◆ことばの話300「事務方」

小泉内閣になってから、国会中継のテレビの視聴率が、大変高くなっています。これまでの2倍から3倍で、民放のワイドショーを抜いてしまうくらいの高率。そんなにたくさんの人が、平日の昼日中に家にいるということですね。

そんな中で小泉総理と同じ、いやそれ以上の注目を浴びているのが田中真紀子・外務大臣です。

当初の強気の答弁から、ややトーンダウンしたとはいえ、注目度はナンバーワンでしょう、それが良いか悪いか、好きか嫌いかは別にして。

その田中外相の答弁の中で、耳につく言葉といえば、これ「事務方(じむかた)」でしょう。

「その件は、事務方から説明を受けていないので答弁できません。」とか、「事務方に説明させます」とか、なんせ、よく出て来るんです、この「事務方」。

辞書で「方(かた)」をひくと、

「ある組織内での担当者。幕府の天文方。会計方(係)」(新明解国語辞典)とあります。

なんか「〜方」と聞くと「おのおのがた・・・」みたいにちょっと時代色がかって聞こえるのは、私だけでしょうか?

辞書にあるように「係(かかり)」を使えば、

「その件は、事務係にさせます」

となって、国会というよりは、市役所のような感じになりますね。

いずれにせよ、政治に注目が集まる時は、世の中があまりよくない時だと言います。早く注目しなくても安心して任せられるような政治を行って欲しいものですね。

2001/5/22

(注)真紀子さんの「ま」は、旧字体の「眞」を使っているメディアも多いようですが、ここでは「真」にしておきました。

(追記)

久々の、「追記」です。
2008年11月14日のお昼のニュース(「ニュース・ダッシュ」で、新人の林 マオ・アナウンサーが「事務方」を、
「ジ/ム\カタ」
「中高アクセント」で読んでいました。しかし、ここはやっぱり、
「ジ/ムカタ」
「平板アクセント」で読んでほしかったな。「アクセント辞典を見てみ!」と言おうとしてアクセント辞典を引いてみたら・・・載っていません。そのほかの国語辞典を引いてみましたが、「事務方」という言葉は載っていません。これは載せておいてほしいなあ・・・。
2008/11/14
(追記2)

2008年11月19日の朝のニュースで、舛添厚生労働大臣がインタビューに答えて、
「ジ/ム\ガタ」
「中高アクセント」で、しかも最後の「方」は「ガタ」と濁ってしゃべっていました。
また、『三省堂国語辞典・第6版』の編纂に関わった早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんに聞いたところ、
『「事務方」は気づいていたが、紙幅の関係などで第6版には載せなかった。が、7版の候補にはもう入れた。『大辞林』第3版には載っている。また「読売新聞・日めくり」(2006年12月7日)でも触れられており、『大辞林』編集長の本間研一郎さんがインタビューに答えて「この言葉を広めたのは『事務方』と対立して話題になった田中真紀子元外相では」と推測していると載っている』
とメールをいただきました。ありがとうございました。
2008/11/25



◆ことばの話299「"べき"か"べし"か」

5月8日の毎日新聞「校閲インサイド」というコラムに"「べき」とすべきか"というタイトルの文章が載っていました。(松居秀記記者)

毎日新聞の「記事作成の手引き」というハンドブックには「"べき"を終止形に用いない」という一説があるんだそうです。理由は、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形であり、終止形は「べし」。だから終止形を使って「そうすべし。」と言い切りにするか、もしくは「べき」に断定の助動詞「だ」をつけて「そうすべきだ」と、すべきだ、というのです。

しかし、この松居記者は「今使われている"べき"は、"〜が当然だ""〜しなければならない"という意味で、文語の"べし"とは別の言葉になりつつある。現代社会を映す新聞の言葉だから、こういう言い方は早い段階でも採用して良いように思う。」と結んでいます。

じつはこの「べし」と「べき」をめぐっては、今年の2月(だったと思う)に、作家の阿川弘之氏が、「自分の娘(エッセイストの阿川佐和子さん)も"べき"を使っていて、嘆かわしい」という文章を「文藝春秋」に載せているほか、「週刊文春」の「お言葉ですが・・・」という人気エッセイで、高島俊男氏も取り上げています。

注意して見ていると、確かに「べき」を終止形で使った文章を、時々目にします。

「べき論」という言葉も耳にしますが、「べし論」は聞いたことがありません。

私は「べし」というと、小学生の頃に読んでいた赤塚不二雄のギャグマンガ「モーレツア太郎」の中の人気キャラクター「べし」を思い出し、何十年ぶりかで、その絵(イラスト)を書いてしまいました。ほかに、ケムンパスとかニャロメとかもいたなあ。

閑話休題。

そもそも「べし」は文語ですし、そこから派生した「〜べき。」も新しい用法(?)とはいえ、普段の会話(話し言葉)の中ではなかなか出てこない「書き言葉」でしょう。

そもそも「すべき。」は、やはり文語です。「だ」をつける必要があります。それに対して、一番問題なのは口語の形の「するべき。」の方でしょう。これも「だ」をつけて「するべきだ。」と(すべき・すべし・するべき・するべし)です。



(問い)上↑の( )の中の四つの形のうち、一番適当と思われるものを丸で囲みなさい。



新聞用語として容認するかどうかは、「慎重にすべし」と命令こそしませんが、「慎重にするべきだ」と思います。放送では「するべき。」と「すべき。」は使わないようにしたいものです。

2001/5/24


◆ことばの話298「天衣無縫」

小泉内閣の目玉でもある田中真紀子外務大臣。いろいろ話題を振りまいています。(平成ことば事情300「事務方」もご参照下さい)
その田中外相がアーミテージ米国務副長官との会談を土壇場でキャンセルした、と報じられたことにに関する朝日新聞(5月10日)の社説の見出しは「ドタキャンは困ります。」
この社説の中で、ちょっと気になる表現があると、アメリカ・ボストンに住む先輩からメールが届きました。インターネット版の朝日新聞朝刊を見てのメールです。

「社説の中で、田中外相の行為は“予想にたがわぬ天衣無縫ぶりだ”と書いてあるのだけれど、これは本物(インターネットではない紙面)でもそうなっていますか?この場合“天衣無縫”はおかしいんじゃあないの?“天衣無縫”は天女が着る衣のように、完璧な様子を指すのじゃないでしょうか?もし仮に“天真爛漫”のつもりで使ったとしても、やはり、そぐわない気がするんだけれど」

という内容でした。
例によって辞書で「天衣無縫(てんいむほう)」を引いてみると、
「(天人の衣服には縫い目が無いように)詩歌などが、技巧のあとが無く、完全である様子。(俗に、天真爛漫(てんしんらんまん)の意にも用いられる)」(新明解国語辞典)
とありました。
この社説では、「ドタキャンは困ります」というタイトルにあるように、田中外相をたしなめる意図で書かれたと思われますから、やはり「天衣無縫」「天真爛漫」はそぐわない、意図と違って受け取られる言葉だといえるのではないでしょうか。
はっきりわかりやすい言葉にするとするならば、「傍若無人」なのではないでしょうか。
2001/5/23
(追記)

先日「情報ライブミヤネ屋」で、故・勝新太郎さんのエピソードを紹介した時に、その性格を、
「天衣無縫」
と表現していました。
「これは『天真爛漫』ではないか?」
ということで担当プロデューサーと話をしましたが、
「辞書には『天真爛漫』の意味で『天衣無縫』が載っています」
と、その辞書を見せられたことと、勝新太郎さんの行動・性格は、「天真爛漫」というよりは、
「傍若無人」
に近い感じ、もっと言えば、
「無法者」「破天荒」
的な感じ(役柄も含めて)が合ったことと考え合わせると、
「無法者の『無法』の音の響きと、『天衣無縫』の『無縫』の音を掛け合わせたイメージがあるのではないか?」
と思い、それならば・・・ということであえて「天衣無縫」を使いました。
2009/2/11


◆ことばの話297「閑話休題」

みなさんは「閑話休題」という言葉を目にされたことはありますか?「かんわきゅうだい」と読みます。ことわざではありません。

意味は「閑話=ひまなはなし」は「休題=おいといて」、つまり(「新明解国語辞典」によると)、

「横道にそれた話を本筋に戻す、という意味を表す語」(接続詞「さて」のように、文の初めに置いて使う)

です。

「・・・・・(本筋)・・・・・(横道)"閑話休題"・・・・(本筋)・・・」

という形になります。私のように、すぐに話が横道にそれて、そのまま本筋に戻ってこられないB型の人にとっては、この言葉をポンとつけることが出来れば、なんとか話がつながっていきます。

ところが最近、この「閑話休題」を、逆の意味に使っていることがあります。

つまり、

「本筋からちょっと横道にそれた話をする時のきっかけとして、"閑話休題"を使っている」

のです。形としては、

「・・・・(本筋)"閑話休題"・・・・・(横道)・・・」

となります。これだと、私のようなB型人間は永久に「本筋」の話に戻ってこられません。(ちょっと大げさか。)

たとえば、朝日新聞に「閑話休題」というタイトルのコラムがあります。これは、本記筋の記事の横に「囲み記事」として書かれているものです。だから、意味合いとしては「ちょっと一服」とか「コーヒーブレイク」ということで「閑話休題」を使っているのでしょうが、それはやはりちょっとおかしい気がします。これでは、本記筋の記事の方が、壮大な「コーヒーブレイク」になってしまいます。

本来の「閑話休題」は「コーヒーブレイク」ではなく、「昼休みは終わり」のベルやチャイムのようなものなのでしょう。



「閑話休題」、伝票を切って、明日の取材のアポ確認しなくっちゃ・・・。

2001/5/22


◆ことばの話296「"へ"と"に"」

また、気象予報士のF君が話し掛けてきました。

「道浦さん、この天気原稿、"東へ"で良いんでしょうか?"東に"じゃないですか?」

どれどれ、よく話を聞いてみると、彼は助詞を「へ」にするか「に」にするかで悩んでいるのでした。

「うーん、この場合は"へ"で良いと思うよ。」

「どうしてですか?」

「"東へ"と言う場合は、東のほうへ動いていくと言う過程も含めて"移動"といった感じだね。それに対して"東に"という場合は"東"という到達点があって、その過程はあまり問題にならない感じがするな。A地点からB地点にポンと瞬間移動するような感じで。」

「ふむふむ。」

「この場合は高気圧はゆっくりと東の方角に移動していく訳でしょう?」

「そうですね。」

「だから、"東へ"で良いと思うな。」

「なるほど、そうですか。」

理屈を言うと(理屈と言っても、"感性"の部分のような気もしますが)こういうことなのですが、最後に私はひとこと付け加えました。

「でもまあ、どちらでも間違いとは言えないから、どっちでも好きなほうを使ったら!?」

2001/5/17

(追記)

これを読んだ植村なおみアナウンサーから、「これって、"から"と"より"のような関係じゃないですか?"から"は口語的で"より"は文語的。それと同じように"に"が口語的で"へ"が文語的な感じがするんですけど。」

そういう見方も、あるかもしれませんね。

また、先輩のアナウンサーに同じ話をしたところ、「"東へ"はず―っと、その過程も含めて移動している感じ、"東に"はポンとその目的の場所についた感じがするね。」

私と同じ見解でした。例えば「東にあります」とは言えても「東へあります」とは言えません。これからも「に」はポイント=場所を表していて、「へ」は方向を表す気がしますね。どうでしょうか。

2001/5/23

(追記の追記)

「日本語の謎を探る〜外国人教育の視点から」(森本順子・京都教育大学助教授・ちくま新書)の47ページ、「スーパーへ行く」という項で、動きの報告や目的地点を表すのに助詞ヘとニについて書いてありました。それによると、「スーパーへ行く」と「スーパーに行く」はい見はあまり変らないが、日本語の歴史の上では「ヘ」は本来方向を指すが、「ニ」は方向ではない、という大野晋著「日本語の歴史」を引用しています。ただ、この使い分けは難しく、文章の上では「ニ」と「ヘ」は併存しているのが普通のようだと記しています。そして、起点のカラのあとでは「ヘ」は出やすいが、動詞によっては「ニ」にほぼ決まっている。人をめあてとすると「ヘ」の出方が低くなる、という「ニ」と「ヘ」の揺れの調査を記した、森山卓郎「日本語動詞述語文の研究」を紹介しています。(「ヘ」の出方?・・・もちろんそんな意味ではありません。)

御参考までに。

2001/5/28

(追記2)

毎日新聞・大阪本社版・夕刊に大阪教育大学の小矢野哲夫先生が連載してらっしゃる

第116回(2005年7月28日)に、

「京へ 筑紫に 坂東さ」

というタイトルで、こんなコラムが載っていましたのでご紹介します。

移動の方向を表す助詞が地域で違うことを示すことわざ。室町時代の日本語では、京の都では「へ」、筑紫(九州)では「に」、坂東(関東)では「さ」が使われた。現代の標準語の規範では方向を表すのは「東京へ行く」のように「へ」を使うとされているようだ。しかし、共通語では、「東京へ」でも「東京に」でも通用する。

『方言文法全国地図 1』(国立国語研究所、1989年)によると、「に」は鳥取、島根両県、兵庫県北部、九州北部・中部に分布している。鳥取県出身の筆者が当然のごとく「に」を使うのは方言の影響だ。

「へ」は関東から中国・四国の広い範囲に分布していて、共通語の主流をなしている。東北地方の「さ」はよく知られているが、栃木、千葉でも使われ、熊本、長崎では「さん」になる。


とのことですよ。勉強になりますね。

2005/8/2