◆ことばの話460「ノーと言える日本」

「NOと言える日本」という本がベストセラーになったことがあります。著者は、現・東京都知事の石原慎太郎氏と、SONYの盛田昭夫氏。今から12年前の1989年1月1日刊。時代が、昭和から平成に変わるまであと一週間という時期です。

なかなかアメリカに対して「NO」と言えずにYESマンである日本の状況に活を入れて、嫌なことはイヤと拒否できる、毅然とした態度を国際的にとれるようにしよう、というふうな本だったと思います。

この翌年(1990年)の8月にイラクがクウェートに侵攻、更にその翌年の1991年1月17日、イラクに対する攻撃が始まり、日本は海部内閣のもと、PKO法案の成立、430億ドルの資金提供などを行いました。

あれから10年あまり。今、アメリカ(とイギリス、自由主義経済諸国)はテロと戦っています。

そして、今朝(11月1日)の産経新聞の朝刊にこんな見出しが。



「日本はノーばかり〜WTO新ラウンド米通称代表が批判」



農業分野で日本がなかなか市場開放をしない現状に、ゼーリック米通商代表部(USTR)代表が、ワシントン市内の講演の質疑応答で話したというのです。

内容はともかく、私がこの記事の見出しを見て感じたのは、

「おお、日本もノーと言えるようになったんだなあ。」

ということ。それから、石原慎太郎と盛田昭夫さんの本の名前を思い出し、「あれが出たのはいつだっけ?」と調べたら、1989年ということ。「NOと言えない日本」が「ノーばかり」言うようになるまで、12年の歳月が経っていたという訳です。

しかしよく考えれば、当時でも市場開放にはなかなか首を縦に振らなかったのではないか?だとすれば、「十年一日」、あまり状況は変っていないようにも感じられますね。

10年経って、日本は本当に変わったのでしょうか?

あなたは、ノーと言えるようになりましたか?

えっ?NO?・・・言えてるじゃん。

2001/11/1


◆ことばの話459「その他・並びに・もしくは」

「テロ対策特別措置法」が、昨日(10月28日)参議院で成立しました。

その全文が今朝の朝刊に掲載されていたので、読んでみました。



「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置」



これが法律の正式名称です。111文字。永杉、いや長すぎ。

第一条も長いですよ。



「この法律は、平成十三年九十一日にアメリカ合衆国において発生した・・・(中略)・・・もって我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする。」



省略しましたが、320字。しかも、句点(いわゆる「。」)が、最後に一つしかないんです。こんなものを日本語と呼んでよいのか?

すっかり読む気をなくしたのですが、それでもなんとか読み進みました。

なんでこおおなに法律の文章って、わざとわかりにくく書いているんだろうか、ほんとに。

そんな中でいくつか気づく点がありました。

まず「その他」が多すぎる。全部で13条しかない法律の中で、「その他」という紋権が13回も出てきます。例えば、「アメリカ合衆国その他の外国」「実施の手続きその他の必要な事項」「諸外国の軍隊等に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の措置」「医薬品その他」「医療その他」「被災民救済活動その他」など。

こんなに「含み」のある表現でいいのでしょうか?幾らでも、何でも出できるように私には感じられますが。例えば、「アメリカ合衆国その他の外国」ってことは「全世界」、つまり国を限定していないことに等しいのではないか。

また、「協力支援活動」の「用語の意義」(「意義」は、「意味」のイミなんだそうです。)として記されている、「諸外国の軍隊等に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の措置」の「その他」に、「侵略に対する協力」「民間人かテロリストか区別がつかない場合の敵の排除に対する協力」とかなんとかいったことも含まれたりはしないんでしょうか。

もちろん、この法律の趣旨に照らし合わせればそんな事はありえないはずなんですが、「常識」というのは、「時代」と「場合」で変わるものですからね。「その他」という「あいまいさ」をできるだけなくした法律にすべきではないかと考えるのです。そうでなければ運用で、なんとでもなってしまいます。

そして、法律の文章に関して。

「及びに」「並びに」が多すぎる。これがあるために、文章の意味が取りにくくなっています。例えば、



「当該活動を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等の規模及び構成並びに装備並びに派遣期間」(第四条2−4−ニ)



並びすぎじゃ!箇条書きにすればいいんじゃないの?



「当該活動を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等の

【1】規模

【2】構成

【3】装備

【4】派遣期間」




ホラ、分かりやすい。

「もしくは」も、イヤラシイですよ。



「国際連合の総会、安全保障理事会もしくは経済社会理事会が行う決議または国際連合、国際連合の総会によって設立された機関もしくは国際連合の専門機関もしくは国際移住機関(以下「国際連合等」という)が行う要請に基づいき・・・。(第一条二)



という文章。モスクワではありません、「若しくは」=「もしくは」。これ、ないといけないんでしょうか?えーい、取っちゃえ!(ついでに「国際連合の」を「その」に置き換えちゃえ。)



「国際連合の総会・安全保障理事会・経済社会理事会が行う決議、または、国際連合・その総会によって設立された機関・その専門機関・国際移住機関が行う要請に基づき・・・」



どうです?すっきりしたでしょう?

どうもこの手の文章には「もしくは」とか「並びに」が多すぎる。とってしまったところで、意味上は全く影響がないどころか、かえって分かりやすい。

わざと分かりにする理由は、弁護士がその職を失わないため?

あと、「及び」と「または」も多いですよ。

法律に含みを持たせることの必要性は認めますが、こんなに含みを持たせた上で、一般人が普通には読めない文章で書くことによって、法律が、庶民から縁遠いものだと思ってしまうことのデメリット及び非民主主義性並びに国民として当然享受できるはずの権利または義務の喪失もしくは減少その他不必要なコトバの増加は、大きいのではないでしょうか。

2001/10/29


◆ことばの話458「清原選手のTシャツとモンテディオ山形のユニフォーム」

今までで一番長いタイトルになってしまいました・・・。

さて、「週刊ポスト」の最新号をパラパラ見ていると、巨人の清原選手の写真が目に留まりました。FA(フリーエージェント)権を行使して、他球団へ移籍するかどうかが注目されていましたからね。結局巨人に残るみたいですが。

その清原選手が着ているTシャツのデザインに「おっ!」と思いました。そこにはまるで落書きのように、いくつもの「大阪弁」が縦書きに記されていたのです。その大阪弁とは・・・・。



「しゃーないやんけ やかまっしゃい こるあー どないすんねん

ワレー ドアホ ボケカス 許さん やったる オドリャ ボケ

かかってこんかい やかましいのお どないかならんか いてもうたろか

アホ アカン」




い、一体なんというTシャツなんでしょうか?どこでうってるんでしょうか?

よく英語で「FUCK」とか、欧米人なら口に出来ないような言葉が書かれているTシャツを着ている日本人は見掛けますが、あれは意味が分からないから、絵として見ているから着ていられるのです。欧米人なら着ていられないでしょう。大阪弁に堪能な清原選手は、一体どういう事を考えて、この大阪弁Tシャツをきているのでしょうか?常人では考えられません。すんごい。



さて、その前日(昨日=10月28日)、J2のサッカーの試合を見るとはなしに見ていました。対戦カードは、京都パープルサンガとモンテディオ山形。パープルサンガは地元なので紫のユニフォームを見たことありましたが、山形のは初めて見ました、黄色のユニホーム。その胸のところに、スポンサーのロゴが入っていました。そのスポンサー名とは、ひらがな4文字で・・・。



「はえぬき」



これも結構、力抜けそうな感じです。このお米を食べれば力出るんでしょうけど。

ちなみにパープルサンガは「京セラ」と胸に、コンサドーレ札幌は「白い恋人」なんてスポンサー名が、背中に入っています。

2001/10/29


◆ことばの話457「ニュースピーク」

「1984年」という小説をご存知でしょうか?イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが書いたものです。内容は、新潮文庫の裏表紙によると・・・、

「1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、オセアニア国では<偉大な兄弟>に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想や言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理の下に置いていた。この非人間的な体制に反発した真理省の役人ウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止されていた日記を密かにつけ始めるが・・・・」

とあります。
この小説は1947〜48年に書かれたもので、新庄哲夫氏の翻訳によるこのハヤカワ文庫版は1972年に初版が出ています。以来2000年9月15日までに42刷を数えるロングセラーです。(それより前の1950年に、翻訳本は出ているようですが。) 私は、1984年を翌年に控えた、1983年、大学生の時に初めて読みました。
この小説に出て来る主人公のウインストン・スミス(39)は、オセアニア国の 「真理省(ミニストリー・オブ・トルー=新語法ではミニトルーと呼ばれる。)」
に勤め、住む家の名前は、
「勝利マンションズ」。
そのマンションの各階の踊り場には、
「“偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている”と書かれた大きな顔のポスター」
が張ってあります。(なんか、どっかの政党のようですね。「真理省」という役所の名前も、この小説を読んだ頃は現実味がありませんでしたが、2001年の省庁改革で、“文部科学省”だの“国土交通省”“環境省”“厚生労働省“だの、新しい名前の役所が出てきてからは、そんな名前のお役所があってもおかしくないな、と感じてしまいます。) 家の中には、常にスイッチを切ることの出来ない双方向壁面テレビ
「テレスクリーン」。
があり、
「思想警察」に常に監視されています。常に・・・ブロードバンドの常時接続ってこと?常時・・・じょうじ・・・ジョージ・オーウェル。
1947〜48年に書かれた、悪夢の「近未来」の世界「1984年」は、(今となっては「近過去」になってしまった)1984年には実現しなかったかもしれませんが、それからさらに17年経って、21世紀に入った現在(つまりジョージ・オーウェルが『1984年』を書いてから53年後)なにやら、現実味を帯びた社会世相のように感じられてなりません。

この小説では「言語」まで、全体主義体制の完全な管理の下に置かれていたとありますが、その言語の呼び名は「新語法(ニュースピーク)」。「イングソック(IngSoc)」。と呼ばれる社会体制(これは「英語」の「イングリッシュ(English)」と、「社会主義」の「ソシアリズム(Socialism)」を足して2で割った、オセアニア国を支配する中心思想)を体現するための言語が、「ニュースピーク」です。 オーウェルは、この「ニュースピーク」に関して、ずいぶんと思い入れがあったようで、小説のおしりのところに、「付録」として「ニュースピークの諸原理」というものを17ページにわたって書いています。付録にしては、力、入りすぎ。

それによると、「ニュースピーク」の目的は、「イングソック」の熱狂的な支持者に固有な世界観や精神的慣習に対して一定の表現手段を与えるばかりではなく、「イングソック」以外のあらゆる思考方法を不可能にするということでした。つまり言葉による「洗脳」ですね。二次的な意味をなるべく剥奪することによって、好ましくない言葉の意味をなくし、語彙を削減することによって、思考の範囲を縮小するために考案されたものなのです。 「ニュースピーク」の語は大きくA、B、Cの3群に分けられています。

A群=日常生活のビジネスに必要な用語。「打つ」「走る」「犬」「木」「砂糖」「家」「畑」など。
B群=政治用語。すべて合成語で成り立つ。「正当性(goodthink)」「思想犯罪(crimethink)」など。
C群=科学、技術用語。

そして、この「ニュースピーク」を唯一の言語として育ったものは、平等という一語に「政治的平等」という二次的な意味もあったこと、あるいは「free」がかつて“知的に自由”という意味したということも知らなくなる筈、とあります。

ここまでオーウェルが言葉にこだわったのは、なぜか?それはやはり言葉の持つ支配性に彼が敏感だったからではないでしょうか。彼は第二次世界大戦が始まってから、BBC海外放送のインド部に勤務しますが、この時の経験が「ニュースピーク」を創造する時に役立った、と訳者の新庄哲夫氏は、解説で書いています。

言葉が国家によって支配の手段として使用されることについて書かれた、こんな本を見つけました。ルイ=ジャン・カルヴェ著、西山教行訳「言語政策とは何か」(白水社)。この本は、次のような一節で始まります。

言語や言語状況に対する人間の介入は最近のことではない。さまざまな人間が言語の正しい語法を定め、規範化し、言語形態に介入するようになったのは、今に始まったことではない。はるか昔から政治権力は特定の言語を優遇し、一言語のもとに国家を管理し、多数者に少数言語を押し付ける選択を行ってきた。(7ページ)

そういうことらしいです。つまり、政治(=統治)の重要な手段の一つとして、言語は政策によって定められてきた一面があるということです。そしてそれは、政府の政策を間違いなく伝えるため、つまりコミュニケーション機能を高めるために行われました。しかし、次の一節にあるように、「コミュニケーション機能」は「言語の表現機能」とは相反する到達点を目指しているのです。

「言語のコミュニケーション機能」はコードの画一化を、「言語の表現機能」は逆に(コードの)多様性を物語る。(18ページ、( )内は道浦が補いました。)

ここにおける「コード」とは、その言語を共通に使う個人や集団において(話者についても集団についても)何かを物語るものとして記されているようです。つまり、コミュニケーションをすんなりはかるためには、言語表現は多様でない方が通じやすいが、そうすると、表現の多様性は奪われてしまう、というようなことでしょうか。

ところで、アルフォンソ・ドーデの「最後の授業」という短いお話をご存知でしょうか。
昔は小学校の国語の教科書などにも載っていたのでご存じのお方もござりましょうが。(あれ?「外郎売り」になっている?)
お話は、フランス・アルザス地方のある学校で、いつものように行われる「国語」の授業。その授業の最後に、アメル先生が黒板に、
「フランス万歳!」
と書くのです。それを見た「僕」は、
「ああ、そうなのだ、ドイツに占領されたために、フランス語は今日までしか使えない。明日からはドイツ語を使わないといけないのだ。先生の“国語=フランス語”の授業はこれで最後なのだ。」 そう思うと、何か熱いものが「僕」の中に込み上げてくる・・・というふうな内容だったと思います。
これを子供向けの本か、教科書で読んだ時には、幼い私も感動して、
「ぼくも今日から“三色旗(トリ・コロール)”を持って、“ラ・マルセイエイズ”を歌おう!」
と思いました。(こんなませたことを考えたということは、そんなに幼くもなかったのかもしれません。)
しかし、つい先日、目からウロコが落ちる事実を知りました。
まず、この物語の舞台となったアルザス地方は、昔からフランスとドイツの領土争いで、あっちになったりこっちになったりしていたということ、そしてそこで使われていた言葉はどちらかというとドイツ語に近いものであったということ。つまり、 「フランス語は、フランスが支配していた時期だけ、学校で押し付けられた公用語だった」ということ。
ということは、フランス語で行った「最後の授業」に、深い思い入れがあったのは先生だけであって、子供たちにそういった思い入れがあったかについては、極めて“疑わしい”こと。先生でさえ深い思い入れがあったかどうか疑わしいということです。 ここに、作者ドーデのフランス愛国主義者としての「創作」があったのでしょうが、そういった背景を知らずに読むと、
「ドイツに占領されたために、これまで使っていたフランス語が使えなくなる悲しみ」
を胸一杯に感じてしまうではないですか。(私は感じました。)
言葉が民衆支配の重要な道具になることは、この一例からも感じられるのではないでしょうか。
これについて田中克彦さんは「ことばと国家」(岩波新書、1981、11、20初版)の中でこのように記しています。少し長くなりますが、引用しましょう。

ドーデはアルザスを舞台にした小話を、フランスがプロイセンに敗北した1871年から73年まで、毎月曜日、パリの新聞に連載した。・・・(中略)・・・この短編の性格を知るためにはまず舞台となったアルザスがどんなところなのか、その言語史的な背景を知っておく必要がある。・・・(中略)・・・その時以来、アルザスの北部では今日でもドイツ語のフランク方言、南部はスイス・ドイツ語に近いアレマン方言が話されている。・・・(中略)・・・アルザスの土着の人のことば、すなわちアルザス・ドジン語(ママ)はまぎれもないドイツ語の方言である。それをドーデは、「ドイツ人たちにこう言われたらどうするんだ。君たちはフランス人だと言いはっていた。だのに君たちのことばを話すことも書くこともできないではないかと」というふうにアメル先生に言わせているのである。いったい自分の母語であれば、書くことはともかく、話すことができないなどとはあり得ないはずだ。だからこの一節は、この子たちの母語がフランス語でないことをあきらかにしている。

20年前に、もうこのようなことが書かれていたんですね。私はこの本を1983年に買ってそのままにしていたようです。そろそろ読む時期になったのかな、私にとって。

話が横道にそれました。全体主義国家ではない当時のフランスにおいてさえ、言語(母語)に対する思慕の念は愛国心をあおり、その国民を、言語に関する唯一の規格を求める「言語全体主義」の方向に導きます。これは多様性を容認する多言語国家とは全く逆の方向です。 全体主義国家においては、多様な価値観など必要ありません。否、持ってはいけないのです。「1984年」の舞台「オセアニア国」がコードの画一化を図ったのは当然のことでしょう。そして、オーウェルは、そういった事を実際に行ってきた国の実態を、イギリス植民地下のインドやビルマ(今のミャンマー)で、またスペイン市民戦争の中で、つぶさに見てきたのではないでしょうか。それが、「ニュースピーク」という架空の言語についてのここまで詳しい記述となっており、小説「1984年」の中においても重要な役回りを与えられている原因なのではないでしょうか。

これは「逆もまた真」なのかどうか。それはわかりませんが、単語が一つの意味しか持たない言葉に収斂されていくようになった時、また語彙が少なくなる方向に急速に進む時、河の激流になすすべもなく流されるのではなく、その行く手に「全体主義」が待っていないかどうか、慎重に見極めることが必要ではないでしょうか。見極めることが出来なかった時に到着する場所は・・・21世紀の「1984年」です。
2001/11/9


◆ことばの話456「ネコもシャクシも」

10月21日の日経新聞の文化欄に、2001年の芥川賞受賞作家・玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが「ネコもシャクシも」というエッセイを書いてらっしゃいます。玄侑さん、本職は臨済宗のお坊さん。1956年福島県生まれ、慶応大学卒業の「慶応ボーイ」ならぬ、「慶応ボーズ」(失礼!)です。

内容はともかく、そのタイトルにもなっている「ネコもシャクシも」ですが、それに関して、こう、書いていらっしゃいます。



「ネコもシャクシも」喪中につき、と言うけれど、ネコが禰子(神道の信者)でシャクシがじつは釈子(仏教徒)であることも、殆んどの国民は知らなくなっちゃいましたよ。



えーっ!そうだったのか。


わたくし、「殆んどの国民」でありました。そうかあ、「ネコ」が「猫」じゃあ、やっぱり変だもんね。さすが、芥川賞作家!と、この新聞記事をコピーして、あちこちで「ねえねえ、"ネコもシャクシも"の本当の意味って知ってる?」などと言いふらしてまわりました。

「ネコもシャクシも」で思い出すのは、数年前、桂文珍さんが演じていた、パソコンにうといお父さんを題材にした新作落語に出てきた、この一節、

「最近はネコもシャクシも、マウス、マウスって言いやがって・・・。」

ですが。

それはさておき、数日後、一応辞書を引いておこうと、日本最大の辞書である「日本国語大辞典」(小学館)の第二版を引いてみました。すると、「ねこも杓子も」の語源について、こんな記述が。



語源については「猫も杓子も」(楳垣実)に諸説があげられている。(イ)禰子(ねこ)も釈氏(しゃくし)も(神主も僧侶も)の意の変化したものとする滝沢馬琴の説、(ロ)「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も(女も子どもも)」の意とする落語「横丁の隠居」の説。(ハ)杓子は主婦をさすもので、家内総出の意かとする説など。



と、3つの説が記されておりました。なーんだ、「禰子も釈子も」説が正しいと決まった訳ではないんですね。でも結構、説得力あるもんねえ。

落語の説については「なーんだ、落語かあ」と思いがちですが、それに関してこんな記述が。



語源の研究は、いわゆる民間語源説におちいる危険に常にさらされている。よく寝るから「ネコ」(猫)というか、犬とは、「家寝(イヘヌ)」の約であるとか。今日ではこうした落語に近い語源説は否定される。しかし現代の学者の説も、むつかしげな体裁を整えた論議であっても本質的には推定以上へと出ることはできないものである。



これは、大野晋「新版日本語の世界」(朝日新聞社1993年10月25日刊)に書かれている文章です。

みなさんは、「ネコモシャクシも」の3つの語源説のうち、どれを指示されますか?

えっ?「禰子も釈子も」説ですか?なーんだ、玄侑さんと同じじゃないですか。まーったく、ネコもシャクシも・・・・。

2001/10/29

(追記)

2002年12月24日の読売新聞朝刊の「編集手帳」に、「ネコもシャクシも」の語源説に関連したことが書いてありました。映像ディレクター・吉田直哉さん(元NHKでしたよね)が創案した言い回しに「ネコでシャクシで」というのがある(文春新書「発想の現場から」)と紹介していますが、たしかにこの季節、クリスマスに年末の墓参り、神社への初詣と「ネコでシャクシで」なんですね、日本人て。英語や日本語ででクリスマスソングを歌い、年末はドイツ語で「第九」を聞き、お正月はお琴の音色で「春の海」や「六段」。まあ、いいじゃないですか、いろいろ楽しめて・・・・。

2002/12/26

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