◆ことばの話410「茶髪か?金髪か?」
兵庫県尼崎市で起きた、24歳の両親による、小学1年生の6歳の息子虐待死事件。まさに「親になるのにも免許を必要とする時代になった」などと嘆かれる時代になったといえるでしょう。このところ虐待される子ども、虐待する未成熟な親の事件が増えているように感じます。6月の池田の小学校殺傷事件以来、この夏は本当に子供たちにとっては受難の夏でした。
さて、その尼崎の事件で逮捕された24歳の両親ですが、一部報道で「茶髪」と報じられていましたが、顔写真を見る限り、私はこの両親は「金髪」(に染めているの)だと思うのですが。
「金髪も、茶髪の一種なんとちゃいますか?」
という声も聞こえてきます。金髪が薄くなると茶髪になるのでしょうか。
髪が伸びて、てっぺんだけ黒くなってきた金髪のことは「プリン」とよぶそうですが。
けど、やっぱり「茶」と「金」は違うでしょう。
他の色に染めた髪はどうでしょうか? 「○髪」と、「○」に染めた色が入る髪の名前にはどんなモノがあるかというと、 「金髪(きんぱつ)」「茶髪(ちゃぱつ)」「白髪(はくはつ・しらが)」「黒髪(くろかみ)」
くらいかな。あとは「栗色の髪」とか、縮めずに表現しますね。
赤く染めていたら「赤髪」?「赤毛(あかげ)」「紅毛」は言うけど。紫に染めていたら・・・「紫髪」とは言わず、「紫に染めた髪」ですね。
もともと「茶髪」も「髪を茶色に染めた」と言っていた若者言葉・流行語が、一般にも定着したものです。それに比べて「金髪」「白髪」は、髪の色(=日本人は基本"黒"だったと思われる)としては例外ですが、古くから「よく見かける例外」として定着していたものでしょう。
今後「青く染めた髪」や「紫に染めた髪」「緑に染めた髪」などが、今の「茶髪」くらいに増えれば、「青髪」「紫髪」「緑髪」がそれぞれ「あおはつ」「むらさきはつorしはつ」「みどりはつorりょくはつ」なんて言葉も生まれてくるかもしれませんね。
2001/8/20
◆ことばの話409「記念か?祈念か?」
平成ことば事情405「終戦記念日か、終戦の日か」の話で思い出したのですが、8月6日と9日、広島と長崎の「原爆の日」は、「原爆記念日」ではありません。しかしその日に、かの地で開かれる式典の名前には、確か「記念」ではなく「祈念」という文字が入っていたのではないかと思って、新聞で確かめてみると、なんと、8月6日の広島・原爆の日の式典が開かれた場所が、
「広島・平和記念公園」
で、その式典の名前は、
「平和記念式典」
になっているではないですか!
えー?「祈念」じゃないの?と思ってよく見ると、この「平和記念式典」は、
「平和祈念式」と「原爆死没者慰霊式」
をあわせたものだそうです。最初の方は「祈念」なんだ。両方あわすと「記念」か。
一方、長崎の式典の会場は、
「長崎平和公園」
で、
「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」
と、きっちり「祈り」が捧げられています。
「日本国語大辞典・第二版」(小学館)によると、
「記念」=
【1】後日の思い出として残しておくこと。
【2】忘れずに心にとどめておくこと。
【3】過去の出来事に思いをいたし行事を行うこと。
「祈念」=
神仏にある願い事がかなえられるよう祈ること。祈願。
とありました。おや?私は「記念」は【1】の意味しか考えていなかったけれど、【3】の意味なら、原爆の日の式典としても「記念」を使うことは間違いではありませんね。
「祈念しながら記念する」
そういう日なのかもしれません。また、その意味では「終戦記念日」は、まったくもっておかしくないことになりますね。
2001/8/17
(追記)
8月22日の日経新聞・夕刊のコラム「あすへの話題」で、哲学者の鷲田清一さんが、「記憶の日付」というタイトルで、記念日について書いています。
記念日には、ルーティン化することで1回1回辛い想いやわだかまりをおさめてゆくためにあるものもあれば、逆に、国の祝日のようにただの年中行事として繰り返しているうちに元の記憶をどんどん風化させていくものもあるという話で、
「記念日とは、自分が大切にしたいと思っているものを既に失い掛けているひとの心のうちにこそあるのかもしれない。」
また、8月15日という日付の靖国神社参拝にこだわった宰相とジャーナリズムの脳裏に、
「日付へのこだわりがどれほど記憶の風化をうながすことになるかという想いは、かすめただろうか。」と結んでいます。
2001/8/23
(追記2)
『これが戦争だ!』(内藤陽介、ちくま新書:2006、3、10)という本を読んでいたら、第一次大戦後の1919年に日本で発行されたハトの図案の、
「平和祈念の切手」
を紹介していました。(218ページ)そのキャプションには、
「当時は『記念』ではなく、もっぱらこのように表記した。」
と書かれていました。
2006/3/15
◆ことばの話408「ポケットマネー」
終戦記念日を前に8月13日に靖国神社を参拝した小泉総理大臣。
玉串料ではなく「献花料」として3万円を、ポケットマネーから出した、という報道がありました。ここで問題としたいのは「玉串料か、献花料か?」ではなく、
「支出した金は、ポケットマネーなのか?」
ということです。
「ポケットマネー」を辞書で引いてみると「小遣い銭」と出ています。和製英語かな?と思っていたら、英和辞典にも載っていました。英語だったんだ。
つまり小泉総理にとっては、3万円は「小遣い銭」ということですか。「献花料を小遣い銭から出す」というのは、戦没者に対して失礼ではないんでしょうか?いいのかな?もっとも「ポケットマネー」という言葉を使ったのは、小泉総理本人ではなく、質問をした報道記者だったのですが。
それとともにその金額、3万円というのは「ポケットマネー」の範囲に収まるものなのかどうかも気になりました。そこで、。
「あなたにとってポケットマネーって、最大でいくらぐらいですか?」
という質問を何人かにしてみました。
その結果は、最大10万円、最小、数千円。
そうか、一般人で10万円がポケットマネーなら、総理大臣が3万円のポケットマネーを支払っても、そうおかしくないですね。
インターネットの検索エンジンで「ポケットマネー」をひいてみると、
「ポケットマネー程度で」
「ポケットマネー程度で支払える金額でなれば・・・どんなに高くても月5、6万円」
「100円程度なら自分のポケットマネーから出せるし・・・」
「ポケットマネーで払える金額ではない」
「1株8000円でも80万円の資金がいる。ボーナスのポケットマネーだけではお手上げ状態。」
「合わない金額が2、3ケタ程度ならば、ポケットマネーから出すという」
「積立金は3000円から1000円単位。月々のポケットマネーでもOK」
「ポケットマネー程度の月々7000円で・・・」
「10万円以上のホール使用料を一人のポケットマネーで払えるはずもなく・・・」
と言った感じで、インターネット上での「ポケットマネー」は、数百円から5、6万円くらいまでという感覚のようです。
この質問をして気づいたのですが、ポケットマネーといった場合、「1ヶ月の小遣いの総額」という意味と、「1回に自腹で支払うお金の額」という二つの意味があったのです。質問の仕方が悪かったかな。
小泉総理に質問した記者は「自分で支払うお金=自腹=ポケットマネー」という意味に使っていますが、私がやや違和感を覚えたのは、「自分で支払うお金が、すべてポケットマネーではない」と感じたからでした。
外務省の機密費ではないですが、使う項目がはっきり決まっているものは、(たとえ個人の財布のことでも)「ポケットマネー」から出るのではなく、その「該当する費目」から支出されるものではないでしょうか。(光熱費とか、昼食費、たばこ代とか。)
あるいは、最初にそういった費目が立っていない場合は、ポケットマネーに入れてしまうのではなく、そのための費目を立てるべきではないかなあと、私は思うのですが。
でも、小遣い帳や家計簿をつけていない人にとっては、「支出は支出」に過ぎないのであって、質問をした記者と同じように「公費=税金」「私費(自分のお金)=ポケットマネー」という区分しかないんでしょうね。
2001/8/21
◆ことばの話407「万灯会」
お盆の時期によく出てくる言葉の一つに「万灯会」というのがあります。
広辞苑によると、
「懺悔、滅罪のために仏・菩薩に1万の灯明を供養する法会。東大寺・高野山・北野天満宮などで行われた。万灯供養。」
とあります。そして、これの「読み」ですが、広辞苑、NHKアクセント辞典、三省堂国語辞典、日本国語大辞典など、私が調べた国語辞典ではすべて、
「まんどうえ」
と、「灯」は「どう」と濁ることになっているのです。
昨日(8月14日)のお昼のニュースでは、京都・東山の大谷祖廟のお墓参りのニュースで「今晩、万灯会が行われます」という原稿をアナウンサーは、
「まんとうえ」
と濁らずに読んだのです。
そこで、当の大谷祖廟に電話で確認してみました。すると、
「うちでは"まんとうえ"と濁らずに言います。」
という答えだったのです。そして、その前日に「ろうそく祭り」が行われた、和歌山県の高野山・奥の院にも電話してみると、
「"まんとうえ"です。濁りません。」
という答え。さらに、広辞苑に載っていた、奈良・東大寺の「万灯供養会」も
「まんとうくようえ」
と濁らず、京都の北野天満宮では、25年に一度「小万灯祭」(しょうまんとうさい)が、そして50年に一度「大万灯祭」(だいまんとうさい)が開かれるということですが、ともに「まんとうさい」と濁りません。ちなみに「大万灯祭」は来年3月に開かれるそうです。
これは一体どうしたことでしょうか?
もっと色々聞いてみました。取材を通じて親交のある、京都・壬生寺の松浦和尚からは、
「私は初めから"まんどうえ"と濁るものだと思い込んでいました。」
とメールでお返事を頂きました。
お忙しい時期に書庫に飛び込んで「日本国語大辞典」(小学館)、「平凡社大百科事典」、「角川古語大辞典」、「密教大辞典」(法蔵館)を調べて下さいましたが、どれも「まんどうえ」と濁っていたそうです。
インターネットの検索エンジンYAHOOで、「万灯会」をキーワードに調べたところ
675件引っかかりました。濁る、濁らないは、字の上からは判断がつかないので、ふりがなを振ってあるものをピックアップしました。その結果は、
「まんどうえ(濁る)」
法相宗大本山・薬師寺(奈良)
高崎白衣大観音(群馬県高崎市・慈眼院)
六波羅蜜寺(京都市)
「まんとうえ(濁らない)」
東本願寺・大谷祖廟(京都市東山区)
大谷寺(福井県朝日町)
牛久大仏(茨城県)
専門家にもお聞きしました。京都・観音寺の住職で、種智院大学教授の井上亮淳先生に電話でうかがったところ、
「まんどうえ、まんとうえ、両方言いますが、私は"まんどうえ"と濁ります。真言宗ではあまりこの行事自体が行われずに、おもに天台宗系統で行われるのではないでしょうか。」
というお答えでした。
ところが早稲田大学講師の飯間浩明氏によると「万灯会は弘法大師・空海が始めた」そうで、それだと真言宗では「万灯会」を行うのではないでしょうか?どうなんでしょうか。
さて、いろいろと調べていくうちに、ふと思い浮かんだのは、
「もともと"まんどうえ"の"まんどう"というのは、"曼荼羅(まんだら)"のようにサンスクリット語(梵語)で、それに漢字を"当て字"したのではないか?」
という考えです。
しかしこの考えは、壬生寺の松浦和尚さんや種智院大学の井上先生、早稲田大学の飯間さんなどから、「それはないんじゃないの」と否定されてしまいました。
また、NHK放送文化研究所の塩田雄大研究員も「日本仏教語辞典」(平凡社)で調べて下さって、それによると、「万灯会」は梵語「ディーパーヴァリー(Dipavali)=灯火の列」に由来するとされているそうです。
また「浮世草子」では「万灯(マントウ)のありし頃」という、濁らない例もあるということです。
そしてNHKの「ことばのハンドブック」では、「万灯会」は、
万灯会:○マンドーエ、×マントーエ
と濁ることになっていて、一方、「万灯」の方は、
万灯:1.マンドー、2.マントー
と、2種類の読みを認めているということです。
また、広辞苑では「万灯(まんどう)」の前に「万度・万灯(まんど)」というのが載っていて、これがまさに「棒の先につけた行灯(あんどん)のこと」なのです。その行灯に万度(一万回=たくさん)お経などを書き付けているというのです。それならば、「万度(まんど)」が先で、それが「まんどう」と伸びてしまったのかもしれない。
また、「行灯」の「灯」は「どん」ですよね。これは「唐音」とよばれるもので、 仏教語に多い。この「どん」から推測すると、「灯」という字は唐音で「ど」「どう」という発音もされたかもしれないですね。また、「万度」も「あかり」ですから「灯」という字をあてても不思議はない。「どう」(濁る)→「とう」(澄む=濁らない)への変化、および「灯」を「どう」と濁って読んだのも、不思議はないかもしれません。
今の「語感」としては「マントーエ」に分があるように思いますが、「マンドーエ」と濁った方が、専門用語っぽくって玄人受けするかな?という気もします。
今後は、状況に応じて確認をして、使い分けるということになるでしょう。
2001/8/22
◆ことばの話406「"に"と"を"」
8月13日、小泉総理が急転直下、靖国神社に参拝しました。それを報じた新聞各紙の見出しやリードは、そろって、
「靖国神社 ○ 参拝」
でしたが、この「○」の部分に入る助詞は何か?ということに注目しました。ちなみに私の語感から言うと「に」なんですが。2001年8月14日の新聞5紙の助詞の使い分けは、「靖国神社
「を」(=読売、朝日、日経)
「に」(=毎日、産経)
参拝」でした。
過去はどうだったのか?戦後、8月15日に初めて靖国神社を参拝した1975年(昭和50年)の三木武夫総理の記事を、読売新聞・東京版の縮刷版で見てみました。
1面の小さな記事としての見出しは、
「首相靖国参拝、個人として」。
また、本文の中では、
「三木首相は・・・靖国神社と千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を参拝するが・・・」
と「を」になっています。
ただ、同じ日の夕刊・社会面に載っている記事では、
「きょう終戦記念日に、現職総理の三木さんが初めて靖国神社に参拝した。」
と、「に」になっています。
その後、総理大臣が終戦記念日に靖国神社を参拝したのは、1978年(昭和53年)の福田赳夫総理。その時の新聞記事(8月15日夕刊)の見出しは、
「首相、靖国神社に参拝」
と「に」です。ただし、この本文は、
「終戦記念日の十五日、福田首相は靖国神社を参拝した。」
と「を」になっているのです。どちらでも良いということなのか、バランスを取って両方使っているのか。どうなんでしょうか。
それ以降も見ていきましょう。福田総理のあと、参拝したのは、1980年(昭和55年)の鈴木善幸総理。本文で、
「鈴木首相と大半の閣僚が、それぞれ靖国神社を参拝した」
で「を」。以下、ご覧の通り。
1981年「(鈴木首相はじめほとんどの閣僚が)靖国神社を相次いで参拝した。」
1982年「(鈴木首相と十六人の閣僚が、それぞれ)靖国神社を参拝した。」
1983年「(中曽根首相や大半の閣僚が相次いで)靖国神社に参拝」
1984年「(中曽根首相と十四閣僚が)靖国神社に集団参拝する」(朝刊)
「(中曽根首相が)靖国神社に参拝した」(夕刊)
1985年「靖国神社に公式参拝する」(朝刊)
「(中曽根首相は、終戦記念日の十五日午後、戦後歴代首相として初めて)靖国神社に公式参拝する。」(夕刊)
「(戦後の歴代内閣で初めて、靖国神社の公式参拝に踏み出した中曽根内閣。それをめぐる論議が盛んに行われる中、同首相は式典後の午後一時四十五分、)同神社を公式参拝。」(夕刊)
1986年「終戦記念日の十五日、東京・九段の靖国神社には、中曽根首相が"近隣諸国の批判"(後藤田官房長官談話)に配慮して参拝を見送り、閣議では後藤田長官が"適切な対応を"として各閣僚の参拝自粛を暗に求めたが、同日朝から参拝する閣僚が相次いだ」
嗚呼!!なんてへたくそな文章!!この時期にはまだこんなに絶望的に文章が下手な記者やデスクがいたのですね・・・。「東京・九段の靖国神社には」の部分を「同日朝から参拝する」の前に持ってくるだけでも、だいぶん読みやすいのになあ。
しかも2面に載っている、
「"みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会"(奥野誠亮会長)は、十五日午前、集団で靖国神社に参拝した。」(ここでは「に」)
という記事の中に出てくる、「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」という名称も、現在の名称から推測するに、「靖国神社を」ではなく「に」なんです。固有名詞を間違ってるんじゃないの?!
しかしこの年の下手な文章が、翌年以降に影響を与えているみたいなのです。
以下、助詞だけを抜き出して書き抜きます。
1987=に・には・に
88=への・には
89=には
90=への
91=には
92=には
93=―(記述なし)
94=には
95=には
96=には
97=には
98=に
99=に
2000=に
01=を
1987年以前も、助詞だけを抜書きすると、
1975=を・に
78=に・を
80=を
81=を
82=を
83=に
84=に・に
85=に・に(・を)
86=には・に
つまり1986年に初めて登場した「には」が、その後ほぼ10年にわたって使われ続けたのです。それまでは1975年、78年には「に」と「を」の両方を使っていたものが、80年から3年間は「を」、83年から85年にかけては「に」が優勢でした。それが86年に「に」に変って97年までの12年が「には」、そして98年から2000年までが「に」。そして21世紀最初の今年、1982年以来ほぼ20年ぶりに「を」を使ったことになります。これまでは読売新聞では「に」が主流だった訳です。だから久しぶりに「を」が使われと、少し「おや?」と思っても不思議はないのかもしれません。
ちなみに93年、細川内閣の時は、靖国神社参拝のニュースは、8月15、16日の新聞には載っていませんでした。
「"に"か?"を"か?」
結論から言うと「どちらでも良い」のです。なぜか?
普通「に」は、「学校に行く」のように、「場所十に十動詞」となります。
また「を」は「リンゴを食べる」のように「目的・対象十を十動詞」となります。つまりその助詞の前に何が来るかで変わる訳です。
それとともに、この「靖国神社(に・を)参拝する」の場合には、もう一つポイントがあります。助詞のあとの動詞が、「行く」「食べる」のような一つの意味だけを表すものではなく、「参拝する」の場合は「参って、拝む」という二つの動作を含んだ動詞です。「参る」の前に来る助詞は「に」ですし、「拝む」の前に来る助詞は「を」です。その二つを併せ持つ動詞「参拝する」は、「に・を」どちらの助詞でもOKということになります。
私個人の語感から言うと、「を」の方が目的意識が強いような感じがします。
20年ぶりに「に」系統から「を」になったのは、読売新聞のそういった心情の発露なんでしょうか?ちなみに、産経新聞は「に」なんだよな。そうすると、あまり私の語感はアテにならないかもしれません。
さて、最初に戻って今年の全国紙5紙の「に」と「を」の使い分けは、
「を」=読売、朝日、
日経 「に」=毎日、産経
でした。
上に書いた、単に場所を表すのが「に」、その場所で行う行為に重点を置いた場合は「を」という基準から考え、また普段こういったことに関する、各新聞の考え方をあわせると、
「を」=産経、読売、日経
「に」=朝日、毎日
となってもおかしくないように思うのですが、実際は産経が「に」、朝日が「を」です。その理由について考えてみました。
あくまで私見ですが、「産経新聞」は、靖国神社に行って参拝は当然のことと考えているので、あえて「拝む」意味合いを強調する「を」ではなく、その場所に行くという自然な感じの「に」を使い、逆に「朝日新聞」は、「靖国神社に行って拝むことまでするんだよ、いかんだろ!!」と、その行為を強調する意味で「を」を使っているのではないか?と思いました。皆さんのご意見はいかがでしょうか?
ちなみにちょっと古い新聞切り抜きが出てきました。2001年4月28日夕刊。
ゴールデンウイークの休みを避けて、5月1日ではなく、初めて4月にメーデーが開かれ、首相が5年ぶりにメーデーに出席したという記事。読売新聞は見出しに
「政治色濃く」
とあり、リードにも
「今年のメーデーは一転、"政治"が色濃くにじむ祭典になった。」
と書いてあるのですが、朝日新聞の見出しは、
「4月メーデー"対決"薄く」
で、本文も、
「対決ムードはどこへやら」「子ども連れが目立つ行楽ムードが漂う」
と、正反対と言える見出し・内容となっていました。これも読者としては、それぞれの新聞の本来持っている政治的スタンスに照らし合わせて、政治色が「濃い薄いか」を判断しないといけない一例だと思います。
なお、この問題は早稲田大学講師の飯間浩明さんからのメールで「靖国神社参拝のニュースは、なぜ"に"と"を"があるのか?」という疑問がきっかけで調べました。実は飯間さんにご指摘を受けるまで、そんなことには全然気づきませんでした。
2001/8/17
(追記)
この「に」か「を」か?を調べるにあったって、過去20数年の8月15日、戦没者追悼式の記事をコピーして見比べて、一つ面白いことに気づきました。紙面に載っている写真ですが、1988年(昭和63年)までは毎年同じ構図、つまり日の丸を掲げたステージに向かって真正面から撮ったものが使われているのに対して、1989年(平成元年)から、日の丸が映らないステージに向かって左斜めから、「全国戦没者之霊」と書かれた、花に包まれた碑と、その前で頭を下げる天皇皇后両陛下の写真に変りました。
1988年までは、天皇陛下(昭和天皇)がお一人で映ってはいるものの、ロングの写真でしかも後ろ姿なので、よくわかりません。一番よくわかるのは「日の丸」です。
それに対し1989年からはちゃんと天皇陛下のお顔もわかるサイズですし、皇后陛下もご一緒の様子が、昭和の時代と違います。(1978年=昭和53年の写真は、両陛下が後ろ姿で小さく写っています。また、1980年=昭和55年は、天皇陛下からやや離れて皇后陛下が映っています。1982年=昭和57年は天皇皇后両陛下は御病気で欠席され、当時の皇太子殿下ご夫妻が出席、二人並んで映っています。)
1989年、90年は左斜めから、91年、92年は右斜めから、93年はなく、94年は天皇皇后両陛下ではなく、当時の村山富市首相を左斜めから撮った写真を使っています。「アジアに悲惨な擬声と、村山首相が、反省と哀悼の意を表し、戦後処理に言及したことがニュースになった年です。95年、96年、97年はまた天皇皇后両陛下を左斜めから、98年は一面に使った写真は「少女も交じって戦没者追悼式に参列する人たち」と、大変珍しいものになっています。99年はまた両陛下を左斜めから、2000年は右斜めからの両陛下、今年(2001年)も右でした。一覧にすると、
1978〜1988年=正面・日の丸
1989・90年=左斜め(天皇皇后両陛下・日の丸なし)
1991・92年=右斜め( 〃 )
1993年=記事なし
1994年=左斜め(村山首相・日の丸なし)
1995〜97年=左斜め(両陛下・日の丸なし)
1998年=参拝者(武道館の外で)
1999年=左斜め(両陛下・日の丸なし)
2000〜01年=右斜め(両陛下・日の丸なし)
ということでした。
なかなか興味深いですね。
ちなみに、首相官邸のホームページに8月15日の戦没者追悼式の様子が載っています。で、当日の日本武道館の霊の・・・ではなく例の写真も載っていますが、こちらは、1988年以前の読売新聞と同じアングル、つまり、正面から「日の丸込み」の構図です。
2001/8/21
(追記2)
小泉総理の靖国参拝に関して、2005年の10月25日に、「に」と「を」に関してこんなことを考えてメモにしていました。
『靖国神社(に・を)参拝するの「に」は「到達地、目的地、場所」。「を」は「目的物」で、「場所」の意味は、本来、ない。靖国神社が所在地も含めて存在するものだから「に・を」ともに使える。だから動詞も「参り、拝む」という二つの動作を含む「参拝」が使える。ちなみに「へ」は、方向をあらわすので、起点は出発前の地点。』
純粋に助詞の使い方について、こんなことを考えていました。
2006/1/15
(追記3)
2009年8月15日の読売新聞夕刊によると、
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」
で「靖国神社に」と「に」でしたね、やはり。
2009/8/17
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