◆ことばの話500「新宮さま」

500回です。2年と5か月で。結構なペースですね。

さて500回を記念して、という訳でもありませんが、12月1日、皇太子殿下と雅子妃殿下に待望の赤ちゃんが産まれました。この赤ちゃんをどのように表現したか?というのが今回のテーマです。

まずは読売新聞による各政党の党首の発言から。

(自民党)内親王殿下

(民主党)殿下

(公明党)お子さま

(自由党)殿下

(共産党)新しい生命

(社民党)お子様

(保守党)皇孫殿下


ホホオ・・・、結構、各党の方針が現れていますね。

一番目を引くのは何といっても共産党の「新しい生命」。これはこのあとこう続きます。「新しい生命の誕生は、ひとしくめでたい。」

・・・ごもっともですが、もうちょっとなんとか、言い方ないんでしょうか。まるで異星人が誕生したような・・・新しい生命体・・・とすると、科学的ですな、情緒の入り込む余地のない。

このほか、保守党のみが「皇孫殿下」という表現を使っています。「皇孫(こうそん)」つまり「天皇の孫」。「保守」党かぁ。

また、田中真紀子外相は「内親王」。中曽根康弘・元首相は「お嬢さん」。

中曽根元総理にとって、天皇家は、近しい知り合いのような関係なのでしょうか。



12月2日にたまたま東京に行く用事があり、浅草界隈を歩いていたら、商店街にお祝いの提灯がぶら下がっていました。そこには、

「祝ご誕生・皇孫妃殿下」

と書かれていましたが、これは間違いではないのでしょうか?ぶっちゃけて言うと「皇孫」の「ヨメ」が「皇孫妃殿下」では?よくわからないんですけど。女性の「皇孫」は「皇孫妃殿下」なのでしょうか????



12月2日の読売新聞朝刊にはこのほか、「おめでとう広告」がいっぱい載っていましたが、その中でも面白かったのは日本酒メーカー。月桂冠と日本盛がともに「皇孫殿下」を使っていたのです。「日本酒」メーカーにとって、(古き良き)「日本」が消えると、「日本酒」がただの「酒」になってしまうからかな?

このほか、トヨタなど大企業が寄せ書き的に載せた広告や、子供服を扱う「西松屋」の広告は、

「新宮さま」

でした。「しんみやさま」と読みます。「しん・みやさま」です。

一方、読売新聞自体はどうなのか?というと、1面の見出しは、

「雅子さま女児ご出産」

リード部分は、「雅子さまは女のお子さまをご出産された。」


政治面では、

「女児ご出産」

「内親王ご誕生」


特集記事では、

「新宮さま」

「今日のノート」というコラムでは、塩 雅晴さんという記者が

「お子さま誕生」

というタイトルで書いていました。

しかしなんといっても、今回の大ヒットは、またしてもあの人、長嶋茂雄・読売ジャイアンツ前監督(今は名誉終身監督でしたっけ)のコメントです。(私は直接は耳にしていませんが、同僚のHアナがしっかりチェックしていました。)



「新宮(しんぐう)さま」



でしょうね。和歌山県新宮市の市民の皆さんは、さぞや大喜びだったことでしょう。

確かに、「新宮(しんみや)さま」なんてコトバ、ふだん使わないし、重箱読みだし、そういう意味では長嶋サンは正しい!!と思わずにはいられないような気もします。

とまれ、まもなく命名される日(12月7日)までしか使われないこの表現、このお子さまのすこやかな成長を、願わずにはおれませんね。

2001/12/6

(追記)

12月7日、午前10時30分、新宮様のお名前と称号が発表されました。



お名前は「愛子(あいこ)」

称号は「敬宮(としのみや)」




です。二つ合わせて「敬愛」だ。君と僕とで「敬愛」だ。いや、一人なんですけど。「孟子」から来ているそうです。ひっくり返すと「愛敬(あいきょう)」。「男は度胸、女は愛敬」。それにしても、これで「愛」とか「敬」とかの字がつく子供が、今年から来年は増えるんだろうなあ。

ところで、今週号の「週刊文春」(2001、12、13号)で(翼)という人が書いている、「新聞不信」というコラム(41ページ)に「大手紙の皇室観を比較する!」と題して、各新聞(12月2日朝刊)が、今回の皇太子ご夫妻のお子さん誕生に際して、そのお子さんの事をなんと称したかを比較したものが載っています。「大・手紙(おお・てがみ)」ではありません、「大手・紙(おおて・し)」。「大手の新聞」という意味ですが、わかりにくい見出しですね。それによると、



宮内庁の発表は「内親王」、一面トップは、読売、朝日、日経、毎日とまるで「申し合わせたかのように」「雅子さま 女児ご出産」。産経だけが「内親王さまご誕生」。



これは11月の下関での新聞協会用語懇談会でも話題に上って、産経新聞の用語委員の方は「内親王という表記を使いたい」と話していましたが、そのとおりになったのですね。また、毎日新聞も「"新宮さま"でいく。何回も出てくるときは"お子さま"にする」と話していたので、各社、そちらに従ったのではないでしょうかね。

このコラムでは、

「天皇家を報じる記事の中で、ほとんどの新聞は少しずつ敬語の枠組みを変えてきている。たとえば"女児""お子さま"という語によって親王とか内親王、あるいは皇子、皇女という語などは消えていっている。現実社会では考えられないような表現は使わなくていいとは思うが、その基準がきわめて混乱しているとの感も受けるのだ。各紙、天皇家の報道にどのような表現を用いるか、改めて読者に示すべきではないか。」

と書いています。表現法は必ずしも一つである必要はないと思いますが、確かに読者(あついは視聴者)が混乱するおそれはありますから、説明はした方が良いかもしれません。

このコラム紙は朝日新聞がキライらしく、(文藝春秋だから、まあそうだろうな。)最後はこう結んでいます。



「朝日が一面トップ記事のリードで、宮内庁発表をそのまま引用し、"内親王"という語を説明している。各紙ともそうではないだけに、朝日の揺れと狡さが目につくのである。」



いずれにせよ、お子さまのお名前も決まったし、早くお顔を見てみたいなあと思いますね。

2001/12/7

(追記2)

その後、敬宮愛子内親王の写真も公開されました。結構髪の毛も多く、見るからに「赤ちゃん」という感じ。うちの子もこんなだったなあ、と思い起こしました。

その後、以前は「浩宮」「礼宮」「紀宮」などと呼ばれていたのに、なぜ今回は「敬宮」と呼ばれずに「愛子さま」と呼ばれているのか?という疑問も出ているようです。もう少し大きくなったら、「敬宮」と呼ばれるのかな?

それにしても、現・皇太子の「浩宮」さまが生まれた時の、40年以上前の白黒のニュース・フィルムを見ていたら、「浩宮(ひろのみや)は・・・」というふうに「呼び捨て」でした。本当に当時はそうだったのかしら?

2001/12/11


◆ことばの話499「癒し系大学」

師走。受験シーズンはもう始まっています。

このところ、予備校(平成ことば事情494「春一番」参照)や大学の広告がよく目に付きます。

昨日(12月2日)、そんな私の目に飛び込んできたのは、某仏教系大学の広告ポスター。外国人と思しき男性の横顔が大きく映っていて、そこにあるコピーは、こうでした。



「癒し系大学〜1400年前からの建学の精神です」



というものでした。

癒し系の大学・・・まあ、そりゃそうですね、宗教はそういうものでしょうから。

しかし、そう来たかあ。でも学生は癒やされに大学に行くのか?他の人を癒やす技術なり真理なりを「学びに」行くのではないのでしょうか?だいたい音が「いやし」は「卑し」に聞こえてしまうのは、私の品性が「いやし」いからでしょうか?

しかも「癒し大学」ではなく「系」がついている。「癒し」そのものではなく、「のようなもの」ではないでしょうか、この場合の「系」は。もちろん「その系統、系列」の意味が本来ですけど。

大学というところは、「癒し」を求めたり、いつぞやのような「無料のカフェテリア」を目玉にしたりして学生を集めるところなんでしょうか?

そのうち、

「学問系大学〜建学からの精神です」

なーんて広告が出てくるかもしれませんね・・・って、それは当たり前だろ!

なんだか、よくわからなくなってきました。

2001/12/4

(追記)

「癒し」という言葉は、確か去年(2000年)の流行語大賞の中にも入っていたと思いますが、日本新聞協会の用語懇談会では、3年におよぶ検討の結果、この漢字を常用漢字外だけれども「使っても良い」漢字39字・常用漢字表にない訓読み9語の中に含みました。

すでにこれに関しては、毎日新聞が11月1日から、産経新聞と日経新聞は12月1日から、これに従って常用漢字外の漢字をルビなしで使い始めています。読売と朝日は年が明けて来年春ぐらいからになるそうですが。いろいろひゅん美が大変なんだそうです。

この中で送り仮名に関しては、

「癒える」

「癒やし」

「癒やす」


というふうに、「送り仮名の付け方」の原則にしたがって、「や」を送ることになりました。慣用では、送らないのですが。

しかし、これは強制力を持つ訳ではなく、あくまで目安。

その証拠に、産経新聞12月10日夕刊の1面「熊野古道で植林事業」という記事のサブ見出しでは、

癒しの知がリストラ救う」

と、「や」を送らない「癒し」が使われていますし、まだ準備が整っていない朝日新聞は、今日(12月13日)の朝刊で、

「戦い続けいやし求め」

という大きな見出し(9面)で、「いやし」は漢字を使わずに、すべてひらがなです。

本文でも、

「悲しみに疲れた心のいやしを求めた」

となっていました。

別にチェックしようと思っている訳でもないのに、こんな細かいところに目が行ってしまう私・・・・誰か、癒しの時間を下さい・・・・。

2001/12/13


◆ことばの話498「せわしない」

いやぁ〜、師走、12月に入ったと思ったらも一週間経ってしまいました。(注・さらに現時点では、10日を過ぎ、12月中旬です。)一体全体、どないなってんねん!!この早さは・・・。

まったくもって、せわしないですねー、というこの「せわしない」について考えてみます。「せわしない」の「ない」は否定の「ない」なのか?というと、そう思っている人は多いですが(私もかつて、そうでした。)、実は、違う。

「せわしい」という言葉もあります。どちらも辞書(広辞苑第五版)で見てみましょうか。



*「せわしい」(忙しい)

【1】事が多くて暇がない。いそがしい。

【2】動きが急である。ゆったりしていない。はげしい。

3】落ち着かない。せかせかしている。




*「せわしない」(忙しない)

(「ない」は甚だしいの意)

いそがしい。落ち着かない。せわしい。

ということで、どちらも「忙しい」という意味です。「せわしい」の方がやや意味に幅がありますが。そして「せわしない」の方に書いてある通り、この「ない」は「甚だしい」という意味。だから、「せわしい」は語幹が「せわし」で活用語尾が「い」なのに対して、「せわしない」は語幹が「せわしな」で活用語尾が「い」です。



こういった、「ない」が否定の「ない」ではない形容詞というのは、結構たくさんありましす。例えば、「危ない」「幼い」「いたいけない」「汚い」「せつない」「だらしない」「少ない」「おっかない」「ぎこちない」「はしたない」などなど。

これらの「ない」が、否定形かそうでないかということに関して、インターネット上で「oyanagiの勉強部屋」というホ―ムページが開設されていまして、そこに掲載されている、

「#39"〜ない"を語尾にもつ形容詞の分類を再検討」

という考察が、大変参考になります。

http://ww3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/studyroom/39.html



そこには、見分け方の一つとして、「〜そうだ」を接続してみることを記してありました。つまり、語幹に「そうだ」をくっつけてみるのです。

例えば「高い」という形容詞に「そうだ」をくっつけると「たか・そうだ」となりますね。この「高い」を否定すると、「高くない」。これに「そうだ」をくっつければ「たかくな・さ・そうだ」となって、「さ」が入りますよね。この場合の「ない」は否定の「ない」。

逆に「汚い」に「そうだ」をつけると「きたな・そうだ」となり、「さ」は入りません。この場合の「ない」は否定の「ない」ではないというものです。



この考え方でいくと、「少ない」「汚い」「幼い」などは、「少なそうだ」「汚そうだ」「幼そうだ」「おっかなそうだ」「せつなそうだ」となり、逆に否定の「ない」の分は、「申し訳ない」→「申し訳なさそうだ」、「違いない」→「違いなさそうだ」「みっともない」→「みっともなさそうだ」となるという感じでしょうか。

語源から考えると、「幼い」も「長・無し」で「ない」という意味を持っていたのですが、いまやその意味はほとんど感じられなくなってきているという事もoynagiさんは書いてらっしゃいます。

ただ、問題の「せわしない」に「そうだ」をつけることに関しては、ここで述べているものに従うと「せわしなそうだ」となるのですが、これはあまり馴染まない。「せわしなさそうだ」と「さ」を入れる方が自然だとした上で、その理由として、私達は「ない」が否定かどうかまで吟味せずに、形態上、「ない」があると「否定」と同じ物とみなして活用させてしまう傾向があることを示している、意味よりも形態により強く引かれて判断する

のだといいます。

このホームぺージ、参考にはなりますがとっても難しくて(本当の事をポロッと言いますと)良くわかりません。グスン。。。



なお12月を「師走(しわす)」と呼ぶのは、暮れも押し迫り「忙(せわし)ない月」だから「しわす」と呼ばれるようになったんだそうです。

(「数字言葉の謎解き事典」日本語知恵の輪会・編KKベストセラーズ1994・6・5、213ページによる)

本当かな?「せわし」と「しわす」は似ているようで違うゾ。

2001/12/7

(追記)

「そうだ」の代わりに「げ」を付けてみたらどうでしょうか?

「はかない」→「はかなげ」

「せわしない」→「せわしなげ」

「おさない」→「おさなげ」

「少ない」→「すくなげ」


というふうに、否定の「ない」ではない「ない」の場合は、「げ」がくっつきますね。

では否定の「ない」の場合はどうでしょうか?



「高くない」→「高くなげ」



なんかヘンだな。このほか、「いたいけな」と「いたいけない」は、「せわしい」と「せわしない」の関係に似てないかな。「いたいけない」は「いたいけな」のあとに出た言葉のようですね。

「いたいけない」→「いたいけなげ」

いけるかな。ちょっと無理がある感じ。



「おぼつかない」の「ない」は「否定のない」ではない、ということで、「ない」を「ぬ」には置き換えられません。しかし、「否定のない」だと思って「おぼつかぬ」というふうに使うケースも多いようで、それについて書かれたものもあります。読売新聞社が出している「読売スタイルブック1999」の209ページの「おぼつかない」の項に、

"「おぼつかぬ」「おぼつかず」は誤用"

と出ていました。おそらくそれのもとになった、日本新聞協会が出している「新聞用語集」(1996年)にも、172ページにまったく同じ記述が載っています。願わくば、なぜ誤用なのか理由も載せてくれるとありがたかったのですが。2001年の10月末に出たNHKの「新用字用語事典」第2版には、「おぼつかない」は載っていますが、「おぼつかず」「おぼつかぬ」に関する記述はありません。載せて欲しかった。

「三省堂国語辞典・第五版」には、「覚束無い」という見出しで「無い」という漢字は使っているものの、「あやまって、おぼつかぬ」と、「おぼつかぬ」は誤用という判断を示しています。



この「げ」の関係で言うと、例の「なにげに」の「なにげ」、「よさげ」の「げ」。

「少なげ」はあるが、「多げ」はありません。「よげ」もない。でも語幹は「よ」だから「よげ」なのかな?「よさそうだ」は良い。「そう」=「げ」で、意味上から置き換えています。このほか、



*「よさ」という名詞形と同じ音なので、そこにさらに「げ」が付くのでイヤなのかな?

*「はかなげ」の「げ」と「さむけ」の「け」は「気」で同じかな?

* 語幹の最後が「な」で終る形容詞には「け」ではなく「げ」が付くのかな?



といった疑問を課題としたまま、一旦ここでしめます。

ご意見などお待ちしています。おぼつかない、まとめになりました。

2001/12/13

(追記2)

よく言われる

"「とんでもありません」「とんでもございません」は間違い!"

というのもこの関係でしょうか。「とんでもない」が正しくて、もし丁寧に言うのなら

"「とんでもないことでございます。」が正しい"と。これも「とんでもない」の「ない」のかわりに「ぬ」を置いて「とんでもぬ」とは言えませんね。

それから、「だらしない」も「だらしぬ」とは言えませんから、この「ない」は「無い」ではない。語幹(活用で変化しない部分)は「だらしな」まで。活用語尾が「い」ですね。

「とんでもない」も「とんでもな」までが語幹でしょうかね。

「ない」自体は形容詞的な活用をします。「かろ・かつ・く・い・い・けれ」。

どうも中途半端だな。

2002/1/11


◆ことばの話497「てゆーか」

若者言葉・・・てゆーかあ、コギャル語ってゆーかぁ、てゆーか「てゆーか」の話ってゆーか・・・ええい、うっとうしいい!

と、事ほど左様に「てゆーか」は、我々おっさんにとっては、いやーな存在のコトバなのですが、正直言って大分、慣れましたな。「て、言うか」ではなく表記は「てゆーか」です。

この「てゆーか」にも実は3種類の使い方がある、という研究発表を、韓国から大阪府立大学大学院に留学して比較文化の研究をしている李長美(イ・ザンミ)さんが2001年6月に行われた「第14回すっきゃねん若者ことばの会」で行いました。タイトルは、



"「ていうか」における若者特有の用法について"



です。李さんは、関西地区の10代から60代までの男女約340人を対象に調査を行ったそうです。その内容は、共同通信が取材をしたことによって、11月上旬に東京新聞にのったほか、大阪でも11月6日のデイリースポーツ、スポーツ報知の各紙に載りました。

それによりますと、「てゆーか」には3原則があるというのです。

まず、1番は「反語」。前の話に反論するときに使うもので、この使い方はまあ、普通と言えば普通ですよね。2番目は「話題転換」。前とは関係のない内容を述べるときに使います。そして3番目は「呼びかけ」。これが今回の李さんの指摘の中で一番目新しいものだと思うのですが、前の話がなくて会話を始める時に、いきなり「てゆーか」というふうに話し始める用法だそうです。街で、たまーに耳にする気がします。

「3原則」とスポーツ紙には見出しが出ていましたが、これは「3用法」といったほうが適当なのではないでしょうかね。

本来の「ていうか」は、「というかむしろ・・・」という意味合いなのですが、若者たち、特にコギャルは、こんなに多様な意味合いを持たせているのですね。てゆーか(使ってやるっっ!)形は従来のものと同じかもしれませんが、本当はまったく別の言葉と考えた方が良さそうです。使い手(年齢層)も違いますし。

それにしても、日本人よりも外国の方(李さん)のほうが、「てゆーか」の日本語としてのおかしさって言うか・・・あれ?変だな。・・・つまりよく見えると言うことかもしれませんね。

そうそう、「てゆーか」を短くした形で「ってか」というのもありますよね。

「ってか」は、「ってか?」という形で文末にも使われますね。



うーむ、私も負けては、いられません。李さんに対抗して、若者言葉の「てゆーか」とよく似た言葉を、我々も実は使っているのではないか?と思いまして考えました。

すると・・・ありました、ありました。大阪弁で、

「なんしか」。

これなんか、それまでいろいろ話していた経緯はまったく無視する形で、強引に自分の言いたいことを結論として話す時に用いるような気がします。牧村史陽さんの「大阪ことば事典」(講談社学術文庫)には「なんし」という形で載っています。意味は「何しろ。何と言っても。」となっていますが。私たち(?ダレ?)は、



「風の谷のナンシカ」



という使い方もしたりして、すきま風を吹かせたりもします。

甲南大学の都染直哉助教授の調査によりますと、「なんしか」は大阪近辺では各年代でよく使われていますが、そこから西へ行くと、使う年代は、徐々に中年層だけに絞り込まれて行ってるそうです。つまりビジネスで大阪の人と付き合いのある年代だけが使うのですが、それによって「なんしか」が西へ広がっているそうです。



「なんしか」は、つまり「てゆーか」の第2あるいは第3の言い方ですよね。(この文の「つまり」のところに「なんしか」を持ってくることもできます。)

このほか、大阪人でなくても会議など、ちょっと改まったところで使う言葉に、



「いずれにせよ」

「いずれにしましても」




があります。これも、今までの議論のどちらと決定することなく、結局自分の言いたいことを言うために便利な「接続詞」ですよね。「とりあえず」もちょっと、そんな傾向があるのではないでしょうか。

つまり、「てゆーか」の第2、3用法と同じような使い方をされる言葉は他にもあって、その用法を「てゆーか」という言葉が兼ねて、使っているというふうにも考えられるのではないでしょうか?

また、李さんにもご意見を伺いたいな、と思います。

2001/11/27

(追記)

「なんちゅーか」は関係ないかな。「なんちゅーか本中華」なんてCM、ありましたね。今、民主党の参議院議員やってるおじさんが画面一杯の顔でやっていました。あれも「てゆーか」の第3用法と同じですかね。

「何と申しましょうか・・・。」というのが口癖の野球解説者もいらっしゃいましたよね。あれも口癖で、それを言わないと次の言葉が言えないようになっていたのではないでしょうか?コギャルの「てゆーか」も、それを言わないと次の言葉が口を衝いて出なくなっているのかもしれません。

2001/12/6

(追記2)

昨日の巨人戦で、来日2年目で初完封勝利を記録した横浜ベイスターズのバワーズ投手がお立ち台に立って、インタビュアーから「ファンにひとことお願いします!」と言われて、こう言いました。

「てゆーかー、超お疲れしマス。」

・・・おいおい、意味わかってしゃべってんのか?ヘンな女子高生とつきあってるんじゃないだろうな。誰か、ヘン名入れ知恵したな。。。

2002/8/9


◆ことばの話496「怒りに感じていること」

新世紀幕開けの年も年の瀬、世の中の出来事に憤りを感じることも多い今日このごろですが、(どんな、あいさつや!)昨日の読売テレビの「あさイチ!リラックス」という番組で、視聴者の皆さんからのご意見を募集する告知をやっていました。



「皆さんの怒りに感じていること、何でも結構です。どしどしお寄せください!」



おや?怒り「に」感じること?

怒り「を」感じることではないのかな?

試しにこの「怒り」の部分に、喜怒哀楽のほかの表情を現す言葉を入れてみましょう。

喜びに感じること

哀しみに感じること

楽しみに感じること


フム。それほどおかしくない感じもしますね。念のため、「を」でもやってみますか。

喜びを感じること

哀しみを感じること

楽しみを感じること


全然おかしくないですね。

「に」の方は「私にとって〜です」という言葉を補ったらどうでしょうかね。

私にとって、怒りに感じることです

>私にとって、喜びに感じることです

私にとって、哀しみに感じることです

私にとって、楽しみに感じることです




「これ以上ない〜です」に「喜怒哀楽」を当てはめると、

これ以上ない、怒りです

これ以上ない、喜びです

これ以上ない、哀しみです

これ以上ない、楽しみです


フーム、やはり「怒り」だけ、他の3つとは違う気がする。

「喜怒哀楽」の4つの感情の中で「怒り」だけ何か違う要素があるのでしょうか?



ふと、思い付いたのですが、4つはすべて名詞ですよね。

そのうち「喜び」「哀しみ」「楽しみ」は、もとになる「形容詞形」があります。

すなわち、

「喜ばしい」

「哀しい」

「楽しい」


ところが、「怒り」には「形容詞形」がありません。(「怒りっぽい」はちょっと別でしょう。)これが何か影響を与えているのではないでしょうか?

もしかしたら、「喜・哀・楽」はもともと形容詞から始まった言葉で、その後、動詞形や名詞形ができたとは考えられないでしょうか?それに対して「怒」は動詞形から始まって、名詞形まではできているけど、形容詞形はできていないとか。



とまれ、原因は、はっきりとはわかりませんが、お気づきの方、またご意見お寄せ下さい。お待ちしていまーす。

2001/11/30