◆ことばの話445「白い粉」
アメリカで広がっている「炭疽(たんそ)菌」ばらまき事件。日本を始め世界でも、「白い粉」に対する警戒が日に日に広まっています。

昨日(10月21日)も、新幹線「のぞみ」の車内で「白い粉」が見つかり大騒ぎになりましたが、調べたところ「どうもお菓子(大福餅かなにか)の粉らしい。」ということで一件落着。もう最近は「白い粉」であれば、メリケン粉でも塩でも砂糖でも、おかしなところにこぼしてそのままにしておいたら、大変な事件になってしまいますから、注意しましょう。

一方ブラジルのリオデジャネイロにあるニューヨーク・タイムズの支局に送りつけられた粉についても検査が行われ、「精密検査の結果、炭疽菌は検出されなかった。」と発表されました。

そのニュースを伝える読売新聞の記事が、

「ブラジルの粉末は"シロ"」

つまり、「炭疽菌の疑いは晴れた」ということなのですが、字面だけを読んでいると、

「シロ(白い粉)だから、炭疽菌かどうかを調べたのではないか?」

という疑問が、フト湧きます。これは記者の"ダジャレ"なのでしょうか?

もしこれが「炭疽菌」だと断定されていたら、見出しは、

「白い粉は"クロ"」

という、論理的に矛盾した文章になってしまうのではないでしょうか。



この"シロ"という表現、最近頻繁に新聞紙面に登場します。狂牛病関係です。

もちろん以前から、日米貿易摩擦で「ダンピング認定」されるかどうかで"シロ" "クロ"は使われていましたし、古くはロッキード事件、もう少し最近(とは言え10年以上前ですが)ではリクルート事件で"クロ" "シロ"、あるいはそのどちらでもない場合は「灰色」なんてのも使われていましたね。

それはともかく、10月18日から始まった食肉牛の「全頭検査」で陰性だと「シロ」、陽性は「クロ」というふうに表記されています。それで、

「牛だから"シロ" "クロ"という表現を使うのかな?」

とつぶやいたところ、周りの人が、

「和牛は大体"黒"ですよ、白と黒なのは、ホルスタインなんかの乳牛です。」

と言われて納得しました。牛の色と「シロ・クロ」という表記とは関係ないようです。

この問題については「シロ・クロ」決着がつきました。

2001/10/22

(追記)

今日(10月26日)の新聞には「クロ」が出てきました。米国国際貿易委員会(ITC)が油送管などに使われる日本製の大径溶接鋼管のダンピング問題で、アメリカの業界の被害を認める「クロ」の最終決定を下した、というニュースでした。見出しは、

"大径溶接鋼管ダンピング訴訟

「クロ」の最終決定〜ITC 市場から締め出し"


というものでした。

2001/10/26


◆ことばの話444「鉄棒で殴られて」

これもニュース原稿の話です。

大阪の街を歩いていたら「高校生風の若い男が鉄棒で殴りかかってきた」というのです。(10月18日・「ニュースダッシュ」)

こわいですねー。問題はこの「鉄棒」。

私はこのニュースを見た(聞いた)時、その若い男は、運動場に設置してある「鉄棒」を引っこ抜いて、殴りかかってきたのかと思いました。そうです、あの「逆上がり」をしたり「大車輪」をしたりの、あの「鉄棒」です。んなわけ、ないか。

辞書を引くと、もちろんその「器械体操用具」としての「鉄棒」とともに、たんなる「鉄で出来た棒」の「鉄棒」の両方の意味が載っていましたが、やはりふつう「鉄棒」と聞くと、「器械体操用具」のほうを思い浮かべるのではないでしょうか?「鉄で出来た棒」は「鉄の棒」と「の」を入れた方がよくないかなあ。

よその局のニュースを聞いていると、今度は、

「鉄の棒のようなもので殴りかかってきた」

と言ってました。

「鉄の棒」ではなく「鉄の棒のようなもの」。

「のようなもの」という映画が、昔ありましたな。大森一樹監督でしたっけ。(違ったかも。)もうひとつ「のようなもの」で思い出すのは、清水義範さんの「バールのようなもの」という本。よく強盗のニュースで、金庫やシャッターが「バールのようなもの」でこじあけられたというニュースを聞きますが、この「バール」ではない「バールのようなもの」とは一体なんじゃ?という話でした。確かに、そうだよな。「バール」もよくわからないし。と思っていたら、「バール」は、くぎ抜きの親玉みたいなもので、語源は「BAR」、つまり「棒」だって言うから、「なーんだ」てなものですよね。

話がそれました。

この場合の「鉄の棒のようなもの」は、なぜ「鉄の棒」と断定していないのでしょうか?

考えられるのは、「被害者が、とっさのことで、鉄の棒だったかどうかわからないけれど、棒状のもので、多分あの殴られた感じは"鉄"の材質だった。」ということでしょうか。

この「のようなもの」は一体どこにかかるのか?

「鉄のようなもので出来た棒」なのか、「鉄で出来た、棒のようなもの」なのか?

「○○のようなもの」を使う背景には、「"○○"であるかどうかは定かではない」ということがあると思います。そうすると、上のどちらなのかを考えると、

1「鉄なのかどうか、わからない」

2「棒なのかどうか、わからない」


という二者選択になります。

2は「棒なのかどうかわからない」ことはフツウ考えられません。まあ、後ろから殴られたりして、その「モノ」を見ていないのならそういう事も考えられなくもないですが。一方、1は確かに、材質が鉄なのか銅なのか、ステンレスなのか錫なのか合金なのかは、とっさのはわかりません。だから、こちらかなという気がします。

そうすると、わからないのはやはり「鉄」ということになるかもしれません。

ただ、この材質に関しては、「鉄」と言っているのは、「鉄か銅かステンレスなのか錫なのか合金なのか」の中の「鉄」ではなく、「金属の代名詞としての"鉄"」ということも考えられます。

いずれにしろ、この場合わからないのは「材質」や、それが持っている「用途」であって、「形状」は「見ればわかる」ものです。(視覚障害者のケースなどは除きます。)

そういった事を考えていると「棒とは何か」という疑問にぶち当たりました。

私が考える「棒」とは、「長くて直径は10センチ以内くらいの棒状のもの」あっ、あかん、「棒」使ってしもた。やり直し。

「長くて、直径は3〜10センチくらいまでの、まっすぐで、ある程度の硬さををもったものを指す。それ自体は目的を持たない。」

「何かを支えることに使われる場合は"つっかえ棒"というふうに"用途十(プラス)棒"という名前になるし、家の骨格を作るのに使われる場合は、ただの"丸太ん棒"が"柱"という名前に変わる。」

どうでしょうか?辞書を引いてみましょう。



<棒>

*「(手で握れ、肩にかつげるほどの)細長い直線状の木(竹・金属など)。」(新明解国語辞典)

*「細長い・木(竹・金属など)」(三省堂国語辞典)

*「手に持てるほどの細長い木・竹・金属など。」(新潮現代国語辞典)

*手に持てるほどの細長い木・竹・金属などの称。(広辞苑)




うむ、まあまあの棒・・・いや線ですね。

元に戻って、「鉄の棒のようなもの」は「鉄のような棒」なのかどうか。

これは「鉄のような金属の、棒状のもの」と考えるのが妥当でしょう。

結局、「器械体操の鉄棒」でないことだけは確かです。

それにしても本当に物騒ですね、首を絞められたり(「平成ことば事情443」参照)、鉄棒で殴られたり。

2001/10/19


◆ことばの話443「首を絞めて殺されている」

物騒な世の中になりました。輝ける未来・21世紀だと思っていたのに・・・。

さて、今回は推理小説のタイトルのようですが、ニュースの原稿の中の言葉です。

お年寄りの男性が、自宅に入った強盗に絞め殺されたというニュースでした。このニュース原稿が

「○○さんが、首を絞めて殺されているのが見つかりました。」

というものでした。

しかしこの「首を絞めて殺されている」というのが、正しくは

「首を絞められて殺されている」

ではないかと言う声が上がりました。確かに、主語が「○○さん」である以上、文法的には「絞められて」「殺されて」と、受動態の2連発になるべきでしょう。しかし、「られて」が2回続くと、なんか不自然な感じがするのも事実。そこで、「首を絞めて殺されている」という原稿が出てきた訳ですが、他に何か方法はないでしょうか?

「首を絞められて殺害されている」

ではどうでしょうか?

「殺す」の代わりに「殺害」という漢語を入れて、「られ」と「られ」の間をわずかですが、あけてみました。

語感としても文法上もクリアーするには次のような文章も考えられます。

「首を絞められて死んでいるのが見つかりました。」

これなら、受け身形は「絞められ」の1回だけだし、見つかった時の「状態」はたしかに「死んで」いたわけだから、語感の上からもOKではないでしょうか?

まあ、一番いいのは、こういったニュースを読まなくていい状況なんですけどね。

2001/10/18


◆ことばの話442「後方支援」

国会では、テロ対策新法をめぐる動きが続いています。一連の動きを見ていると、いかに言葉が大切かということを改めて感じさせられます。

例えば、「戦闘地域には武器弾薬を運ばない」と言った場合の「戦闘地域とは一体どこまでを指すのか?」であるとか、NATO言う「集団的自衛権」と、憲法が禁じる「集団的自衛権」とはどう違うのか?とか、同じ言葉であっても解釈一つで全く違う意味になってしまうケースが、いかに多いか。

今朝(10月16日)の朝日新聞(だけ)に載っていた記事なのですが、巡行ミサイル「トマホーク」を発射しているアメリカの艦船は戦闘地域か否か?というのです。

共産党の山口富男氏の質問に対して、中谷力・防衛庁長官は、

「戦闘行為の定義は、人を殺傷し、物を破壊する行為であるから、その場ではそういう行為は行われていないから、ミサイル発射は戦闘行為ではない」

と答弁したというのです。また津野修・内閣法制長官は、

「発射していない時間帯も十分にあるから、いろんなことはできる」

と答え、アメリカ艦船への自衛隊の給油や整備活動は可能との見解を示したそうです。

しかし!この報道が本当ならば、

「いくらなんでも、"ミサイル発射が戦闘行為ではない"なんて、一体どの口が言うねん!!」

と言わざるをえません。

サッカーにたとえると、日本の自衛隊の立場は、ホペイロと呼ばれる用具係ではないでしょうか。つまり、試合に必要なボールやシューズ、ユニホームといった用具を、試合が行われるグラウンドまで届けるお仕事。この場合、戦闘地域はもちろん「グラウンドの中」です。そして攻めているフォワードの選手だけが「戦闘」しているわけではなく、ディフェンスの選手もグラウンドの中で「戦っている」わけです。自陣の深いところ、つまり「後方」から「前線」のフォワードの選手に、ロングパスを送ることもありますしね。

もちろん実際の戦場は、サッカーのグラウンドのように、「白線」で囲まれている訳ではありませんから、こんなにはっきり色分けは出来ないし、どこが「戦闘地域」か?と言う定義は非常に難しいのはよく分かります。

しかし、だからと言って「常識で判断できる範囲」というのはおかしい。そこをきっちり定義しなくては、いくらでもその場その場で範囲が変ってしまい、場合によっては全く反対のことを指す同じ言葉が登場してくる危険性は十二分にあるからです。ある人にとっての常識は、別の人の非常識にあたることは往々にしてあります。

「正義」が誰にとっても「常識」であればあるほど、その「正義」の意味を吟味する必要があるのではないでしょうか。
2001/10/16


◆ことばの話441「横転と横倒し」

秋晴れの10月13日土曜日、京都府舞鶴市のイベント会場に設置された、空気充填式の滑り台が倒れて、子供たち10人がケガをするという事故が起こりました。この滑り台は幅5メートル・奥行き10メートル・高さ6メートルという大きな物で、形があのタイタニック号をかたどっていることから「タイタニックスラーダー」という名前なんだそうです。 この事故を読売テレビでは、「滑り台が横転して、子供たち10人がケガをした」と伝えました。このニュースを見て「おや?」と思ったのは、「滑り台は"横転"したのか?それとも"横倒し"になったのか?」という点です。新聞各紙の見出しと本文を見比べてみると、

  (見出し) (本文)
読売 空気式滑り台横転園児ら10人けが 脂製空気注入式滑り台(高さ六メートル)が突然、横倒しになった。
朝日 滑り台が倒れ子ら10人軽傷 樹脂製滑り台が倒れ・・・
毎日 仮設滑り台横転子供10人がけが 設式滑り台(略)が横倒しになり・・・
産経 (記事なし)
日経 滑り台横転10人けが タイタニックスライダー」が横転
滑り台は横転したという。・・・
淡路花博会場でも横転する事故があり・・・

ということで、朝日を除く3紙は、見出しに「横転」を使っているものの、そのうち2紙(読売・毎日)は、本文では「横倒し」を使っています。朝日は「横転」も「横倒し」も使わず、ただたんに「倒れ」としています。一方、日経は見出しも本文も「横転」を使っています。

私の語感では、「横転」は自動車のように動いているものが横に転がった場合に使い、「横倒し」は、ある程度高さのある固定されたもの(動いていないもの)が横に倒れた場合に使うような気がします。その語感から言うと、今回の滑り台は「横転」ではなく「横倒し」のほうが適当かな、という気がするのですが。もちろん「横転」にはもっとゴロゴロと横に転がるイメージがあって、横倒しはズドーンと倒れたらそれでおしまい、という感じがします。ちなみに「横倒し」は、辞書を引くと「よこたおし」と濁らない見出しにしている辞書と、「よこだおし」と、濁る見出しにしている辞書がありました。

2001/10/16