◆ことばの話290「出会い系サイト」

京都で起きた女子大生・OL殺害事件の容疑者が逮捕されました。被害者の女性と容疑者の男は(「平成ことば事情276」でも書いた)「メル友」だったのですが、知り合ったきっかけは「出会い系サイト」と呼ばれるもの。

ケータイという新しい道具だけに、こういった新しい物が出てくるとも思えますが、よく考えれば、雑誌などにこれまでもあった「文通コーナー」と基本的には同じです。

私のケータイにも、先月ぐらいから急激にこの「出会い系サイト」のメールが送られてくるようになりました。迷惑この上ない!!と思うのですが、これを「便利!」と使っている人たちがいるのもまた事実。

ところで、「出会い系サイト」の「系」って何?

「出会いサイト」ではいけないのでしょうか?


そのあたりを周囲の人に聞いてみると

「"出会い"だけじゃないから"系"がついてるんじゃないですか?」

「出会いだけじゃないって、他にいったいなにがあるのよ?」

「必ず出会えるって決まってるわけではないし、会えたり会えなかったりというサイトでは?」

・・・それは違うと思うよ。

今はやりのあいまい語"系"があいまいについていると言うのが正解ではないでしょうか。

2001年4月10日に出た「日本語の化学」(岩松研吉郎・ぶんか社)と言う本の中に

「〜系」について書いてあるところがあり(72ページ)、この「〜系」の仲間には「〜的」や「〜入ってる」があると記されています。

新聞などでは、つい3、4日前までは「出会いサイト」という見出し・文章も見られましたが、この事件の西嶋容疑者が逮捕されてからは、新聞・テレビともに「出会い系サイト」で統一されたような気がします。ホンモノのケータイメールでは「出会いサイト」と「系」なしの形もみられます。

先日、TBSのウッチャンナンチャンの番組で、女性タレントのさとう珠緒が、男性芸能人(お互いに誰かはわからないという設定)3人とメールの交換をして、彼氏(彼女)をゲットする(わっ!使ってしまった!!"ゲットする"を)というものでしたが、大変興味深いものでした。

というのも、メールの文章上では、本人とはまったく別と言っていいほどの、美化された人格が形成されていて、受け取った方はそれを現実の人格と思ってしまっている様子が、手に取るようによくわかったからです。

「これは危ない!!」

つい先日取材でお話を伺った大阪府警生活安全部の管理官も「ネット上では、現実の一般社会以上の注意を払って、プライバシーの保護を考える必要がある」と話していました。

問題は、どうもこういったメール・インターネットには、分かっているはずの一般社会での常識である防御意識を、無意識のうちに脱がしてしまう「力」があるようだ、ということでしょう。

と、こういった文章を書いている私についても、皆さん、十分な注意を払ってくださいね。・・・これを読んでいて、どうなっても知りませんよ。

(追記)

この事件の中継をしていた某記者は「メール系出会いサイト」と言っていましたが、あれは明らかに間違いですので、皆さん、真似をしないように。

2001/5/18

(追記2)

やはりこの「出会い系サイト」の「系」について、気になっている人は多いようで、昨日(5月21日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」でも「とんでもない事件をたびたび招いている"出合い系サイト"の"系"とは何だろう」という書き出しで、取り上げられていました。「文科系、理科系などの用法は古くからあるが、"出合い系"のたぐいは、近ごろはやりの表現で「○○の正しい流れをくむ」というよりは、もどきの響きが強いようだ」と言い切っています。そのとおりでしょうね。

また、今朝(5月22日)の読売新聞・朝刊には、携帯電話の関連部品が好調の会社・ホシデンの古橋健士社長が、2000年度後半からは携帯電話市場が急速に失速していることに関して、「出会い系サイト」を舞台にした犯罪も失速の原因ではないかと質問されたことを受けて、「それは社会的な問題や。ハードを悪者にしたらあかん」とぶぜんとして反論したそうです。

おっ、「ぶぜんとして」が出てきましたね。「平成ことば事情284憮然とした表情」をご覧ください。

それから、昨日5月21日の日経新聞・朝刊のコラム「春秋」でも、「出会い系サイト」について記しています。「気になるのは出会い系サイトの"系"である。」やっぱりね。

それによると、「いわゆるメル友を紹介するサイトのほか、同好の士を募る趣味のサイトなど、千を超すサイトをまとめて指すので、出会い系と呼ぶとされている」そうです。「しかし、実際に使っている若者に聞いてみると、"系"を一種のぼかし言葉と受け止めている。」そして「ぼかし言葉はリスクまでぼやかしてしまう。」とまとめています。

2001/5/22


◆ことばの話289「たるい」

「Aさんって、可愛い声ですよね」

と、2年目のBアナが言ったのに対して、入社12年目のCアナが、

「あれは、可愛いとは言わへんの。"タルい声"って言うの。」

とキツーイひとこと。

しかし、ちょっと待って!可愛いか、タルいかは、それぞれ聞く人の主観によるものじゃないのかな。

それはさておき、この「タルい」「たるい」ってのは、辞書に載っているんだろうか?

さっそく辞書を引いてみたところ、載っていません。「だるい」は載っています。ニュアンスとしては「だるい」よりはやや軽い感じ。「かったるい」という言葉はありますよね。これは辞書に載っていまして、「東京の方言」と書いてありました。しかも、もとは(古語では)「かきたるし」という言葉だったようです。

逆に「たるい」を「大阪ことば辞典」をひいてみると、接尾語として「甘たるい」などの例と共に載っていました。

「甘ったるい」はあるけれども「辛ったるい」はありませんね。「たるい」には何かだらしなくて、粘ついた感じがあります。

その語感から類推するに、「たるい」は「垂る」「垂れる」から来ているのではないでしょうか?そうすると、「たれパンダ」が「タルい」感じなのも肯けます。

大阪弁として「たるい」があったのか、東京弁の「かったるい」の「かっ」の部分が取れて全国に伝わったのか。「タルい」自体は若者語という感じもしますね。

南海本線のみさき公園の近くに「樽井」という駅がありますが、このあたりの土地が「タルい」のかどうかは、定かではありません。

2001/5/16


◆ことばの話288「レバニラ・ニラレバ」

「レバニラか、ニラレバか、それが問題だ。」

中華料理店に入りました。あなたはそこである料理を注文します。

「すみませーん、"( )炒め"下さい」

さてこの( )の中に入るのは、果たして「レバニラ」でしょうか、「ニラレバ」でしょうか?ちなみに私は「レバニラ」派です。妻もそうでした。「ニラレバ」なんて聞いたとがないといってました。もっとも彼女は、結婚するまで「天丼」を食べたことがなかった人ですから、あまり参考にはならないかもしれません。

確かに「ニラレバ」という言い方も聞いたことはありますが、やはり「レバニラ」でしょう、天才バカボンのパパも「レバニラ」って言ってたし。

とりあえず、アナウンス部にある「出前名簿」を持ってきて、その中の中華料理店「Y飯店」と「S京」のメニュー表を見てみると、なんと、2店とも「ニラレバ炒め」になっているではないですか!!この10数年、いつも出前を頼んでいたのに、気づかなかった!(大ボケですな。)

一般的にはどうなのか、周りの人に聞いてみました。

すると、「レバニラ」派が4人、「ニラレバ」派が3人。そのうち東京の大学を出て内の会社に入った大阪出身の男性アナN君は、

「東京ではレバニラと言ってましたが、こっち(大阪)ではニラレバですね。」

と話していました。

また別の人は「レバーが主体ならレバニラ、ニラが主体なら、ニラレバとちゃいますか。」

ということ。「ライスカレーかカレーライスかみたいなもんで、どっちでもええやん」という人もありました。

確かに「ニラ玉」は、玉子ベースにニラが入っていますし、「カツ玉」も玉子ベースにカツが乗っている。そういう意味では、先に名前がくるほうが「お客さまでエライ!」という気もしてきます。

もっと一般的にはどうなのか?どちらの言い方がよく使われているのか?

インターネットの検索エンジンを久しぶりに使ってみました。その結果は、

 
Infoseek
Yahoo
googole
レバニラ 1643件 3680件 4200件
ニラレバ 697件 1390件 1520件

という結果が出ました。ちなみにgoogoleというのは新しいサーチエンジンだそうです。

これを見る限り、やはり、「レバニラ」が「ニラレバ」より多い、それも2倍半くらい多いという結果が出ました。しかし、「ニラレバ」派も、決して無視できるほど少数ではありません。

そもそも、こんなことを調べるきっかけになったのは5月10日に放送された、読売テレビの番組「どっちの料理ショー」で、「ニラレバ炒め」(レバニラ炒めではない)が取り上げられたことからです。

読売テレビの制作ですが、東京で作っています・・・いえ、ニラレバ炒めもそうですが、番組自体を、東京で作っています。地域による差異はあるのかどうか?今後の調査が、待たれます・・・・って、誰が調査するんだ?

2001/5/18

(追記)

NHK放送文化研究所が調査してくれそうです。「放送研究と調査2001、9月号」の塩田雄大さん「カタクルシイ女・カダグルシイ男〜平成13年度ことばのゆれ全国調査から」をお読み下さい。

2001/9/12

(追記2)

あれからもう1年が・・・。今週の「どっちの料理ショー」(8月15日)でまたもや「ニラレバ炒め」が登場するようです。「スタミナ満点!元気になる炒め物特集」だそうで、「ニラレバ炒め」の相手は「ゴーヤチャンプルー」です。

2002/8/12

(追記3)

「日本の標準」というホームページで「ニラレバかレバニラか」、ネット読者にアンケートを取っています。それによると、
レバニラ・・・・62票
ニラレバ・・・・25票

で「レバニラ」が優勢でした。

2002/10/11

(追記4)

最近放送している、とんねるずの木梨さんがお父さん役で出ている冷凍食品(「クック・ドゥ」)のコマーシャルで、木梨さんが、
「レバニラ」

と言うと、妻役の人が、
「ニラレバ!」

と訂正する場面が最後にありました。
これを見て思ったことは、やはり「レバニラ・ニラレバ」両方の言い方があって、それぞれどちらの言い方をする人も、自分の言い方に自信があるということが一つ、そしてこの「レバニラ(ニラレバ)」の冷凍食品を販売している会社は、どちらの言い方も認めているということです。

2004/3/27


◆ことばの話287「小泉総理の所信表明演説」

小泉総理が就任して3週間ほどたちましたが、世論調査における支持率はいまだに80%、90%という絶大な人気を保っています。

その小泉総理の、就任後初の所信表明演説は「米百俵」の話が注目を集めましたが、その日の夕刊(5月7日)に載った演説の全文を読んでみると、いくつか気になる表現がありました。特にその文章の語尾に注目しました。

まず、目についたのが

「恐れず、ひるまず、とらわれず」

と言う言葉です。これが2回出てきます。これで気になったのは、全体に「ず」とか「ない」といった「否定形」がよく出てくるのです。数えてみると、なんと19回も!

これは、小泉総理がこれまでの政治の枠を壊して(否定して)、今までとは違う政治をしようと言う、一つの表われではないでしょうか。と、ここまですぐ言ってしまうと、誉めすぎかも。冷静に判断すると、今までの政治を肯定的に捉えては、国民の支持を得られないと、小泉総理は考えたのでしょう。ふつう、「恐れず、ひるまず、とらわれず」といった"語呂"に合う言葉としては、(大リーグ・メッツの新庄選手のように?)

「明るく、楽しく、元気良く」

というふうな肯定的な言葉をスローガンに掲げると思うのですが、すべて否定形で並べたというのは、なんか、野党のスローガンのようです。(労働組合のスローガンにも似てます。)

ただ既成の枠を壊すだけでは「デストロイヤー=破壊者」です。壊した後には新しい価値観、概念を構築しなくてはなりません。

それに関しては、

「〜します」「実現します」「〜してまいります」

といった表現が51回も出てきます。結構純ちゃん、意気込み、あります。

ただ、中には「自信がないのかな?」と思われる表現もありました。それは

「〜したいと思います。」という文です。したいと思っているけれども、できるかどうかは定かではない、ということでしょうか。具体的には、

「"新世紀維新"とも言うべき改革を断行したいと思います。」

「自然との共生が可能となる社会を実現したいと思います。」

「環境の制約を克服する科学技術を、開発・普及したいと思います。」

「国民が政策形成に参加する機運を盛り上げていきたいと思います。」


というのが、その「〜したいと思う」ことです。しっかりは、約束していません。

また、「〜したいと考えます」とか「〜を目指します」は、言い切ってはいるものの、実現を約束している訳ではありません。具体的には、

「"IT2002プログラム"を作成したいと考えます。」

「特殊法人等についてゼロベースから見直し、国からの財政支出の大胆な削減を目指します。」という文章です。

最後にもう一つ、再三にわたって出てくる表現の

「構造改革なくして日本の再生と発展はない」

という言葉。「○○なくして△△なし」という形は、標語としてよく使われるものです。実は数年前まで、サッカー好きの私のモットーは「シュートなくしてゴールなし」でした。

積極的に取り組んで行こうという「ポジティブ・シンキング」のキャッチ・フレーズとしては、この「○○なくして△△なし」というのはいいんじゃないかな・・・なんて思いました。

2001/5/18


◆ことばの話286「イチローですら」

(イチローですら・・・といっても静岡弁ではありません。念のため。)

開幕から2ヶ月近くたとうというのに、メジャーリーグ、話題沸騰です。イチロー、新庄、野茂、みんな頑張っています。

そのメジャーリーグ開幕当初に、気になった表現があります。

メッツの新庄選手が、初打席初ヒットを放ったことに対して、新聞各紙がこう、報じたのです。

「イチローですら、なしえなかった"初打席初ヒット"を新庄が達成!」

これを見て私は、おやっと思いました。

「すら」という表現ですが、私は「Aすら出来なかったことをBが達成」という使い方をしたときにはAには最下級のものを当てはめて、文の形も、

「A十否定形、B十肯定形」か、「A十肯定形、B十否定形」

という形を取って、

「あの出来の悪いAですらできるのに、なぜおまえはできないのだ」とか「子供ですらできるのに、大人のお前がなぜできない」という具合に使います。

この場合は、だから「すら」ではなく「さえ」を使って

「イチローでさえ、なしえなかった"初打席初ヒット"を新庄が達成!」

とすべきではないか、と考えるのです。ちなみに主語を逆にした文は、

「新庄ですら達成した"初打席初ヒット"をイチローは達成できなかった」

となりますね。つまり、

「Aで( )十否定過去形(できなかった)のBを、Cが可能過去形(できた)」

という形においては、やはり「でさえ」が使われ、

「Aで( )十可能過去(できた)のBをC十否定過去(できなかった)」

の形の場合は「ですら」が使われます。

なぜなら、Bという出来事(この場合は「初打席初ヒット」)に対しての評価を、AさんとCさんの「できた」「できない」の対比によって表していて、しかもそのニュース性は、後者(Cさん)のほうにあり、Aさんはそのための比較対象として取り上げられている訳です。A,Cの両方が「できた」場合や「できなかった」場合は、ニュースそのものが成り立たないのです。

当然この場合、新庄選手には悪いのですが、イチロー選手のほうが新庄選手より、実力が"上"と見ています。

「すら」と「さえ」の使い分けです。

「Aすら〜」の場合はAには最下級のものがはいり、「Bさえ〜」の場合Bには最上級のものが入ると思うのですが、辞書の用例を見る限り、私の仮説はあくまで仮説のようです。実際には、「ですら」「さえ」も同じように使われているようです。

「広辞苑でさえ」そうです・・・と、書いた時は、広辞苑を持ち上げていますよね。

「広辞苑ですら」そうです・・・と、書いたら、広辞苑を低く見ているように感じませんか?(新しい言葉をなかなか取り入れない広辞苑ですら取り入れているのに・・・というような使い方)

いや、これはやはり、A、Cに入るものの相対的な力関係が確定していないと成り立たないような気がしてきました。

今回は私の言うようなケースが成り立ちそうですが、必ずしもそうでもないのかもしれないな。

まだまだ、勉強が必要なようです。

2001/5/22

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