◆ことばの話465「UDON SOBA」

京都に取材に出掛けた帰り、車の中からこんな看板が目に入りました。



「UDON SOBA」



おー、さすが外国人観光客が多い京都、外国人にもわかりやすいように、「うどん」「そば」をローマ字でと書いてあるなんて、国際都市だなあ、・・・って、思いますか?

私は思いません。



「NOODLES」



と書いた方が、まだ国際的な感じがすると思うのですが。

念のために和英辞典で「うどん」と「そば」を引いたところ、

「うどん=noodles」「そば=buckwheat noodles」

とありました。また、

「うどん屋=a noodle shop」「蕎麦(そば)屋=a noodle(soba)shop」

とありましたから、「SOBA」はあながち間違いとは言いきれないのですが、でも、ねえ。

角地に建っているその店の、大通りから直角に入った細い通りに面した部分の看板には、驚くなかれ、さらにこう記されていたのです!



「DONBURIMONO」



OH!JESUS!!



「ワターシハ、ニホンゴ、スコシシカ、ワッカリマセーン、ドンブリモーノ、ヨメマスガ、イミ、ワッカリマセーン、ドンブリモーノ、ナニスルモノデスカ?」



・・・・「何者!?」「DONBURIMONO」


まあ、このくらいニホンゴがしゃべれれば、意味は分かるとは思いますが。

一度このお店には、一日どのくらい外国人のお客さんがいらっしゃるのか、伺ってみたいなー、と思いました。

2001/11/7


◆ことばの話464「ユニクロのユニフォーム」

来年2月に近づいてきたソルトレークシティー・オリンピック。その日本選手団のユニフォームを、あのユニクロが手掛けることになりました。(ちょっと旧聞。)
オリンピックの選手団の衣装というと、悪評高かったあのシドニーでの虹のマントが思い浮かびますが、それとは別に私がおや?と思ったことがあります。
「ユニクロ」の「ユニ」と「ユニフォーム」の「ユニ」。
似てませんか?
そもそも「ユニクロ」は当初「ユニーク・クローゼズ(UNIQUE CLOTHES)」と名乗っていましたから「ユニクロ」の「ユニ」は、「ユニーク」の「ユニ」。
一方の「ユニフォーム」の「ユニ」は、チームメートが一緒のデザインのものを着るという意味で、訳すと「単一」です。一種類しかないから「単一」。一般的には「個性」はない、「均一」でしょう。
それに対して「ユニーク」というのは、「個性がある」からこそ「ユニーク」、他にはない、「唯一」のものというイメージがあります。
つまり「唯一の個性」と「単一の没個性」は相容れないのではないか?という違和感を私は覚えたのでした。
「唯一」も「単一」「均一」も、一つしかないということですが、ニュアンスは大分違いますよね。こういった話をしていたところ、
「道浦さん、何言ってるんですか。ユニクロなんてみんな同じで、個性ないじゃないですか。」
ハッ、そうか。買ったことないからわからなんだ。
そう言えば、ずいぶん前の週刊新潮(2001年3月15日号)に「大ヒット“ユニクロ”それでも柳井社長の剣が峰」という記事があって、その中に「ユニクロ臭い」という言葉が出て来ていて、びっくりしました。その記事によると、
「高校生の間ではすでに“ユニクロ臭い”という言葉が流行っている。つまり、もはや若者の間ではユニクロ的流行は終ったと見られているんです。(後略)」 と、さる証券アナリストの弁が載っていました。サルではありません、念のため。しかし、“さる”はそこまで言うか。流行は終って完全に定着したということでしょうね。
みんなが着ているということは、確かに「個性はない」と言わざるを得ないですね。
家の近くにユニクロがないものですから買ったことないのですが、1着くらい買ってみるかな、“唯一”の“ユニクロ”。

2001/11/9


◆ことばの話463「ソルトレーク五輪」

来年2月に迫った、ソルトレークシティー・冬季オリンピック。

ちょろちょろ、それに関連した記事も出始めました。

その際、新聞やテレビのニュースの、見出しや字幕スーパーでは、

「ソルトレーク五輪」

と書いてあることが多いように感じます。「ソルトレークシティー五輪」だと、長ったらしいので、「シティー」を省略しているのでしょう。見出しはしょうがないですよね、それに「オリンピック」を「五輪」に置き換えるのも。

「ウサマ・ビンラディン氏」なども「ウ氏」だったりするし。「ウシ」ではありませんが。サッカーの「コンフェデレーションズ・カップ」は「コ杯」でしたし、イングランドのサッカー、プレミア・リーグ所属の「マンチェスター・ユナイテッド」というチームは、「マンU」です。この間は、ヨットの「アメリカズ・カップ」を「ア杯」と書いていました。温度計の「摂氏(せっし)」も、もともとは「セルシウス氏」が考案した温度目盛りの略だから、頭文字の「C」を取って「℃」、「セルシウス」の「セ」に漢字をあてて「摂」氏だし、「華氏」はドイツ人のファーレンハイト氏の考案した温度目盛りだから頭文字の「F」を取って「゚F」だし。あれ?「ファーレンハイト氏」なのに、なんで「華氏」なんでしょう?「ファ氏」じゃないのかな?よく辞書を見てみますと、「Fahrenhheit」の「Fah」の部分を中国で音訳をすると「華」の字の音になるんだそうです。その漢字を、また日本人が日本語読みすると、「カ」になってしまって、「カシ」なんですね。言われてみれば、「華」は、いかにも「ファ」と、中国語だと読みそうな感じがしますね、私は。

おや?話がそれてしまった。

要は、外来語のカタカナ表記(漢字もありますが)の場合、表音表記になるので、字数が多くなることもあって、新聞の見出しやテレビの字幕スーパーなど、スペースの関係で字数が制限されている物に関しては、思い切った省略形が使われているのです。

ただ、ソルトレークシティー五輪に関して言うと、「ソルトレーク五輪」と略してしまうと、せっかくのオリンピックがまるで「びわこ国体」のような、(オリンピックに比べると)規模の小さなものに、地域限定のものに感じられてしまうのです。それに「シティー」(市)なのはわかっているから省略するということになれば、「四日市」や「八日市」の立場はどうなる?「四日市」を「四日」にすると、「四日市市民」は怒るよ!(怒らないか?)

つまり、都市名をしっかり略さずに書くべきではないか、ということです。サッカーのワールドカップの場合は、その「国の名前」(全土で試合が行われますから)を関して「イタリア・ワールドカップ」「フランス・ワールドカップ」あるいは「ワールドカップ・アメリカ大会」というふうに呼ばれましが、オリンピックの開催地は、その「都市」が中心となっているので、国の名前を冠するのではなく、都市の名前を冠します。「バルセロナ五輪」であって「スペイン五輪」ではありません。「アトランタ五輪」であって「アメリカ五輪」ではありません。「シドニー五輪」であって「オーストラリア五輪」ではないのです。「アメリカ五輪」にしちゃうと、1984年ロスアンゼルス、1996年アトランタ、2002年ソルトレークシティと、全部「アメリカ五輪」になってしまいます。アメリカでやりすぎでないかい?

過去のオリンピックを思い浮かべてみますと、きっちり都市の名前を言っているはずです。

あっ、そうだ、ロサンゼルス五輪は、「ロス五輪」と略してたな。まだ「ロス疑惑」の余韻も残っていた気もします。

おーっ!思い出した!「メキシコ五輪」はどうなんでしょう?あれは「メキシコシティー」で行われたはず。それなのに、「シティー」が省略されているぞ!というか、都市名ではなく「メキシコ」という国名になってしまっているぞ!これは一体どうしたことか?当時はちゃんと「メキシコシティー五輪」と言っていたのか?当時まだ、小学生になったばかりの私の記憶は全く当てになりませんから、1968年のオリンピック当時の新聞記事を、読売新聞縮刷版に求めました。

すると・・・!

当時もやはり見出しは「メキシコ五輪」となっていたのです!「メキシコシティ五輪」というのは見当たりませんでした。そして、その記事を書いている記者がどこから発信しているかという都市名は・・・「メキシコシティー」ではなく「メキシコ市」となっているではありませんか!これは(当時は)間違いなく「シティー」=「市」に置き換えられる、置き換えるべきだという考え方だったのでしょう。当時のままだと、今回のオリンピックも「ソルトレーク市」発の記事になるでしょうが、やはり30年以上経っているので状況は変ってきていると思います。そして当時の新聞の本文は、どういう表記になっているかというと、

「第十九回オリンピック・メキシコ大会」

という表記なのです。やはり「国名表記」をしていたと考えて良さそうです。たまたま「国名十シティー」=「開催都市の名前」だったから、意味も通じるし、どこの国かもわかるという利便性があったのでしょうね。

この「メキシコ市」という表記で思い出したのは、河川の堤防の土手に立てられている、旧・建設省(現・国土交通省)の看板に書かれた英語。「淀川」は、「YODO RIVER」なのか「YODOGAWA RIVER」なのか?それを考えると、夜も眠れない。昼寝しなくちゃ。

2001/11/16

(追記)

メキシコシティーはなぜ「メキシコ市」という表記で、「メキシコシティー」という表記ではないのか?に正解が!!

先日の新聞用語懇談会放送分科会でその話が出たので、いろいろ話し合ってみると、

"「新聞用語集」には「メキシコ市」で出ている"というのです。驚いて、日本新聞協会編の「新聞用語集」(1996、10)の外国の地名の欄を見てみると、確かに、

「メキシコ市」と出ているではありませんか!そして「グアテマラ市」「パナマ市」というのもありました。

理由として考えられるのは、ともにスペイン語圏ですから、本来の現地の言葉での都市名に「シティー」という英語の言葉が入っていないのではないか?つまり、例えば「メキシコ・シティー」だと、「シウダー・デル・メヒコ」というように、英語の「シティー」に当たるスペイン語の「シウダー」(Ciudad)が使われているからではないか?という結論が出ました。古いからではなかったのですね。

ちなみに「オクラホマシティー」は「市」という表記ではありませんでした。

2001/12/21


◆ことばの話462「するなどして」

ニュース原稿には、ニュース原稿の定番とも言うべき表現がいっぱい出てきます。

普通に原稿を読んでいれば、また聞いていれば、あまり気にならないものも多いのですが、いったん気になりだすと、気になってしょうがないものもあります。

その一つがこの、



「するなどして」



なぜ、「するなど」のあとに「して」が来るのでしょうか?
考え出すと夜も眠れない・・・。

そもそも、「など」を動詞の後に持ってくるところに何か違和感があるんですよね。

「など」は「名詞」のあとに 持ってくるのが普通と違いますか?例えば

「調整するなどして、打開策を探った」

という文章なら、

「調整して、打開策を探った」

で良いではないか。どうしても「など」を使いたいのなら、

「調整などして、打開策を探った」

という形も、ないではないけど。

思うに、限られた時間の中に出来るだけたくさんのニュース内容を盛り込みたい、そして、なかなか短く言い切ると語弊が出る、といったケースの特効薬として「など」を遣ってしまうところに原因がありそうな気がするなどしちゃったりしてからに。

するんか、せんのか、どっちやねん、はっきりせい!!

・・・コホン、失礼などしちゃったりなんかして・・・(広川太一郎ふうに、どうぞ。)

2001/11/9

(追記)

そもそもこの原稿を書こうとしたのは、11月初め、神戸で女性の下着ばかり3000枚も盗んだとんでもない男が逮捕されたというニュースを見て、でした。そのニュース原稿の中に、

「(この男は)盗んだ下着を壁に張るなどしていました。」

という原稿があったのですが、Uアナウンサー(女性)が、

「この、"張るなどして"っておかしくないですか?」

と質問してきたのです。やはりおかしいです、「などして」。

「下着を壁に張ったり、ロープに吊り下げたりしていました。」

なら、(その行為は別として)文章としておかしくない。

「下着を壁に張ったりしていました。」

だと、後半がちょっと寂しい。

いずれにせよ、この「などして」は、見直しをする"などして"も良い時期なのではないでしょうか。

2001/11/16


◆ことばの話461「この日は大ブレーキ」

「昨日は大活躍のA選手が、この日は大ブレーキ!」

というふうなフレーズを、夜のスポーツニュースでよく耳にします。

でも、ちょっと気になるんです、「この日」

このニュースは、そのゲームが行われた当日のスポーツニュースで伝えられているんですが、それならば「この日」ではなく、「今日」ではないでしょうか。

「この日」というのは、試合があった日から大分経って客観的に振り返る時に使うのなら良いのですが、試合があった当日の、まだ試合終了から何時間も経っていない時間に「この日」を使うのは何か違和感があるのです。

口癖のようについ原稿に書いてしまい、アナウンサーもついそのまま読んでしまうんでしょうが、「ドキュメンタリー」ではなく、「ニュース」として伝えるのであれば、「今日」という「新しさ」を盛り込む工夫をしっかり行うべきではないでしょうか。

「この日」は・・・「今日」はそう、思いました。

あっ、そう言えばここ数年よく使われる「大ブレイク!」の「ブレイク」と「ブレーキ」は同じ言葉ですよね。ブレイクするのと、ブレーキになるのでは正反対だなあ。

2001/11/8

(追記)

脇浜アナウンサーから、「ブレイクとブレーキは違いますよ」と指摘されました。調べてみると確かに違いました。

「大ブレイク」は「break」、壊すとか壊れるとか言う意味の。そして、「急ブレーキ」は「brake」で、つづりが違いますね。知らんかった。でも発音はおんなじなんですね。英語にも同音異義語があるんですね。当然か。

2001/11/20

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