◆ことばの話540「今日午前0時前」

不思議な体験をしました。



今日(1月11日)、昼ニュースの原稿の下読みをしていた時のことです。大阪府堺市での、自動車交通事故のニュースでした。その原稿のリード部分は、



「昨夜、大阪府堺市で乗用車が出会い頭に衝突し、3人が死亡、2人が重体です。」



というものだったのですが、読み進んでいくと、こんな文章が出てきたのです。



「事故があったのは、大阪府堺市深井中町の交差点で、今日午前0時前、・・・。」



読み飛ばしそうになりましたが、ちょーっと待った!!



「今日午前0時前」



って、「昨日」じゃないのか?



よく似た文章で



「今日午前0時頃」



というのもありますが、これなら全く問題ありません。示しているのは確かに「今日」で、(本当は「頃」だから、昨日かもしれないけれど)問題がないのですが、「前」となったら「今日」という表現が実に紛らわしい。「今日午前0時前」は、おそらく、



「昨日午後11時50何分か」



を指しているからです。そう言えば、リード部分はちゃんと



「昨夜遅く」



と書いてあったではないですか。



結局、この原稿は、「今日」を削って、



「午前0時前」



というシンプルな形にしてオン・エアーしました。



きっと、そのまま「今日午前0時前」と読んでいても、誰も気づかなかったのではないか、とも思うのですが、ね。

2002/1/11




◆ことばの話539「これからお伝えします、〜」

「それではこのあと、プラス1でお伝えします、主なニュース項目をご紹介します。」



月曜日から金曜日まで、夕方の「ニュースプラス1」の前、午後5時50分頃に、こういったコメントが流れます。これが、以前から気になっていたんです。



「〜でお伝えします、主なニュース項目」の「お伝えします」は、「主なニュース項目」にかかりますよね。本当は、「〜でお伝えする、主な項目」とした方が良いと思うのですが、丁寧に言うためか、よくこういった「〜で・・・します、――――」というふうな形容の仕方を耳にします。



しかしこれは、うまく読まないと「〜お伝えします、」で文章が切れてしまっているように聞こえてしまうのです。



どうしてだろう?といろいろ考えていたのですが、当の「プラス1」を見ていた時に、そこに出て来た、まだ新人に近い記者の中継を見ていて、ハタと思い当たりました。



その記者は、



「加藤事務所があります、ビルの前です。」



「この秘書は金庫番として知られています。」



「捜査は進められものと見られます。」



という語尾の「す」が、すべて「SU」の「U」の母音が有声音で発音されていたのです。どっちかというと「すぅ」という感じの発音です。



文の最後が、この「すぅ」だと、何か落ち着かない感じなんですね。文末の「す」は、どちらかと言うと無声音に近い「S」の子音だけに近い方が、聞いていて落ち着きますね。



そして冒頭の「プラス1でお伝えします、ニュースの主な項目・・・」という場合の、形容詞句の「〜します、」は、逆に無声化でない、有声音の「す」(SU)の方がいいのではないか、というふうに感じたのです。



関西地方にお住まいの皆さんは、是非一度このコーナーをご覧になって、ご意見をお寄せ下さいね。

2002/1/15




◆ことばの話538「立ち上げる」

2002年1月7日の読売新聞に、「ズームイン!!SUPER」の解説でもおなじみの、読売新聞編集委員の橋本五郎さんが、「編集委員が読む」というコラムで「言葉の乱れ」について書いています。タイトルは"チョー不愉快な「立ち上げる」"



岩波書店の「思想」(2001年12号)という雑誌(と言って良いのかどうか?)に載った座談会の中で、「立ち上げる」という言葉が、わずか23ページの中に30回以上も出てくると言って、大層ご立腹なのです。



そもそも「立ち上げる」はコンピュター用語がひとり歩きした言葉だとして「なんとも耳障りに響く」そうです。



また「もっと気になる表現」としては「ワタクシ的には」「ピッチャー的には」をはじめとする「○○的」がある、としています。そして、



「言葉に対するいとおしみと鋭敏な感覚がなくなったところに、もはや文化は育たないだろう。他山の石にしなければと思う。」



とまとめています。



橋本さんのお気持ちはよくわかりますし、まさにそのとおりだと思いますが、こと「立ち上げる」に関しては「もはや、手後れ」ではないでしょうか。



「立ち上げる」の名詞形としては「立ち上げ」があります。「組織の"立ち上げ"に参画した」というふうに使われています。



この「立ち上げ」に似た言葉として、



「幕開け」「極め付け」



があるのではないでしょうか?



ともに、元の正しい形とされているのは、



「幕開き」「極め付き」



です。もとは「自動詞」の連用形から名詞になった言葉だと思われますが、それに対して、同じ意味の「他動詞の名詞化したもの」については、当初かなり反発がありました。今も、「幕開け・極め付けはおかしい」とする人達も、少なからずいらっしゃいます。特に放送では「極め付け」は、最近「間違い」だとして「極め付き」を使うことが多くなったような気がします。



「幕開け」と「幕開き」に関しては、放送では、(本来の)舞台などの場合のみ「幕開き」を使い、それ以外の場合には、例えば「21世紀の幕開け」のように使われ、意味(と使用状況)の分化が起こっています。



「立ち上げる」もそれとよく似た変化の形態をもっているのではないか、と感じました。



すなわち、「立ち上がる」という自動詞が最初にあって、そこから転じて他動詞の「立ち上げる」が出てきたと考えられるからです。



これだけ「立ち上げる」が使われている以上、私達がそれを使うかどうかは別にして、世の、一般の言葉の使い手たちに、「"立ち上げる"は間違いなので使うな」と言っても、その使用を止めさせるのは難しいのではないでしょうか。



2002/1/11


(追記)

やはり、一部の教養ある人達から非難されている「つなげる」という言葉があります。



本来は「つながる」であり、



「今日の結果を、来年につなげたいですね」



というような物言いは、



「今日の結果を来年につなぎたいですね」



というべきだ、というものです。



1月12日のラグビー大学選手権・決勝で、早稲田を破って見事、二連覇を達成した、関東学院大学の春口広監督のコメント(1月14日の読売新聞・朝刊「この優勝をどうつなげるか。」)でもこの「つなげる」が出ていて、はた!と思いつきました。



この「つなげる」と、「立ち上げる」に感じる違和感に何か共通したものがあるのではないか?



「立ち上げる」は他動詞ですが、「立ち上がる」という自動詞なら、何も問題はないわけです。そして「立ち上げる」の「上げる」というのは、他動詞です。自動詞は「上がる」。自動詞ですから、誰かが手を加えなくても自然に「上がる」んですね。自然というのは、ほうっておいても、自分以外の誰かがやってくれる。「誰か」というのはこの場合、仏教的なもの、「仏の導き」のようなものではないかと私は考えます。つまり「他力本願」という時の「他力」です。もしかしたら、「自然界の道の力」かもしれません。



これに対して他動詞の「上げる」は、自然ではなく「自分」がやる。仏の力ではなく、自分自身の力でやる。これは、いかにも「欧米的」な考え方ではないでしょうか。「欧米的」というのが"どうかな"という方には、「非仏教的」とでもしてはいかがでしょうか。



従来の日本的な伝統を、知らず知らずのうちに重んじている人達にとっては、この「他動詞的な考え方」は、なかなか受け入れられないので、違和感を覚えるのではないでしょうか。ひとことでまとめると、「"立ち上げる"には、謙譲の美徳が感じられない」。そこが、違和感を覚える"おおもと"のように感じられます。



なーんてね。どうでしょうかね。思いつきですが。

2002/1/15
(追記)

ご異論、ご意見、たくさん頂いております。さすがに注目度の高いことばです。改めて時間のあるときに、それらをまとめて、もう少し全体的に「立ち上げる」に関連したことばについて考えてみたいと思います。今しばらくお待ちを・・・。

2002/1/18




◆ことばの話537「東西南北」

以前「ことばの話136南北問題」で、「東西南北の方角の順序はどういうふうにして決まるのか?」という疑問が出たものの全く解決せずに終っていました。調べてみると、2000年の6月、もう1年半も前のことだったのですね。



あのあと、ネットBBSの「ことば会議室」にこの件について「東・西・南・北」と題して投稿しました。その結果、様々なご意見を頂きました。



福井大学助教授の岡島昭浩さんは、



「"西北・東北・西南・東南"が伝統的な言い方で、"北西・北東・南西・南東"は翻訳語的なものであろう。また、"とうざい"は中国的、"にしひがし"は日本的」 というふうに分類されました。そして雑誌「言語生活144」(1963年9月号)の84ページに北島和という人が、



「日本語では方位を示すのに東西南北と並べるが、これが欧米では北南東西であることは大人には耳新しいことではなく、周知の通りである。」



と書いてあるのを紹介してくれました。



英和・和英辞典で「西北」「東南」「西南」「南北」「東北」「東西南北」などをひいてみると、



「Northwest(北西)」「Southeast(南東)」「Southwest(南西)」「North and south(北南)」「Northeast(北東)」「East and west(東・西)」「North South East West(北・南・東・西)」



と出てきました。日本の「東西南北」が、英米では「北南東西」という順番になっていますが、これは「十字を切る」順番と同じなんでしょうか?ともふと思いました。



また、ノースウエスト航空、東南アジア、南西航空など、方角を含んだ固有名詞などでも、やはりアメリカ系の会社は、日本の方角の順番とは逆の並びになっていますね。東南アジアも日本では「東南」ですが、アメリカでは「南東」の語順になっています。また、磁石の方角を記したアルファベットを見ても、映画のタイトル(「北北西に進路をとれ」)を見ても、やはり英米では日本とは違う語順で方角を示していますね。



日本では「都の西北」「西南の役」「西南学院」「東北地方」というふうな語順ですよね。やはり岡島さんが言うように、日本における方角の語順は、



【1】日本式



【2】英米式



【3】中国式



の3種類が混在しているようです。



そして、麻雀の「東南西北(トン・ナン・シャー・ペー)」ですが、これは「東西南北」という順番ではありません。実際の方角と東と西が逆になります。なぜか?



それは、麻雀の台が「天」を表していて、台の真ん中が「上」なんですね。だから、台の真ん中を覗き込むように考えると、実際の方角とも合致する訳です。



日本の方角を表す言葉としては、北が「子」、南が「午」、西は「酉」、東は「卯」がありますね。つまり、「北」から順に時計回りで12の方角を表すと、



「子(北)・丑(北北東)・寅(東北東)・卯(東)・辰(東南東)・巳(南南東)・午(南)・未(南南西)・申(西南西)・酉(西)・戌(西北西)・亥(北北西)」



また、例えば「亥(北北西)」



「戌(西北西)」のあいだ(北西あるいは西北)は両方くっつけて「いぬ・い(乾)」。皇居に「乾門」ってありましたね。あれは西北の方角の門なんですね。その正反対の方角は、「辰(東南東)」と「巳(南南東)」のあいだ(東南あるいは南東)「たつ・み(巽)」ですね。実際、知り合いの「乾」君に聞いたところ、小学校の時以来、「巽」君とは仲が悪かったそうです。いや、ほんまの話。



さて、太陽の話。昔「西から上ったおひさまが、東ーにしーずーむー」という歌もありましたが、実際には、太陽は東から昇り西に沈む。その途中で「南中(なんちゅう)」しますよね。この「南中」を辞書(広辞苑)で引いてみました。



※ 「南中」=北半球の北極以外の地点において天体が子午線の北極以南の部分を通過すること。正中(せいちゅう)。



ついでに「子午線」「正中」も引いてみました。



※「子午線」=(十二支を用いた方位において、子は北、午は南。すなわち「南北方向の線」の意。)



【1】天球を東西に二等分する線。真北から天頂を経て真南に至る。



【2】経線



※「正中」=北半球においては「南中」と同義。南半球においては、天体が子午線の難局以北の部分を通過すること。(=「北中」というべきものと同義。)赤道上では子午線通過と同義。(広義には子午線通過をさす。)



とありました。で、問題は、太陽が出てくるのが「東」、沈むのが「西」。太陽が一番高度の高いところに達するのが「南中」。そうすると「北」はどこなのか?「平面的に」考えている「東西南北」の方角ではなく、「立体的に」考えた「東西南北」では、「北」は「地球の真裏側」になりはしないでしょうか?でも「北半球に住む我々」にとって、「地球の真裏側」は、「南半球」になりますよね。そうすると、南半球は「北」なの?



うわあああ、かえって謎が深まりました。



奥が深い問題ですねえ。

2002/1/15



◆ことばの話536「出っ尻」

正月休みに、ドライブをしている時のことでした。
阪和自動車道を和歌山に向かって走っている時に、岸和田市付近で「だんじり」の絵の看板が目に入りました。その看板には、
「だんぢり」
と書いてあった、と妻が言うのです。
「“だんじり”の“じ”は、本当は“ぢ”なの?」
新年早々、車の中でそんな質問を投げかけてきたのでした。
普通なら、
「そんなもん、“じ”に決まってるやんか」
と言い捨てそうなものですが、
「なぜ“じ”ではなく、“ぢ”になったのか?その背景は何か?ほかにもそう言った例はないのか?」
と、ちょっと考える気になりました。その時に、ふと浮かんできたのが、
「出っ尻(でっちり)」
です。辞書をひくと、小さい「っ」は書いてないですが、分かりやすいために入れてみました。これはもちろん、
「でしり(出尻)」
の「で」が(おそらく強調するために)促音便になったものですが、促音便に伴って、そのあとの「しり」の「し」が「ち」に変わっています。そこで、「だんじり」の「じ」が「ぢ」になったのもそれと同じようなことがあったのではないか?と考えました。(たんなる「じ」と「ぢ」の「書き違い」も考えられなくはないようですが。)
福井大学の岡島助教授によると、サ行音がツァ行音になることは、よくあるそうです。
岡島先生によると、「法師(ほうし)」が「ぼっち」、江戸弁だと「まっすぐ」が「まっつぐ」に、「おとうさん」が「おとっつあん」も「サ→ツァ」への変化です。
などの例があるそうです。
私も本を読んでいて見つけました。
「二進(にっち)も三進(さっち)も」の「二進」「三進」ですが、もともと算盤(そろばん)の割り算で使う「八算」と呼ばれる暗唱方法から来ており、
「二進一十」(にしんがいんじゅう)
「三進一十」(さっちんがいんじゅう)
と唱えながらソロバンの玉の動かし方を覚えていった、そうです。(木利博「語源を知れば日本語がわかる」ふたばらいふ新書・2001,7,25より)
私はソロバンが出来ないので(小学校三年の時に算数の授業では少しやりましたが、苦手でした。)わからないのですが、この「二進一十」「三進一十」から「二進も三進も」が来ているそうです。
さて、このうち「にしん」が「にっち」になったのは「シ→チ」の変化、つまり「サ行→ツァ行」の変化ですね。「三進」は最初からもう「さっちん」となっていますが、これも本来は「さんしん」だったはずで、そこから考えると、「シ→チ」の変化ですね。
そういったことから考えると、「だんじり」→「だんぢり」も、もしかしたら「サ→ツァ」の変化か?とも考えましたが、ここまで上げてきた「サ→ツァ」の変化はその前に促音便を伴っているのに対して、「だんじり」「だんぢり」は、単に「じ」が「ぢ」に変わっているだけ。そこから考えると、ji」の発音と「di」の発音を混同した「書き間違い」というのが正解のようです。
なお、「だんじり」を漢字で書くと「山車」「地車」「楽車」などの字があてられているようですが、広辞苑には「壇尻」という漢字が一番はじめに出ています。関東では、同じ「山車」と書いて「だし」と呼んだり、「屋台」と呼ばれることが多いようです。
2002/1/15
(追記)
6年半ぶりに、妻が言っていたことを確認しました!
阪和自動車道を和歌山方面に向かっていた左側の看板で、
「岸和田銘菓 だんぢり」
と書かれていたのです。「ぢ」でした。
Google検索では(2008年7月29日)、
「だんじり」=57万3000件
「だんぢり」= 2万2200件
でしたが、岸和田のこのお菓子を作っているのは、
「だんぢりや製菓株式会社」
という会社でした。
2008/7/29



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