◆ことばの話535「松の内」

仕事初めの日、アナウンス部内で話をしていて、誰言うとなく、



「松の内って、いつまでなんだろうか?」



という疑問が出ました。さっそく辞書(新明解国語辞典)をひくと、そこにはしっかりと



「一月七日まで」



と書いてありました。そうか、七草の日でお正月も終りなんだなと、一応なっとくはしたのですが、なんとなくスッキリしません。というのも一月の十日には「鏡開き」で、お鏡もちを切ったり、一月十五日には「小正月」で左義長、いわゆる「とんど焼き」で、しめ飾りを燃やしたりするではないですか。一月十五日ぐらいまでなんとなくお正月が続いている感じが、しないでもない。



そこで「日本国語大辞典」をひいてみると、やはり「一月七日まで」とありましたが、()内に注釈のように、



「上方では、古く、十五日まで」



という記述があるではないですか!



ここは上方、大阪・京都。関西人にとっては、「十五日まで」という感覚があってもおかしくはない訳ですね。よかった。



確かに、現代においても「五十日(ごとび)」に「五十払い(ごとばらい)」の習慣が残っている関西では、「7」のつく日よりも「5・10」という日の方が、なんか、「きり」がよい感じがするなあ。これは私だけの感覚でしょうかねえ。



ま、おめでたいお正月をお祭り感覚で過ごせたら、それに越したことはないのではないでしょうか。



なんか、「ふにゃっとしたまとめ」になってしまいました。

2002/1/10




◆ことばの話534「デスカウントショップ」

去年、新聞用語懇談会の会議で北海道は釧路に行った時の話。思い出したので書いておきます。



釧路空港から市街地に向かう途中、渋滞でノロノロ走るバスの中から、こんなお店の看板が見えました。



デスカウントショップ」



ほほう、デスカウント、ですか。



何を売っているのかなと思っていると、店の看板に書いてありました。



時計、貴金属、電化製品、麻雀用品、エレキギター(!)、靴修理、コニカカラーの現像・・・などなど。いろんなものを「デスカウント」しているのですね。



「デスカウント」って、なんか、死刑囚が歩くという道「グリーンマイル」のようですな。13階段・・・・death count



で、バスはさらにノロノロ走ります。す、すると!



さきほどの「デスカウントショップ」の4軒となりに、



ディスカウントSHOP」



の看板があるではないですか!釧路の人はみんな「デスカウント」ではなかった!



しかしっ!!そのお店には、



「売店舗」



の張り紙が・・・・。そうか「店舗」もディスカウントして売っている・・・訳ではないのですが、釧路における「デスカウント」と「ディスカウント」の闘いは、「デスカウント」の勝利に終ったようですね。



めでたし、めでたし(!?)・・・デス。

2002/1/11



◆ことばの話533「訓読みとは何か2」

去年(2001年)10月に文春新書から出た、高島俊男さんの「漢字と日本人」という本を、このお正月休みに読みました。なんでも、もう8刷まで出るほどの、ベストセラーなんだそうです。家の近くの書店でも、常に「売れ行きベスト3」くらいのところに入っています。結構内容は難しいように感じたんですが、皆さん読んでらっしゃるんですね。本の帯には「漢字がもたらした日本語の不思議」とあります。



高島さんは中国文学・中国語学専攻と履歴にありますから、さすがに漢字にお詳しい。「訓読み」に関する疑問にも答えてくれそうだと思って読みました。



「訓読み」に関する記述はあとで抜き書きするとして、この本全体の高島さんの考え方を私なりに要約すると、次のようになります。(高島さん、間違ってたらゴメンナサイ)



【1】そもそも(日本人は)中国から漢字を借りてきて日本語を書き表そうとしたことに無理がある。



【2】そもそも中国の漢字は、四声の区別のある中国の音がついていて、それぞれに「意味」を持ったものであった。



【3】日本人は「中国が進んでいる」と思った時は「中国から漢字」を、そして明治維新の時と第二次大戦敗戦の時には、文明の進んだ「英米から英語」を取り入れようとして、節操がない。



【4】西洋文明は排他的な一直線の考え方で、「先進国・後進国(発展途上国)」というような表現にも、そのことは現れている。



【5】欧米において「ことば」とは「音声」であり、「文字」は「その影」に過ぎないが、日本において「ことば」とは「文字」であり、「音声」は「その影」に過ぎないと言う考え方が、古くから根づいていた。



【6】日本古来のことばである和語の表記は、ひらがなによるべきであり、漢字を用いない方が良い。ただ、「気」「黄」「木」のように、一文字のことば(和語)は、ひらがな表記では意味がわかりにくく、ひらがなばかり続くと読みづらいので、そこは漢字を使ってもよし。



【7】音声が意味を担いえない日本語ということばは畸形ではあるが、いまさら捨て去ることは出来ない。また、漢字は日本語にとってやっかいな重荷ではあるが、からだに癒着したものなので、もはや切り離すことは出来ない。切り離すと日本語さらに幼児化し、へたをすれば死ぬ



と言ったようなところでしょうか。



さて、「訓読み」です。



目次を見ると、「第二章 日本人は漢字をこう加工した」の「1、訓よみとかな」という項があります。ちょっと長くなりますが、そこから引用してみましょう。



"漢字が日本にはいってきてから数百年のあいだに、それを日本語で書きあらわす文字としてつかうために、日本人はいくつもの加工をほどこした。まず、漢語をそのままとりこみ、日本語のなかにまぜてつかった。・・・ただしその際、漢語の発音を、日本人が言いやすいように手なおしした。・・・つぎに、漢字を、その意味によって直接日本語でよむことにした。たとえば「山」という字、これを音(おん)でサン(あるいはセン)とよんでいたのであるが、この字のさすものは日本語の「やま」に相当することあきらかであるから、この「山」という漢字を直接「やま」とよむことにしたのである。これは相当奇抜な所業であり、また一大飛躍であった。"



"・・・そこでこの両者を区別して、「ケン」のほうを「音(おん)とよび、「いぬ」のほうを「訓(くん)」とよぶ。「音」というのは「その字の発音」ということ、「訓」というのは「その字の解釈、意味」ということである。その「訓」は「日本語による意味説明」なのであるから、かならず和語(わご)、すなわち本来の日本語である。"



"「訓」がいつごろできたものか、古いことなのでわからない。万葉集では訓を自由自在につかいこなしており、優に百年や二百年、あるいはそれ以上の経験の蓄積があることを思わせる。無論いっときにできたのではなく、長いあいだにぼつぼつできてきたにちがいない。"



(下線は道浦による)



この「訓とは何か?」ということに関する考え方自体は、私が考えていたものとおおむね同じで、ほっとした気がしました。



この考え方によると、例の「しし」は、「肉」という漢字の「訓読み」と言って差し支えがないでしょうし、また「菊」は、「音」も「訓」も「きく」だと言って良いのではないでしょうか。



みなさん、またご意見をお聞かせ下さいね。

2002/1/10



◆ことばの話532「1543年、種子島に・・・」

「うーん、うーん・・・・。」



ニューススクランブルのデスクが頭を痛めていました。そしてついに私に言葉をかけてきました。



「道浦さん、このニュース原稿の文章どう思われますか・・・」



そこにはこんな文章が・・・。



「日本の外務大臣がポルトガルを訪れるのは、1543年に種子島にポルトガル人が漂着して以来、初めてのことです。」



「・・・。」



なんじゃ、こりゃ。



きっと、日本とポルトガルが外交関係が出来たのは、1543年にポルトガル人が種子島に漂着した、いわゆるあの「鉄砲伝来」の時からで、それ以来、日本とポルトガルの長い歴史の上でも初めて、日本の外務大臣がポルトガルを訪問した、ということを言いたいのでしょう。しかし、デスクが言うには、



「1543年って、そんな昔に"外務大臣"なんて名前の役職の人はいなかったでしょ。」



そりゃ、おっしゃる通り。明治以降でしょう、「外務大臣」が出来たのは。



そうするとこの文章は、「日本の外務大臣のポルトガル訪問」について、二つのことを言いたい訳です。つまり、



【1】日本とポルトガルの間に交流が始まってから460年近くたつ。



【2】その歴史の中で日本の外務大臣がポルトガルを訪れるのは初めて。



ただ、この【2】番目のことを言おうとした時に、「外務大臣」というものが@の歴史の最初には存在しなかったことから違和感が生じているのではないでしょうか。



結局この原稿は、次のように直されて放送されました。



「日本の外務大臣がポルトガルを訪問するのは、外交史上、初めてです。」



ちなみによその局はもっと簡単に、



「日本の外務大臣がポルトガルを訪れるのは初めてです。」



と、していたようですが。

2002/1/10




◆ことばの話531「朝日新聞の終戦記念日の写真」

平成ことば事情406「"に"と"を"」で読売新聞、同じく523「毎日新聞の終戦記念日の写真」で毎日新聞について、毎年8月15日に行われる戦没者追悼式の一面記事での写真のアングル、構図などについて考察をしました。中には、



「そんなん、各社の写真を撮る位置取りが毎年違うだけと違うか?」



という意見もありましたが、そうとばかりとも思えません。それを確認するためには、各新聞の写真を検証する必要があります。



そう、日ごろから思っていて、平日にポカッと休日が出来たので、大阪・中之島にある府立図書館に行ってみました。



その新聞室に入ると、なんと朝日新聞と毎日新聞、日経新聞は縮刷版が揃っているのですが、読売新聞と産経新聞は、縮刷版がないのです。なんか、偏ってるなあ。理由はなんでしょうか。読売と毎日はもう調べたから、朝日と産経があれば・・・と思っていたのですが、産経はどこかよそを探さなくっちゃ。



で、今回は朝日新聞について調べてみました。以下、結果。



1963年 正面(やや右後方)・日の丸(昭和天皇・皇后両陛下)※日比谷公会堂



1964年 正面・日の丸(両陛下)※靖国神社



1965年 右後方・日の丸(両陛下)※この年から日本武道館



1966年 正面(やや右後方)・日の丸(両陛下)



1967年 写真なし



1968年 正面・日の丸(両陛下)



1969年 左斜め・日の丸なし(両陛下)



1970年 右斜め・日の丸なし(両陛下)



1971年 正面・日の丸(両陛下)



1972年 正面・日の丸(両陛下)



1973年 正面・日の丸(両陛下)



1974年 正面・日の丸(両陛下)



1975年 右斜め・日の丸なし(両陛下)



1976年 正面・日の丸(両陛下)



1977年 右斜め・日の丸なし(昭和天皇)



1978年 左斜め・日の丸なし(両陛下)



1979年 参列者・日の丸なし



1980年 左斜め・日の丸なし(昭和天皇)



1981年 正面・日の丸(昭和天皇)



1982年 正面・日の丸(皇太子殿下・妃殿下)



1983年 正面・日の丸(昭和天皇)



1984年 正面・日の丸(昭和天皇)



1985年 正面(右斜め後方)・日の丸(開会前の参列者の様子・壇上人なし)



1986年 写真なし(そのかわり靖国神社に参拝した国会議員の写真が1面に)



1987年 正面・日の丸(昭和天皇)



1988年 左斜め・日の丸なし(昭和天皇)



1989年 左斜め・日の丸なし(今上天皇・皇后両陛下)



1990年 左斜め・日の丸なし( 〃 )



1991年 右斜め・日の丸なし( 〃 )



1992年 正面・日の丸なし( 〃 )



1993年 左前から・日の丸なし(細川首相)



1994年 左斜め・日の丸なし(村山首相)



1995年 写真なし(武道館の外で、追悼式に出席するため上京した遺族の写真が1面に)



1996年 左斜め・日の丸なし(天皇・皇后両陛下)



1997年 左斜め・日の丸なし( 〃 )



1998年 左斜め・日の丸なし( 〃 )



1999年 写真なし 2000年 正面・日の丸(天皇・皇后両陛下)



2001年 写真なし(千鳥ケ淵戦没者墓苑で祈る小泉首相の写真が1面に)



ということで、平成になってから(1989年以降)に注目してみると、「日の丸」が写っているのは、2000年(平成12年)、戦後55年の節目の年だけです。



かの新聞と比べてみると、毎日は1995年(平7)戦後50年の節目の年と、1997年(平9)の橋本首相の時だけ、「日の丸」が写っています。読売は1989年(平1)以降、1回も「日の丸」を載せていません。



もう一度「朝日」に戻って、昭和の時代の「日の丸」の様子をまとめてみると、



<日の丸を写している年>



1963年、64、65、66、68、71、72、73、74、76、81、82、83、84、85、87、2000。



<日の丸が写っていない年>



1969年、70、75、77、78、79、80、88、89、90、91、92、93、94、96、97、98。



<武道館内部での戦没者追悼式の写真自体が載っていない>



1967年、86、95、99、2001
という結果になりました。



今回、第1回の戦没者追悼式(1963年)からの写真をみることが出来た為にわかったことがあります。1978年までは、昭和天皇だけではなく、当時の皇后も、天皇と一緒に出席されていたということです。1979年は天皇のお写真はなく、1980年からは昭和天皇お一人で、写っています。平成になってからの今上天皇が、皇后とともにお二人で出席されている様子を見て「新しい時代、と言うことを意識されているのでは?」と思いましたが、昭和天皇も皇后とご一緒に出席されていたのですね。



さあ、あとは産経新聞だ!でも中之島の府立図書館にはなかったなあ。どうしましょ。

2002/1/10

Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved