクセント"である。ところが、ニュースの原稿の中では、"現代口語"として"見えず"



"できず""食べず"を使用している。これを、文語からの仮借と考えれば、アクセントは文語と同じ"頭高アクセント"を用いるべきだが、現代口語に取り入れられた、現代ニュース文特有の表現であると考えれば、現代口語の"見えない""できない""食べない"と同じ"中高アクセント"を用いて、"文語ではない"ことを主張すべきではないか。」



というものでした。ずいぶん長い考えが思い浮かんだものですが、一瞬のことだったのです。要は、「見えず」の肯定形が文語では「見える」でははなく「見ゆ」だという、当たり前のことに気がついただけなのですが。



もっと言うならば、ニュース原稿に出てくる「見えず」「できず」「食べず」などという言葉は、文章を切らずに繋げる時によく使われていますから、一旦、文章を切ることで使わなくてすみます。ニュース原稿は、現代口語・話し言葉に少しでも近づけようとするのか、それとも話し言葉には近いものの、少し書き言葉的な要素を残した独特のものにしようという気があるのかによって、この表現を使うのかどうかも決まってくると思います。



例えば、株式市況で「○○建設、できず」というような場合の「できず」は、業界専門用語ですし「頭高アクセント」のほうが良いでしょう。これを中高アクセントで読むと、かえって違和感があります。



まあ、そんなところまで考えるかどうかは別にして、今後も「中高アクセント」の「見えず」「できず」「食べず」という「読み」は、もっともっと増えてくることでしょう。



2002/2/13


(追記)

「見えず」「おらず」など、古文の形式を取りながら、現代でも公の場で使われる言葉のアクセントは「新しいアクセント形」として表される。形としては文語だが、口語の使い手である現代人が使うものであるから、純然たる文語ではない。「新文語」とでも呼ぶべきものである。その観点からは「〜すべき」の「べき」止めと同じく、アクセントが頭高ではなく中高になるのも、むべなるかな。
「見えず(HLL)」の肯定形が「見ゆ(HL)」で、2つ目の音で「肯定か否定か」がわかったが、現代語において「見えず」を使って頭高アクセントにすると、「見えた(HLL)」との区別は3音目にずれ込んでしまう。否定の口語「見えない(LHLL)」との整合性を考えても、「見えず(LHL)」という中高アクセントは通時的にも正しいアクセントの流れではないか。 以上、10月の2日朝、通勤電車の中で考えたことを、新書のカバーに書き付けたものでした。そのカバーをつけた本は「日本語の教室」(大野晋)でした。



2002/10/6



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