◆ことばの話294「下り坂」

気象予報士のF君が話しかけてきました。

「道浦さん、この原稿の表現、おかしくないですかね。」

そこには、

「天気は下り坂に向かい・・・」

とありました。

「今、天気の状態はどうなの?もう下り坂に入っているんだったら"天気は下り坂です"だろうし、まだ下り坂になっていなくて、近い未来に下り坂になるのだったら、"下り坂に向かい"でも良いかな。」

「なるほど、そうですか。」

と一応納得してくれたのですが、今度は私のほうに疑問が湧いてきました。

「ねえねえF君、天気に"下り坂"ってのはあるけど"上り坂"は、ないよね。」

「ありませんね。"お天気は回復に向かいます"って言いますね。」

「どして?」

「さぁー、どうしてでしょう?」



そうですね、そんなに簡単に答えは出ませんよね。で、考えてみました。

似たような表現を考えてみましょう。

「おなかが下る」とは言うけれど、「おなかが上がる」とか「おなかがのぼる」とは言いませんね。これはやはり、おなかの中に入った物は上から下へと流れていくのが道理、正しい筋道です。だから、おなかの調子が良いからと言って、それに反するような表現(おなかがのぼる)は、基本的にないのではないでしょうか。しかしちょっと待てよ、「吐く」ことを「あげる」とは言いますね。反対の表現がない訳ではないと言うことかな。まっ、それは例外として。

天気の場合も「晴れ」というのが「基本的な天気のあり方」で、そこから天気が悪化するのは「下り坂」ですが、天気が回復するというのは(この"回復"という言葉も、基本的に"晴れ"の考えを表しているのではないでしょうか。)元に戻るだけで、基本の"晴れ"よりも良い状態に"上がる"訳ではない、ということでしょうか。



一応の答えは出したものの、これで"上がり"と言う訳には行きそうもありません。

2001/5/17


◆ことばの話293「島・嶋」

平成ことば事情292「北方4島」と、ちょっと関係する話です。

京都のメール友達の女性を殺害した容疑で逮捕された男の名前は、「西嶋宏明(容疑者)」と言います。この「西嶋」の「嶋」が旧字体になっています。

新聞やテレビでは(特に新聞は)、原則として常用漢字を使うことになっていて、人名や地名といった固有名詞でも、常用漢字ではない場合は使わないことにしてきました。

「嶋」も普通は「島」に直すのです。ただ、「長嶋茂雄監督」のような有名人であったり、本人から強い要望があった場合はこの限りではないという、なんともあいまいな、あってないような基準になっています。

しかし、今回のように犯罪の容疑者の名前に旧字体をそのまま載せることは、これまでにもあったのかもしれませんが、気づきませんでした。

この点、読売新聞は比較的、頑なに(?)この基準を守っているのでしょうか、今回も一般紙で唯一「西島」と「島」を使っています。(社長の名前や、巨人軍監督の名前は、難しい字体を使っていますが。)

そう言えば読売新聞は、自民党の総裁選挙の時も、橋本元総理を「橋本竜太郎」と、「龍」ではなく「竜」の字を使っていました。

そもそもなぜ、旧字体を使ってはならないのか?

これに関しては、西垣通・明治大学教授が、ジョナサン・ルイス東京電機大学助教授との共著「インターネットで日本語はどうなるか」(岩波書店)の中で、

"できるだけ字数を減らし、外国人にも分かりやすくし、コンピュータ処理も用意にすべきだ、という思考こそ正論なのだ。たとえば、「渡辺」の「辺」を「邊」、「邉」、「 」(もう一つ書いてありますが、私のパソコンでは出ません、すみません)など様々に表すことは、それらの漢字群を関連づける完璧なソフトを組み込まない限り、現実社会における事務上の誤りを引き起こしやすい。"

と述べています。また、同じ読みで同じ意味の漢字を一つで表すことにすれば、それぞれの間の微妙な差異は失われるものの、そもそも、

"音声にせよ図像にせよ、二つの記号パターンのあいだの微妙な差異をこえてそれらを「同じ物」と見なす思考が「包摂」であり、これこそはコミュニケーションの原点なのだ。"

とも述べています。

手書き文字における微妙な「差異」は、書く人が違えば生じるのが当たり前です。それを同じ物とみなすのが「包摂」であり、印刷文字(活字)と手書き文字では基準が違うにも関わらず、手書き文字における論理を活字にまで持ち込んでしまっているのではないか、というようなことだと思います。

これは納得の出来る話ではありますが、その一方で、個人の名前の文字を、活字だからと言ってマスコミ側が勝手に変えてしまって良いのか、という疑念はやはり残ります。

もう少し、字体をめぐる推移を見守っていく必要がありそうです。

2001/5/18


◆ことばの話292「北方4島」

この春から、各新聞の文字が大きくなりました。(読売新聞は、去年の12月に一足早く大きな文字を使っていますが。そのあたりのことは平成ことば事情265「大きな文字」をご覧ください。)

そんな中で、朝日新聞が「漢数字」中心から「洋数字」中心にシフトしたことも、新聞関係者の中では注目されているようです。

先日開かれた日本新聞協会の関西地区用語懇談会でも、その事が話題になりました。

基本的には、順番を数えるようなもの、年号、金額などは洋数字にするということのようですが、難しいのは、もう既に漢数字が定着しているような言葉。例えば、北方領土の「北方四島」の「四」は、単なる数ではなくて「北方四島」という一つの言葉のまとまりとしてとらえるべきだ、と言う意見が根強くあるのです。

「憲法九条」も、「憲法9条」では何のことかわからない、平和憲法を意味するのは「9条」ではなく「九条」だ!などと言う意見も出ていました。(大阪の"九条"ではありません。)

私もなるほど、と肯いて聞いていましたが、そもそも最初から、数を数える手段としては漢数字しかなかったので一、二、三・・・を使っていたのですが、明治以降、ローマ数字(洋数字)の1、2、3が入ってきて、話がややこしくなっています。

例えば、京都の地名の「三条」「四条」を「3条」「4条」と書けば、京都人から「おかしおすえ」、大阪人も「おかしいんとちゃうか」と言うに決まってます。もう既に「三条」「四条」という漢数字を使った表記方法が、千二百年の昔から伝わっているからです。

その点同じ地名でも、北海道札幌市の場合は「〜西3条」などと、洋数字の「3」を使ってもなんら不思議はありませんし、実際使われています。北海道開拓が始まった明治以降、100年以上の時が流れていますが、それでもまだ、京都の歴史とは違うというのが、このあたりにも見て取れるでしょう。

「憲法九条」は、戦後50年あまりの歴史しかありませんが、「"9条"という表記ははイヤ」と言う人にとっては、「京都千二百年」と同じくらいの重みを持っているでしょうし、それほど思い入れのない人にとっては、「"9条"でいいんじゃないの、憲法の9番目なんだから」と言われてしまったりする、まさに個人差が歴然としてあるのです。

話が長くなりましたが、「北方四島」です。これを「四島」と書くか「4島」と書くか。

新聞各紙の見出し(2001年5月17日朝刊)に注目しました。

その結果、

「四島」=読売・毎日

「4島」=朝日・産経・日経


と言うふうになっていました。なんと「4島」のほうが多かったのです。

ただし、本文では5紙とも「四島」を使っていました。

5年半前から洋数字を積極的に取り入れてきた毎日新聞の「校閲インサイド」というコラムでも、先日(5月15日)この洋数字について書いていました。

それによると、「二人三脚を2人3脚と書くやつはいない。使い分けは簡単だ」と言うことだったのですが、さにあらず。実際に洋数字化を始めると「2人3脚」はもちろんのことなんと「1昨年」なんて書く記者も出てきたそうです。また「千五百」のつもりが、「0」を1個忘れて「150」になっていたりという考えられないようなミスも出てきて、このコラムを書いた平山泉さんという校閲記者は、「だから、漢数字のままがいいって言ったのに。」とぼやいています。

洋数字を使うことのメリットは、字数を少なく出来ること、ひと目で視覚的に捉えることが出来ることなどがあげられますが、その一方で慣れ親しんだ一つの言葉を、数字とその他に分解してしまうような「よそよそしさ」も感じるような気がします。

上手に使い分けられればいいな、と思います。

二千一年五月十八日・2001年5月18日

(追記)

行ってきました、北方四島・・・の手前の納沙布岬。釧路から車で3時間かかりました。

天気はまずまずだったんですが、岬から一番近い、歯舞群島の貝殻島!・・・見えませんでした。たった、3、7キロメートルしか離れていないのに。かわりに、37キロ離れた国後島がうっすらと見えました。根室半島の地形から言うと、その延長線上にある「歯舞・色丹」は「日本だよなあ」という感じがしました。また国後も、北海道本体からの近さでいうと、「日本かなぁ」という感じ。択捉はちょっとどうかな。見えなかったし。納沙布岬からだと、色丹島も72キロも離れているんですね。

おっと、話がそれた。

「北方四島」は、地元ではしっかり「四島」と漢数字でした。どこにも洋数字は使われていませんでした。しかも岬にある、四島の見取り図の「四島」の文字の上には、「しま」と、ふりがなが振ってありました。「しま」の「し」だったのね、「四」は。

また、根室市内の地名などの道路標識には、漢字の下にローマ字で書いてあるところまでは大阪と同じでしたが、その下にさらにキリル文字、つまりロシア語で地名が記されていました。ここはロシアか?と一瞬目を疑いましたが、よく考えると、大阪でも心斎橋あたりでは、韓国のハングルや中国語の地名表示がされている所もありますから、同じような状況なのでしょうね。

それにしても、岬に向かう途中の地名は「歯舞」でした。つまり「歯舞」の向こう側にあるから「歯舞群島」あるいは「歯舞諸島」と呼ばれている訳ですね。「伊豆」の向こうにあるから「伊豆諸島」と言うのと同じように。

2001/6/12


◆ことばの話291「喜びを隠しきれない」

雅子様ご懐妊の報に接した、とある財界人が「それはめでたいことですな。」と答えていた様子について、ある新聞は、

「○○氏は喜びを隠しきれない様子でした」

と報じていたそうです。

この「喜びを隠しきれない」という表現、常套句の一つですが、ちょっとおかしくないですか?なぜ、喜びを隠さなければいけないのでしょうか?

これと同じパターンで、

「悲しみを隠しきれない表情」

というのもあります。「喜怒哀楽」四つの人間の代表的な表情のうち、「喜」「哀」については「隠し切れない様子」を使いますが、「怒」に関しては「怒りをあらわにしていました」というふうに、隠していません。

また、「楽」については、やはり「楽(らく)を隠しきれない様子でした」「楽しみを隠しきれない様子でした」などとは言いません。

悲しみと喜びがセットで「隠し切れない」のです。喜びも悲しみも幾年月。

そもそも、なぜ「隠さねばならない」のか?



その昔、「男は黙って○○ビール」というコマーシャルがありました。

武士道の流れからか、「男は感情を容易に表に出すものではない」また「ペラペラとしゃべるものではない」というような考え方がいまだに支配的な部分もあります。それからいうと、しゃべることが商売のアナウンサーなんて、ほんとに「男らしくない」商売と言うことになりますが。

まあ、そこから考えると「喜びや悲しみといった感情を表に出すことは、武士のたしなみとしてよくない」ということになるんでしょうか。

「怒り」はいいんですね、あらわにしても。でも「怒りを抑え切れない様子」というのはありそうな感じですね。喜びや悲しみより、怒りを押さえることのほうが、より現代日本における社会人の常識としてありそうですけどね。



また、単に「喜んでいました」「大変喜んでいました」「大変悲しんでいました」というふうに書くよりも、「喜びを隠しきれない様子でした。」としたほうが、実際にその人が喜びを隠そうとしていたのかどうかは別にして、より喜びが「大きく」感じられます。

普通に押さえようとしても押さえ切れないぐらいの大物の"喜び"なんですね。

しかし、押えんでもいいやろ、喜びは。

これはやはり国民性というものでしょうか。

例えばお隣の国、韓国、北朝鮮では、お葬式の時に泣いてくれる「泣き女」という職業があると聞きます。「悲しみを隠し」ていたら、「泣き女」なんて職業は成り立たないんですよね。まあ、日本のテレビ業界にも「笑い屋のおばちゃん」という職業分野はありますが。

昔は高校野球でホームランを放った選手が、ダイヤモンドを回るときに「ガッツポーズ」をすると、叱られました。(打たれた)相手に対する思いやりがないと言うのです。最近はそんなことも関係なく、好き放題にガッツポーズ「やりまくり」のようですが。やっぱり、Jリーグの影響でしょうかねえ。

紳士の国・イギリスが発祥の地とは言え、ラテン系の「サッカー」と、ピルグリム・ファーザーズを祖先に持つアメリカ人が始めたベースボールの違いでしょうか?



話がそれましたが、雅子さまのご懐妊に関しては、

「喜びを隠さなくてもいい」

と私は思いますが、いかが?

2001/5/18

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