◆ことばの話455「"まとわる"と"まつわる"」

「電車の中で、こんな会話を耳にしてさぁ。」

と先輩の牧野アナウンサーが話し掛けてきました。

「じゃれついてくる子供に母親が、"もう!まつわりつかないで!"と叱ってたんだよね。けど、"まつわりつく"じゃなくて"まとわりつく"が正しいんじゃないかな、と思うんだけど。」

なるほど、言われてみればそんな気がしますね。

さっそく辞書を引いてみました。まず「新明解国語辞典」。すると、「まとわる」は項目として立っておらず、「纏(まつ)わる」しか載っていません。その「まつわる」は、



「纏わる」=【1】からみついて、離れないでいる、まとわる。「着物のすそが足に〜」「母親に〜子」【2】関係(縁)が有る。「地名に〜伝説」



と出ていました。

この辞書によると、電車の中の母親は正しかったことになりますね。例文も「母親にまつわる子」というのが出ていますし。

でも、例えば「母親にまつわる、子の伝説」と「母親にまつわる子、の伝説」の区別はどうするんでしょうかね?後者は「母親にまつわる子にまつわる伝説」というような表現になるんでしょうか?

同じ三省堂から出ている「三省堂国語辞典」によると、「まとわる」は載っていません。「まとわりつく」は載っています。「まつわる」「まつわりつく」は両方項目立てしています。

「まつわる」=【1】からみつくようにする。【2】関係する「星に〜伝説」
「まつわりつく」=物や人の・まわり(そば)にしっかりと(からみ)ついて、はなれない。まとわりつく。まといつく。「子供が母親に〜」




ここでは、「まつわりつく」の例文として「子供が母親にまつわりつく」がありました。

いずれにせよ、「まつわりつく」でも良いということになりますが、語源は、その漢字からも想像がつくように、「江戸時代の火消し」が使っていた、あの「纏(まとい)」のようです。「纏」は火事場での目印ですが、棒にくっついたヒラヒラが、棒にくっついた状態が「まとい・つく」のでしょう。あれ?ちょっと待てよ。それより前に「纏(まと)う」という動詞の方が先か。「身に纏(まと)う」なんて、使いますよね。

そうすると、「まとわりつく」は「まと(う)」「わり」「つく」という3つの動詞がくっついた複合動詞ってことかな?「まとう」「つく」はわかるけれど、真ん中の「わり」って何?いやいや、「まとう」が他動詞で「まとわる」が自動詞か。けど「まつわる」はあるけど「まつう」はないなあ。

そう言えば、「つきまとう」という言葉もありますよね。「まとう」はベッタリと、あるいはピッタリとくっついてくる感じの言葉ですね。

「まとわる」と「まつわる」で、違うのは「と」か「つ」ですが、これに関してこんな記述を見つけました。



「刀弥売(とみめ)」のトは、トの甲類の音、toで、この音は、しばしば「ツ」tuという音と交代した。例えばミナト(港)という言葉は、「水(ミ)な門(ト)」ということで、「海や川の入り口」という意味であったが、このトという言葉は、独立してツ(津)となった。「伊勢は津(ツ)で持つ、津(ツ)は伊勢で持つ」という俗言があるが、地名となった津も、もとをただせば、やはり水門、あるいは、船のつくところという意味であった。また、同じ植物を「ツガの木」とも「トガの木」ともいっている。このように、tuとtoとは交代することがあったので、tomi(富)はtumiの交代形ではなかったかと思われる。

(大野晋「新版 日本語の世界」朝日新聞社1993年10月25日)



そうか、「と」と「つ」は交代することがよくあったのですね。大野先生によると。そうすると、「まとわりつく」と「まつわりつく」の「と」と「つ」が交代したと考えて、共に意味は同じということはあり得る訳だ!

とりあえず、「まとわる」「まつわる」にまつわるお話は、このへんで、チョン。(木の入る音)。

の、つもりでしたが語感に関して、いろいろ新しい展開が出てきました。後輩の萩原アナウンサーと村上アナウンサーと一緒に昼飯を食べながらこの話をしていたら、萩原アナが、



「"まつわる"のほうが、よりピッタリとくっついてくる感じがしますね。だから、"○○にまつわる伝説"とは言っても、"○○にまとわる伝説"とは言いませんよね。これはやはり"まつわる"の方がよりピッタリくっついてるからじゃないですかね。」



「そう言えばそうかな。"スカートのすそが足にまつわりついて"の方が、"すそがまとわりついて"より、ニュアンスが伝わるね。それに、"まとわりつく"は、"生き物"がくっついてくる場合(人間や動物など)で、"まつわりつく"は"無生物"がくっついてくる感じ(スカートのすそ、伝説など)もするなあ。」




今日は非常に有意義なお昼ごはんを食べることが出来ました。

ごちそうさまでした!

2001/11/1

(追記)

「まとう」が自動詞で「まとわる」が他動詞、(「まつわる」に関して)「まつう」はないなあ、と本文の中で書きましたが、「纏(まつ)る」はありました。「纏(まつ)り縫い」の「まつる」です。

2001/11/7


◆ことばの話454「32キロ四方」

10月22日発売のアメリカの「ニューズウイーク誌」最新号が、

「アメリカ情報当局がビンラディン氏の潜伏地域をアフガニスタン内の32キロ四方の中と特定した。」

と報じたそうです。(毎日新聞10月23日朝刊による)

この文章の中の「32キロ四方」という表現について、知り合いから「どうもおかしい」というメールを貰いました。どういう事かというと、

「私は"32キロ四方"というと、"一辺が32キロの正方形"だと思っているのだが、某テレビで、"直径が32キロの円の範囲"と図示していたので、周りの者に聞いてみると、"半径が32キロの円の範囲"とか、"一辺の半分が32キロ(つまり一辺は64キロ)の正方形"だとか、みんな言うことが違うのです。一体世の中、どうなっちまったんでしょうか?」

ということだったのです。私も「32キロ四方」は「一辺が32キロの正方形」だと思っていましたので、会社で25人に「32キロ四方という範囲を図示して!」と協力を要請しました。その結果は、

【1】一辺が32キロの正方形(正解) ・・・15人
【2】一辺が8キロの正方形(周囲が32キロ) ・・・2人
【3】半径が32キロの円 ・・・3人
【4】【1】または【3】 ・・・2人
【5】一辺がルート32の正方形 ・・・2人
【6】一辺が64キロの正方形
  (一辺が32キロの正方形が4つ)
・・・1人

OH、NOぉ!

どうなってんねん!?

もちろん正解は【1】なのに!!

なぜこんなにもみんな間違った認識をしているのか?

考えられるのは、まず「四方」という言葉が「正方形」というふうにはとられずに、「四方八方」の「四方」、つまり360度の範囲と考えて「半径32キロの円」という答えが出てきたのではないか、ということ。

もう一つは、「一辺が32キロ」という数字が、日常的な考えの中にないために、台風の規模を言う時のような「○○から半径32キロの範囲内は暴風雨圏に入ります。」というイメージが重なったのではないでしょうか。きっと「5センチ四方の範囲」といった時には、みな、正方形の範囲を図示するでしょうから。

それから、「32キロ(メートル)四方の範囲」といわれた時に、「範囲」=「面積」と勝手に思ってしまって、「32平方キロメートル」と思い込み、「何と何をかけると32になるか?」という問題を自分の頭の中で作って、「4×8」の長方形を書いた人もいました。「一辺が、ルート32キロの正方形」を書いた人も、同じ間違いを犯しています。きっと、この設問を「36キロ四方」とか「81キロ四方」とか、九九の同じ数字を重ねる数字(まさに平方)にしたら、きっともっと多くの人がひっかかって、「一辺が6キロの正方形」や「一辺が9キロの正方形」を書くことでしょう。それにしても、これは日本の算数教育のせいなのでしょうか?それとも日本の国語教育のせいなのでしょうか? それとも、新しい認識による「32キロ四方」が、今後何年かで、「新しい常識」として定着していくのでしょうか?不安じゃあ。

2001/10/28

(追記)

不安適中!

京都の女子高の先生に、「今の高校生に、32キロ四方ってどんな範囲と考えているか、聞いてみてくれませんか?」とお願いしたところ、返事がありまして、

「従来通りの"1辺が32キロの正方形"と答えた生徒は、クラスの3分の1、残りの3分の2は、半径が32キロの円、または楕円と答えた。」

というのです。ただし、理数系の進学クラスでは、従来の「1辺が32キロの平方形」と答える率が高かったそうです。

そうするってーと、やはり算数教育に問題がありそうですね。きっちり理数系をやってる方が正答率が高いんですから。よろしくおねがいしますよ、算数と数学の先生方!!

2001/11/2

(追記2)

「32キロ四方」というのは、なんか中途半端だなと私も思っておりましたら、どうやらもとは「20マイル四方」なんだそうです。1マイル=1、6キロなので、20マイルだと32キロになりますね。

またアメリカは、やはり軍事衛星でアフガニスタンを捉えていて、その衛星からの賽の目状の区域が「20マイル四方」だったり、一番小さな区画だと「1キロ四方」だったりするそうです。

「週刊大衆」の11月19日号に「厳冬のアフガン限定32キロ四方の攻防」という見出しの特集にそういうふうに書かれていました。

2001/11/7


◆ことばの話453「空メール」

「あーっ!森さんにカラメール送っちゃったぁ!」

後輩の森若アナウンサーが、そんな素っ頓狂な声を上げました。

「あーあ、やったなあ・・・。」

と大田アナウンサー。

それを聞いた私はすかさず質問。

「カラメールって何や?」

「えっ?道浦さん、知らないんですかあ?」


と、若者二人がこちらを「おじさんだなぁ」という目つきで見ています。知らないものは知らない。しようがありませんから、聞きました。

「相手のアドレスだけ入れた時点で“送信”を押しちゃって、メールのメッセージ文章がまったくないまま、相手に送ってしまうメールのことですよ。」

と親切に大田アナウンサーが教えてくれました。

なるほどねえ。初めて聞きました。「カラオケ」と語構成上は似ていますね。

パソコン用語は英語から入ってきたものが多いですが、ケータイメール用語はもっと庶民ぽい感じのものが多いようですね。

さっそく「カラメール」YAHOOで検索したところ、736件ありました。エキサイトで312件。

「結構あるんだねえー。」

と大田アナに言うと、

「僕の感覚から言うと、700件っていうのは少ないと思いますよ。」

と答えるではありませんか。そこで念のため「空(から)メール」と、漢字を混ぜたキーワードにしてもう一度検索してみました。すると!!YAHOOで2万9000件、エキサイトで1万2257件も出てきました!スゴイッ!

「現代用語の基礎知識2001」を見ましたが、まだ載っていません。

この12月には出るはずの2002年版には、載るかもしれませんね。新語として。

2001/10/28


◆ことばの話452「"早い"ということ」

eメールというものは本当に便利なものですね。しかしその反面、メールの応対に結構、時間がかかってしまう、ということもあります。

去年、角川書店の角川歴彦社長の講演を聞いた時に角川社長が、こういう話をされました。

「メールを使うようになって便利になったという話を聞きますが、では、メールのおかげで自分の自由な時間が増えたかというと、そんなことはない。私なんかも、逆にメールを読んだりその返事を書いたりするために、以前より30分早く出社するようになった。」

と。

先日、東京日帰り出張から戻ってきた妻が、一緒に行った上司が、

「以前は東京出張といえば1泊2日が当たり前だったのに、新幹線が出来て日帰りになった。最近は"のぞみ"だと2時間半で着いてしまうから、なんか、せわしない。」

と話していたというのを聞いて、ハタと気づきました。

新幹線もメールも同じ事だったのです。

今まで時間がかかっていたことを、それまでより早く出来るようになると、その分、時間にゆとりが出来る。しかし、その分「楽」になるか?というと答えは「NO」です。

できた「ゆとり」の時間に、人間は他の仕事を入れてしまうものなのです。

だから、「楽になるどころか、以前より仕事量が増える。」というのが、正解です。

なぜ、そうなるのか?それは、

「大量生産大量消費の自由主義経済社会、資本主義経済社会のしくみがそうなっているから。」

です。思い起こせば、産業革命が起こった時(といってもその時代には、まだ生まれていませんが)、人間よりも短時間にたくさんの仕事をこなせる機械が導入された目的は「単位時間あたりの生産量を増やすこと」だったはずです。(この考えは今では「農業」にも取り入れられているのはご存知の通りです。)

その考え方は、400年経った今でも、基本的に変っていません。

ここ2、3年「メディア・リテラシー」の必要性が訴えられています。情報の洪水の中で、必要な情報を選ぶ力が求められているのですが、メールの導入によって仕事のスピード化が図られた現在は、それによってもたらされた仕事の洪水に流されずに、自分の能力や状況を考えて判断すること、つまり、

「ジョブ・リテラシー」

が求められているのではないでしょうか。

2001/10/28


◆ことばの話451「リテールバンク」

今日(10月26日)の朝刊にこんな全面広告が載っていました。



「あさひのリテールが、前進します。」

「リテールバンクの理念をさらに深め、スーパー・リージョナル・バンクへ。」




こんなコピーとともに、10月26日、つまり今日就任する、あさひ銀行の梁瀬行雄頭取の大きな写真が載っていました。

その上のところには、



「広く信用される、お客様にとってもっとも使い勝手の良い銀行」にしていきたい。



とあります。バブル期に、証券会社が小口の個人顧客を「ドブ」と呼んだりしていたように、大銀行もこれまでは、個人よりも大企業などをメインの顧客にしていましたが、その姿勢を方向転換し小口の顧客も大事にします、という企業姿勢の表明なのでしょうが、ここで疑念が生じました。「リテール」という言葉です。

英和辞典で「リテール」を引いてみると、



「retail」=小売り(の)、小売りで、小売りする



などと、名詞、形容詞、副詞、動詞で出てきました。

「現代用語の基礎知識2001」で「リテール・バンキング」を引いてみると、



「個人などを相手とした小口金融業務をさす」



とあり、これに対する(反対の)ものとしては、

「ホールセール・バンキング」=大企業などを対象とした大口の金融業務をさす。

が、あるようです。「ホールセール」というと、私は倉庫がそのままお店になっている酒屋さんを思い浮かべますが。

「リテール」は、最近でこそ少しは一般でも使われるようになってきたかもしれませんが、まだまだ十分に浸透したとは思えません。銀行側にとっては「常識」と言える言葉でしょうが、あくまで銀行の「業界用語」だと思います。

その「業界用語」を使って、本当に「お客様第一」の姿勢を取れるのか?それは「銀行本位のお客様第一主義」に過ぎないのではないか?

銀行口座を財布がわりに使っている、町のおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんに、「リテール」の意味が通じると思いますか?

別にあさひ銀行に限った話ではないのですが、もう一度、この言葉について考えて欲しいな、と思いました。

「リテールバンクの理念を深める」のであれば当然、「リテール」などという言葉を使わない方向に進むハズです。

2001/10/26

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