◆ことばの話420「彼からいただきました」
トップアイドルの浜崎あゆみさんが、TOKIOの長瀬さん(下の名前、出てきません・・・)と交際しているというのが、このところスポーツ紙を賑わしています。
これは浜崎さんが化粧品のCMの発表会で、さかんに左手の薬指にはめた指輪を見せびらかしたため、芸能リポーターが「その指輪はどうしたんですか?」と当然のように聞いたところ、彼女いわく
「彼からいただきました。」
この「いただきました」が気になるんですよね。「彼」というのはこの場合当然「恋人」を指します。恋人といえば、身内も同然。その身内からもらった物について「いただきました」という敬語を、外の人(=芸能リポーター)に向かって言うのは、なんか違和感があります。本当は、
「彼からもらいました。」
と言うべきではないでしょうか?きっと彼女は彼からこの指輪をもらった時には、「いただいていいの?」とは言わずに「もらっていいの?」と言ってるはずです。聞いていた訳ではないけれど。
まあそれはどちらでもよいと思いますが、やはり外に向かって言うのに「いただきました」は、ないんじゃないかなあ。ただ彼女としては、外に向かって言う時には丁寧な言葉を使うべきだと考えて「いただきました。」と言ったんだと思うのです。
こういう時に、我々としてはどういった言葉を返せばいいのか?「いただきます」に対しては当然、
「ごちそうさまでした。」
でしょう。
2001/9/4
(追記)
長瀬さんのファーストネームは「智也」でした。
2001/9/4
◆ことばの話419「三和土」
平成ことば事情417で「三和音」について書いた時に、「調査中」と書いた「三和土」=「たたき」。調べました。
まず「広辞苑」「新明解国語辞典」には「三和土」という見出しはありません。
「日本国語大辞典・第二版」によると、「たたき」は、
「(「たたきつち・叩き土」の略。「三和土」とも書く)赤土、石灰、砂利などににがりをまぜ、水で練ってたたき固めること。またそうして作った土間。現代ではセメントで固めたところもいう」
となっています。そのため「叩き」「敲き」とも書くそうです。どうやって作るか?当然たたいて作るんですね。
「暮らしのことば語源辞典」(山口佳紀・講談社)によると、
「土・石・石灰の三つを混ぜ合わせたところから、三和土とも書く」
とありました。どうやら、「たたき」を作る時に「材料を三つ和える」ところから「三和」という字をあてたのではないかと思われます。「一二和土」と書いて「たたき」と読ませるものも、インターネット上で見つけました。
夏目漱石の「三四郎」では、「和土」と書いて「たたき」と読ませています。(日本国語大辞典による)。やはり「作り方」を漢字で書いて、「たたき」と読ませる手法であって、「漢字」そのものの読みでは「たたき」とは読めないようです。
「子子子子子子、子子子子子子」
というのがありました。「こ」「し」「ね」という、「子」という漢字のいろんな読み方を、組み合わせて、
「ねこのこ こねこ、ししのこ こじし」(ネコの子、子ネコ、獅子の子、子獅子)
と読ませるものです。
また「莫大小」と書いて「メリヤス」と読むの何かも、一つ一つの漢字の読みだけでは、絶対に読めない読み方ですよね。
漢字を使った日本語って、本当に自由で奥が深いなあ、と感じました。
2001/8/31
(追記)
この8月に、没後20年(!)を迎えた、向田邦子さんの代表作の一つ「父の詫び状」を読み返していたら、いきなり最初のページに「三和土(たたき)」が出てきました。
「いま伊豆から車で参りましたと竹籠に入った伊勢海老を玄関の三和土(たたき)に置いたのである。」(向田邦子「父の詫び状」文春文庫)
ついでですが、この作品の中には「料(りょう)る」という言葉も出てきました。料理する、という意味です。
「海老一匹料(りょう)れなくてどうする、だからドラマの中でも人を殺すことが出来ないのだぞと自分を叱りながら・・・」
2001/9/4
◆ことばの話418「どうりで寒いはず」
「ズームイン!!朝!」で、解体作業が進む富士山頂のレーダーの様子を中継していました。その中で、アナウンサーが、
「ご覧ください、8月なのに氷が張っているんですよ。どうりで寒いはずですよねー。」
とコメントしていたんですが、ちょっと待って、それは逆じゃないかい!?
「氷が張っているから寒い」のではなく「寒いから氷が張っている」のです。
だから、それも言うなら
「8月なのに氷が張っているんですよ。それぐらい寒いということですね。」
とか 「8月なのに、寒いと思ったら氷が張っています!」
というべきでしょう。
コメントがヘンだと、テレビの前の私達の心も寒くなります。
「寒いと思ったら、コメントがヘンだったんですね。」
納得。どうりで、8月なのに寒いはずだ。
参考までに・・・。 「雨の降る日は、天気が悪い」という「当たり前だ!」と言われる文も、「天気が悪いから、雨が降るのだ」あるいは、「雨の降る日を、“天気が悪い”と定義付けた」のです。
「雨の降る日は天気が悪い」と同じくらい、「氷が張っていたから寒い」はおかしいと私は感じます。
ただ・・それまで寒くなかったのに、氷が張っているのを見て急に寒くなる・・・ということがない・・・とは限らないですねぇ。
2001/8/29
◆ことばの話417「三和音」
「三和土」と書いて「たたき」と読みます。なぜかは知らないけれど。(現在、調査中)
では「三和音」と書いてなんと読むか。
答えは「さんわおん」です。そのままやがな。
この「三和音」、ケータイの着メロの音楽に関するコマーシャルで耳にするようになった言葉です。辞書を引いてみると、
「一つの楽音と、それから三度および五度の音程を有する音とを重ねて作った和音。長三和音・短三和音・増三和音・減三和音の4種がある」(広辞苑)
ということだそうです。音楽の素人には実に分かりにくい書き方ですが、例えば「ド・ミ・ソ」という和音は三和音ですね。
では「和音」とはなにか?
「二つ以上の高さの異なる音が同時にひびいた時に合成される音。協和音と不協和音とがある。和弦。かおん。コード。」(広辞苑)
なんだそうです。
ただ、ケータイで言うところの「三和音」はちょっと意味が違うような気がするのです。
例えば最近は「64和音」などというケータイも登場していますが、これの場合の「64和音」というのは「64種類の音・音色が出る」という意味です。そこから類推すると、「ケータイの三和音」というのは、「3つの音色が出る」という意味だと思われます。
そうすると、広辞苑に定められたような「きっちりと決まった三つの音による和音」ではないと思われます。
まだこういった意味の「三和音」を載せた辞書には、お目にかかっていませんが、そのうち(近い将来)出てくるんでしょうね。その頃には、「256和音」とか、出てるでしょうね。ちなみにこの和音の数の増え方は、2の倍数で(4・8・16・32・64というふうに)増えているように感じますが、これはやはり「デジタルだから」なんでしょうね。
2001/8/27
◆ことばの話416「夢散」
結構、ダジャレが好きな私です。
しかし・・・最近のスポーツ紙、いや、一般紙(新聞)においても、その見出しにおけるダジャレは、ちょっと度が過ぎるんではないでしょうか?
「楽しく読めればいいじゃない」という意見もあるでしょうが、中には、タイトルをつけた人のまったくの一人よがり的な、「むりくり」のダジャレもあります。
そして、少し懸念しているのは、漢字の「音」をあてた、「ダジャレ熟語の氾濫」です。
例えばこの見出しにつけた「夢散」。「夢が散る」と書いて「むざん」と読ませるようです。たとえば、マラソンのオリンピック予選で、オリンピックを狙っていた選手が残念ながら候補に選ばれなかった時などにこの「夢散(むざん)」が使われています。よく出てきます。本来、「むざん」という読みの言葉は、このワープロでで出て来る漢字の熟語としては「無残」「無惨」「無慙」の3つがあります。広辞苑にはこのほか「ざん」の字が「りっしん偏に"斬"」という字のものも載っています。「慙」の「したごころ」が左横の「偏」に出てきた形ですね。意味は、
「むごたらしくて(かわいそうで)見ていられないこと。」「もと、"無慙"と書いて、僧が罪を犯しながら心に恥じる所のないことを指した」(新明解国語辞典)
だそうです。いずれにせよ、「夢散」の「むざん」はありません。読み方にしても「夢」は「む」と読めますが、「散」は「さん」であり、連濁で「ざん」となるのかどうか。
「散髪」「散発」「散会」「散見」「散華」「散歩」「散策」「散在」「散財」「散骨」「散水」(もとは「撒水」=「さっすい」と言ったが、"撒"の字が当用漢字外になったので、よく似た漢字の"散"をあてたことによって「さんすい」と呼び方まで変ったんだそうです。これと同じような言葉には、もとは「洗滌」=「せんでき」だった、「洗浄」=「せんじょう」などがあります。)「散大」「散弾」「散文」「散布」「散乱」「散米」など、「散」が最初に来る熟語ではすべて「さん」ですし、
「一目散」「解散」「胃散」「退散」
と「散」が後ろに来る熟語もやはり「さん」と濁りません。「ざん」は無理があるのではないでしょうか。
あっ、ひとつあった、「散切り頭」の「ざんぎり」。これは「散」が最初に来るにもかかわらず「ざん」ですね。ないことはないんだ。
自分の頭の中だけで考えるだけでは限度があるので、「逆引き広辞苑」で「んさ」の項目を引いてみましょう。すると「散」の項目に「胃散」「解散」「一目散」「逸散」「胡散(うさん)」「鬱散」「雲散」「雲集霧散(うんしゅうむさん)」「雲消(うんしょう)」「霧消」「解散」「潰散」「拡散」「家資(かし)分散」「閑散」「下散(げさん)「香じゅ(草冠に"需")散」「解散(げさん)」「口中散(こうちゅうさん)」「散々(さんざん)」「四散」「実母散」「集散」「聚散(しゅうさん・じゅさん)」「正気散(しょうきさん)」「消散」「蒸散」「しょう散」「星散」「粟散(ぞくさん)」「疎散」「退散」「逃散(ちょうさん)」「通和散」「適応放散」「逃散(とうさん)」「屠蘇(とそ)延命散」「屠蘇散」「野散(のさん)」「排毒散」「発散」「八方散」「腹散々」「飛散」「び散」「白散(びゃくさん)」「沸騰散」「分散」「放散」「母分散」「霧散」「離合集散」「離散」「和中散」
といったところが載っていました。そうそう、「散々な目にあう」の「散々」は「さんざん」と連濁で濁りますね。「散切り」とあわせて、「散=ざん」は、ありうるということですね、例は少ないけど。
横道にそれてしまいました。まあ、「散」と書いて「ざんと読むところまでは許容範囲としても、本来の「むざん」=「無慙・無惨・無残」という漢字と意味が、「夢散」によって駆逐されて取って代わられるのではないか?という危惧がある訳です。
このほかにも、
「新庄、魅せた」
のように、本来は「見せた」と書くべきところを、「魅力」の「魅」を使って、「魅せた」と書くのはもうスポーツ新聞では常識になっていて、「新庄、見せた」と書くと間違いのように思われるぐらいです。
ほかにも、これは勘違いから出たのか、字の持つイメージを優先したのか、
「カツを入れる」
という表現の場合には「喝」が使われています。しかし本来は「活」のはずです。
この件に関しては「平成ことば事情272カツを入れる」に詳しく書きました。
そんなことを考えながら歩いていた昨日、会社から帰る道で見掛けた、大阪市立科学館の広告看板には「宇宙に夢宙」という文字が。これも正しくは「夢中」ですよね。
ダジャレや言葉遊びはおもしろいし、それ自体を否定はしませんが、あまりにも氾濫すると、本来の形が忘れ去られてしまうのではないか?とちょっと不安な今日このごろ、です。
2001/8/28
(追記)
その後「日本国語大辞典・第二版」をひいてみると、「散切(ざんぎり)」は、他にも、「斬切」「残切」という字も使われています。「和英語林集成(初版)」(1867)には、「残切」で載っているようです。また、坪内逍遥の「当世書生気質」(1885〜1886)の中では、「斬切」で使われています。そして、当時(1871)出た「散髪脱刀令」の「散髪」という字のイメージもあいまって、「散」を「ざんぎり」の「ざん」の音の当て字として使ったのでしょう。
2001/8/28
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