◆ことばの話260「こぼれるオッパイ」

(最初に謝っておきます。女性の皆さん、ごめんなさい。別にセクハラとかそんなことは考えていませんので、ご了承ください。)



大阪外国語大学の小矢野哲夫教授のホームページ「けとば珍聞」と、「むささびとびのしんの身辺雑記」を読んでいたら、以前私が書いた「平成ことば事情235"巨乳と豊乳"」に関係したことを小矢野先生も書いてらっしゃったので、それについて書きましょう。

「関係したこと」というのは「週刊誌の新聞広告」です。いや、もう少し分かりやすく書くと、「新聞の広告欄に載っている、週刊誌の広告の表現について」です。「巨乳と豊乳」は「新聞のラ・テ欄に載っている表現について」でしたが、広告もそうなんだなぁ、という話。

ある日(3月11日)、小矢野先生が新聞を読んでいると、朝日新聞と毎日新聞に載っている「週刊ポスト」(2001年3月23日号)の広告の表現が微妙に違うことに気付いたんだそうです。つまり、「毎日新聞」には、



「細川ふみえが脱いだッ!こぼれるオッパイ



と書いてあるのに対して、「朝日新聞」は、



「細川ふみえが脱いだッ!嗚呼(ああ)麗(うるわし)しのオッパイ



となっていたんだそうです。それで他の新聞はどうだろうか?と小矢野先生は書いていらしたんです。よーし、調べたろやないか!と、思って調べました。その結果、次のことがわかりました。(細川ふみえが脱いだッ!までは、各紙同じ)



(産経新聞)「こぼれるオッパイ」

(読売新聞)「満満のオッパイ」

(日経新聞)「週刊ポスト」の広告なし




そして、実際の「週刊ポスト」(3月23日号)はどうかというと、



「こぼれるオッパイ」



だったのです。

つまり、朝日と読売は、

「"こぼれるオッパイ"という表現は下品だから、他の表現に代えてくれ」


と、「週刊ポスト」側に要求したものと思われます。(もしくは「週刊ポスト」側が自主的に対応した?)しかし、代えた後の方が、より、なんちゅーか、その、ねえ。「満満」って言われても・・・。これって、修飾語がいけないんでしょうか?被修飾語が下品なんでしょうか?皆さんはどう感じますか?

ちなみに、「巨乳」という言葉は「下品」なので使えないため、「豊乳」という言葉を使う「朝日新聞」の影響なのか、3月16日の新聞各紙(朝日・毎日・産経)に出た、写真週刊誌「FRIDAY」の広告には、こうありました。



「川村亜紀豊乳弾けた!」



日経は例によって、広告掲載なし。(日経の読者は、「週刊ポスト」や「FRIDAY」は買わないんでしょうね。つまりターゲットが違うということかな。)

これも「豊乳」のほうが「巨乳」より「上品」なんでしょうかねえ。どっちの方がよく耳にするかというと、「巨乳」だけどな。

そして、読売はどう表現しているかな?と思って探しましたが、なんと、読売新聞には「FRIDAY」の広告は載っていませんでした。

なぜか?そういえば数年前に、読売新聞に「今後、講談社の広告は取り扱わない」という記事が出てましたっけ。「FRIDAY」は講談社の雑誌です。まだ、講談社の雑誌広告は取り扱わないのかな?と思っていたら、次の週の金曜日(3月23日)の朝刊には、なんと読売も「FRIDAY」の広告が出ています!「朝日」「産経」も出ていますが、今度は「毎日」に「FRIDAY」の広告がない。一体これはどういう事なのでしょうか?

広告の表現に対する制限ではなく、「FRIDAY」側が、予算のためか何のためか、3紙にだけ広告を出すことにして、毎週1紙だけははずしてローテーションしてるんでしょうか?そこで、3月の「金曜日」の各紙に「FRIDAY」の広告が載っているかどうかを調べてみました。結果は以下の通り。

  3月2日 9日 16日 23日
読売 ×
朝日 ×
毎日 ×
産経

ローテーションかと思われましたが、3月2日は4紙に載っています。うーん、謎はますます深まってしまいました。

さらに、さかのぼって調べました。なかにはもう(新聞が)捨てられてしまって分からないものもあり(?で表わしました。)虫食い状態ですが、一応、一覧にします。

  1月5日 12日 19日 26日 2月2日 9日 16日 23日
読売 × × ×
朝日 ×
毎日 × × ×
産経

という結果になりました。 また、×になっている日にも、他の講談社の雑誌や本の広告が載っていることから、「講談社は載せない」ということでもなさそうです。

「FRIDEAY」が載っていない日に、代わりに載っている雑誌は「MINE」「現代」「with」といった月刊誌です。ということは、



「月刊誌の発行日が金曜日に重なった時は、スペースを月刊誌のために割いている」



ということのようです。

ただそういった中で、(調べたうちで)1回も「FRIDAY」の広告を休んだことがないのは、産経新聞です。恐らく、産経新聞の読者は、「FRIDAY」をよく買い、「MINE」「with」といった女性誌は買わない層、つまり男性の読者が多いということなのでしょう。また、「現代」のような月刊誌も買わないとみているのではないでしょうか。それに比べると、「読売」「毎日」あたりは女性の読者もある程度いる、意識しているということが言えるのではないでしょうか。

いやいや、「こぼれるオッパイ」が意外なところにまで、話が飛んでしまいましたね。

2001/3/23

(またまた追記)

「美美」がだめなら、去年、「優優」とカップリングさせるために中国から新潟にやってきたトキの「美美(メイメイ)」の立場はどうなる!?

・・・・「美美」の読み方を調べるために、佐渡トキ保護センターに電話しました。 ついでだから、今いるトキの名前も全部教えてもらったので、ご紹介しましょう。



(1)キン(サド産最後のトキ)♀

(2)友友(ヨーヨー)♂

(3)洋洋(ヤンヤン)♀

(4)優優(ユーユー)♂

(5)新新(シンシン)♂

(6)愛愛(アイアイ)♀

(7)美美(メイメイ)♀



それでちょうど今、春なので、産卵の時期を迎えており、その「美美(メイメイ)が卵を産んだそうです。トキは2日に1個、卵を産むんだそうで、3月の26日、28日、30日、4月1日と4個産んだという事ですが、有精卵かどうかは分からないので、トキの赤ちゃんの誕生するかどうかは、まだ分からないそうです。

そして、それに刺激されたわけでもないでしょうが、「友友」「洋洋」ペアもちょうど今、産卵していて、4月2日、4日に産んだという事です。このあと、6日、8日にも1個ずつ産む予定だそうです。

「こぼれるオッパイ」の話が、なんと「佐渡のトキの産卵」の話にまで流れてしまいました。

まんざら関係なくもないか。
2001/4/5


◆ことばの話259「アメちゃん」

関西人はいろんな物に「さん」をつけて呼びます。例えば「おいもサン」(=芋)、「おまめサン」(=豆)、「おあげサン」(=揚げ)といった食べ物に始まり、「おてんとーサン」「おひ(ー)サン」(=太陽)、「天皇さん」、「かみサン」(=神様)といったものまで、「さま(様)」ではなく「さん」がつきます。人の名前では「はん」がつくものもあるのは、「おけいはん」(「平成ことば事情210」)のところに書きました。

ところで、こういった系統の中で、ひとつだけ、似ているけどちょっと違うものがあるのです。それは、



「アメちゃん」



です。いわゆる「キャンディ」「飴」のことですが、これを 関西人は、大の大人が恥ずかしげもなく「アメちゃん」と言います。



「ちょっと、そこのアメちゃん、ちょうだい!」



という具合に。これがどうも、よその地域の人たちには、



「大人のくせに、"アメちゃん"だって・・・プププッ・・・。」



と思えるそうなのです。ところが、当の本人(関西人)は「何がおかしいねん?」と思っています。なぜなら、関西人にとって「アメちゃん」は「アメ」十「ちゃん」ではなく、「アメちゃん」で一語、切っても切れないものなのですから。だから、当然、「全国どこでも飴のことは"アメちゃん"と言う」と思っています。嘘だと思ったら、近くの関西出身者に聞いてご覧なさい。

インターネットで調べると、関西以外では、どうも三重県の鈴鹿市と富山県の方でも「アメちゃん」と言うらしいことが分かりましたが、それ以上の情報は、まだありません。



「アメちゃん」というと、すごくかわいらしい、柔らかい感じがします。「飴」だと「飴、くれ!」と言えますが、「アメちゃん」だと「アメちゃん、くれ!」とはあまり言わず、「アメちゃん、ちょうだい!」と少し丁寧な、可愛い物言いになる気がします。拗音の持つ特徴でしょうか。関西弁では、結構、拗音が特徴的に使われるのかもしれません。例えば、

「チャウチャウ、チャウチャウ、チャウンチャウ?」

てな具合に。



しかし、不思議なことに「アメちゃん」以外に「ちゃん」がつく言葉は、見当たらないのです。なぜ「アメ」だけが「さん」でも「はん」でも「さま」でもなく「ちゃん」なのか?

「ちゃん」は幼児語だからかわいらしく聞こえるのは当たり前かも知れませんが、なぜ、その幼児語を、この言葉に限って大の大人が使うのか?

21世紀になっても皆目見当がつかない今日このごろです。

2001/3/16

(追記)

2003年のお正月、日本テレビ系の人気番組「はじめてのおつかい」を見ていたら、京都の母子が出てきました。2歳の時にお父さんが白血病で亡くなった5歳の女の子が、お母さんに頼まれて「はじめてのおつかい」をするのですが、この女の子、最初はお母さんから離れるのがイヤで、なかなかお使いに行こうとしません。そこでお母さんが、こう言ったのです。
「ほら、アメさんあげるから。」
おお!京都では「アメちゃん」ではなく「アメさん」!!
ちょっと大人びてる・・・というわけでもないですが、今回の「はじめてのおつかい」で、一番印象に残ったのはその場面でした。

2003/1/5


◆ことばの話258「耳ざわり3」

この「平成ことば事情」の176と185に続いて、「耳ざわり3」完結編(予定)です。

思えば去年の9月に、ふとした事から気付いた「耳ざわりがよい」というふうな「耳ざわり」の古い使用例。元・読売新聞記者の清水さんのアドバイスもあって、さらに古い用例を探し当てることが出来ました。

平成ことば事情176の「耳ざわり」の追記にも書きましたが、「今昔物語」での使用例は、関西外国語大学の図書館で全集本で確認しました。そして江戸中期の俳諧集(176の「耳ざわり」では「長唄集」となっていますが、正しくは「俳諧集」です。)「雲の峯」における「耳ざわり」の使用例は、伊丹市にある「柿もり文庫」所蔵の「雲の峯」か、愛知女子大学所蔵の「雲の峯」かに載っていることが分かり、「柿もり文庫」の「雲の峯」には載っておらず、旧称「愛知女子大学」、現「愛知県立大学」の図書館の方にある「雲の峯」に載っていることが、電話で確認できたところまで、「追記」に記しました。

さて、2月20日。その愛知県立大学に行ってきました。

京都から新幹線に乗ってたった40分で名古屋へ。そこから地下鉄・鶴舞線で終点の「藤が丘駅」まで30分乗りました。実は、地下鉄の乗る前に、なんとなく「このまま直接、愛知県立大学に行ってしまって良いのだろうか」という気持ちになって、名古屋駅周辺でウロウロしてしまいました。まるで、初めてデートをする時に、待ち合わせの時間のずっと前に近くまで来ていながら、スッとは待ち合わせの場所には行かない、行けないような、そんな気持ちでした。会いたいような、会いたくないような。昼飯を食べて、ようやく踏ん切りがつきました。「よしっ、行こう!」

地下鉄の中では、こんな事も思いつきました。

「社会言語学とは、ひとことで言うと、ふだん無意識に使っているコトバの表現を"意識化"し、分析するものではないか。」

移動の時間は、いろんな物を目にして、いろんな事を考えるんですよね。

さらに「藤が丘」からタクシーで20分。(バスだと25分。ちょうど大学がもう休みに入っており、バスは1時間に1本しか便がなかったので、行きはタクシー使用。帰りは少し待って、女性ドライバーの運転する名鉄バスで帰ってきました。)目指す愛知県立大学に到着しました。大学は長久手の古戦場の近くにあり、近辺一体は2005年に万博が開かれる予定地という学研都市構想の中に位置しているようでした。

建物も新しく近代的なきれいな建物。しかし、その広大なキャンパスにはほとんど人影が見えません。

ガードマンに「図書館に行きたいんですが・・・」というと、100メートル先を指差し「あれですよ。」

既に春休み中で人気(ひとけ)の少ない図書館に入って、係の女性に、来意を告げると、すぐに年配の女性司書の方(おそらく、電話で応対してくれた方)が、現物を持って来てくれました。

ついに、ついにご対面です!

実物はあっけないほど小さな・・・といいますか、小ぢんまりとした、本というよりは冊子と云った方が良いようなものでした。

寸法は、タテ17cm、ヨコ10cm位。見開きでもヨコは20cmほどです。

表紙には

「俳諧 雲の峯奉納 池鯉鮒大明神社濃陽鸞亭 評
三州堤邑願主 三光、平路、木牙枝、 鬼眼、思暁」


とあり、余白に「昭和34年3月6日 愛知県立女子大図書 第27910号」というハンコが赤いインクで押してあります。私が得た情報に、この「県立」の文字が抜けていたために、ずいぶん遠回りをしました。

「三州堤邑」というのは三河、今の豊田市のあたりだそうです。

裏表紙には

「文化四年 卯年 孟春 撰」とあります。文化四年は1807年。今から194年前です。

「孟春」は広辞苑によると、「春の初め」の意味。(正月という意味もあるようですが。)

まさに今の季節ではないでしょうか!

本の中には、2600余り集まった句の中から「濃陽鸞亭」という人が、評を下した、200編の俳句がずらりと並んでいます、

その60番目に、目指す句がありました。



「風の音 耳さわりよき 幟かな 」



詠んだ人は「三 アザブ 木邑楡会」とあります。「三」は「三河」、「アザブ」という地名は、現在の「西加茂郡三好町あざぶ」というところだそうで、 現在も地名として残っています。「草かんむりに助ける」という字と「生」と書いて「あざぶ」と読むそうです。図書館の人に教わりました。

ああ、ついに、ついに・・・。

これが知的興奮というものなのでしょうか。

図書館の人は、伊丹の柿もり文庫のように手袋をするでもなく、素手で「雲の峯」を渡してくれました。

「これは、なにか放送で使うのですか?」

「いいえ、個人の研究用です。」

「何枚ぐらい写真を撮るのですか?一応、撮られた写真のネガを提出してもらうことになっているのですが・・・。」

「いえ、ほんの数枚です。」

「ふーむ、それなら、ネガ提出はしなくても良いでしょう。」

ということで、ほんの数枚、この「俳諧・雲の峯」の写真を撮りました。その間、約10分といったところでしょうか。

ものの30分で、仕事は終わりました。

この半年の研修の、一つの成果があげられたかなぁなどと、思いながら、充実感を胸に、愛知県立大学をあとにしたのでした。



そして、その愛知県立大学から帰って来て、3週間。3月になってから、「日本国語大辞典」の編者である松井栄一(しげかず)先生宛てに、今回の「耳ざわり」探求の旅の様子を書いた手紙を書きました。

3月21日現在、まだ返事はありませんが、一つの仕事を成し遂げた充実感が、私にはあります。



以上、「耳ざわりを巡るいきさつ」、いかがだったでしょうか?

お耳ざわりではありませんでしたか?

2001/3/21

(追記)

3月23日、松井栄一先生から、丁寧なお返事を頂きました!

要約すると、「今昔物語」の「耳触」は「耳に触れたる」と読むので、語彙としては「みみざわり」ではないこと。また、その後の研究で「耳ざわり」の古い例としては、夏目漱石「こころ」(大正3年9月)や、永井荷風「伊太利亜の新興の閨秀文学」の中に(大正2年4月、但し最初に三田文学に載ったのは明治44年)まで溯っていること。また、この「雲の峯」の「耳さわりよき」は「耳さわり」という一語ではなくて、「耳」と「さわりよき」の2語ではないかということ。ただ、断言しにくいが、「雲の峯」の「耳さわり」は、一番古い例かもしれないと思いますと、書いてくださっています。

漱石の「こころ」の中での「耳ざわり」の使用例は私もチェックしていました。というのも去年秋、「こころ」をテキストにして、「家」と書いて「いえ」と読むか「うち」と読むかをチェックしたことがあって、その際に「耳ざわり」も見つけていたのです。



いずれにせよ、辞書作りの第一人者の松井先生からお返事が頂けたのは、とても嬉しく思います。これで、ちょっとは「トライ研修」の成果が出たかな?

2001/3/26

(追記2)

週刊文春2001年6月28日号の84ページ「近田春男を考えるヒント219」というコラムでLOVE PSYCHEDELICOというグループの 「FreeWorld」という曲を、近田氏が表して曰く、
「聴こえてくるイントロが、新しい感じとも違う、かといってノスタルジックというのとも違う、それから国籍がよく判らない。耳心地の良さとは裏腹に正体が見えぬ。それで「?」となってしまうのだった。」
ということで、「耳心地の良さ」という表現を見つけました。

2001/6/22

(追記3)

「耳ざわり」の一番古い用例ではないかと、松井栄一先生に伝えた「俳諧・雲の峯」の中の「風の音 耳さわりよき 幟かな」という俳句、「日本国語大辞典・第二版」の「耳触り」の項の用例として、採用されていました!去年(2000年)の11月に気づきました。

2002/2/15

(追記4)

8月16日の読売新聞の解説面「長野知事選」の中で、解説部の青山彰久記者が「耳触りのいい言葉」という表現を使っていると、私の先輩の辛坊治郎・読売テレビ解説員からメールが来ました。
「公社や事業団を含めて徹底して県行政の本当の姿を示す時だろう。その上で、住民に耳触りのいい言葉ではなく、現実に即した改革プログラムが必要だ。」

辛坊氏は「耳触りがいい」は、きらいではないが、それを避けて「耳当たりがいい」などという言い換えは「いかがなものか」と考えているそうです。

2002/8/25

(追記5)

「耳触りが悪い」の用例が、昭和27年(1952)3月号の『言語生活』に載っていました。演芸家の松井翠声さんという人が「話す」ことについて書いたコラムのタイトルが、その名もズバリ、
「耳触りがわるい」
でした。書き出しは、
「近頃ぐらい言葉が、めちゃくちゃになったのは実に拡声機(ママ)と言うものができたせいだと思う。」
という文章で、最近の敬語や言葉の使い方はなってない!と怒ってらっしゃいます。タイトルは松井さんが付けたのか、それとも編集部が付けたのか?わかりませんが、当時は「耳触りがわるい」と言うのは「言葉の乱れ」とはされなかったのですかね?
2006/7/31

(追記6)

松井翠声という人をネット検索してみたら、こう載っていました。
「活動弁士。洋画の弁士としてインテリ層に人気があった。」
徳川夢声さんみたいな人かな?
『本名は五百井(イオイ)清栄。東京本郷の生れ。写真屋、寺の小僧、新聞配達をしながら、錦城中学の夜間部に入学。昼間の勉強に代りたいことから夜の仕事を探し、当時牛込館にいた弁士、松浦翠波に入門。見習い弁士、松井翠声を名乗る。見習い弁士のかたわら、中学を卒業。早稲田大学英文科を卒業後も洋画専門の弁士として一本立ちとなる。1932年にはウエスタント−キ−を日本に紹介、この方式で制作したオリエンタル映画社の「浪子」に徳川夢声らと出演した。戦後はNHKラジオの「陽気な喫茶店」に出演、またテレビ放送開始後は「タレントスカウト」「クライマックス」などで司会業として出演し、茶の間でも親しまれた。1973年8月1日に、ガンで急逝した。享年73。』
だそうです。
2006/7/31

(追記7)

2003年9月28日、当時の安倍晋三・自民党幹事長が、
「自民党は腕のいい外科医なんです。民主党は違います。耳ざわりのいいことを言っていますが。」
と言っていました。「美しい国」を作るには、総理自ら「美しい日本語」をお願いします。
2006/10/31

(追記8)

12月20日、青島幸男さんが亡くなりました。74歳。その特集を12月21日の「ザ・ワイド」で放送しているのを見ていたら、昭和43年の参議院選挙で初当選したあとに青島さんが、
「青島幸男、全国区、初当選。あの声はねえ、耳ざわりがいいねえ」
としゃべっているフィルムを紹介していました。合掌。
2006/12/21

(追記9)

『魔王』(伊坂幸太郎、講談社文庫:2008、9、12)という小説で、「耳ざわりがいい」にあたる表現が出てきましたので、拾っておきます。
「聞こえのいいことばかりを口にし」(161ページ)
「聞こえのいいこと」
という言い方。これもたしかに聞きますよね。Google検索(2009年1月26日)では、
「聞こえのいいこと」=9250件
「聞こえの良いこと」=2100件
「聞こえがいいこと」=4230件
「聞こえが良いこと」=1280件
でした。
2009/1/26
(追記10)

『ウェブはバカと暇人のもの〜現場からのネット敗北宣言』(中川淳一郎、光文社新書:2009、4、20)の中に、
「耳通りが良い」
という表現が出てきました。これまでに、
「耳あたり(がいい)」
という表現は聞いたことがありましたが、「耳通り」は初めてです。本で出てきた表現を書き抜いておきます。
「『日本企業の特徴』について語るときに年功序列・終身雇用は耳通りが良いのでよく使われるだけ」
2009/5/5


◆ことばの話257「マイクからミチウラ」

出張の飛行機の予約をしに、旅行会社に行った時の話。旅行会社の女性が、航空会社に、私の名前を電話で伝えている時の話。



「ミチウラトシヒコ様です。マイクからミチウラ、タイガーからトシヒコ様です。」



という具合に、名字と名前を説明していたのですが、これは初めて耳にしました。私がアナウンサーだから「マイクからミチウラ」なんでしょうか?けど、トシヒコとタイガーは何の関係もないわな。

ちなみにその時は、先輩の辛坊治郎さんの分も予約したのですが、辛坊さんの場合は、



「シュガーからシンボウ、ジャックからジロウ様です。」



これは、五十音について、相手との間で符丁のようにすべて決まっているのでしょうか?

それとも、その場で係の人が、思いつきで言っているのでしょうか?

さっそく、確認の電話をしました。(実を言うと、この出張は去年の6月。聞きに行ったのは今日ですから、その間には9ヵ月のブランクがあります。机を整理していたら、この符丁のようなものを書き留めた、落書きのようなメモが出て来たものですから、今、これを書いているのです。だから、全然"さっそく"ではありません。そのへんは、ちょっとフィクションです。)

すると、

「ええ、そういう決め事はあります。」

「それは、社外秘のようなものですか?」

「いえそんなことはないですよ。」

「コピーなんかは頂けますか?」

「いいですよ。」

ということで、頂いてきました、その暗号。コピーには「アルファベットの言い表し方(通信コード)」とタイトルが書いてあります。それによると、

A=Able(エイブル) N=Nancy(ナンシー)
B=Baker(ベーカー) O=Over(オーバー)
C=Charlie(チャーリー) P=Peter(ペーター)
D=Dog(ドッグ) Q =Queen(クイーン)
E=Easy(イージー) R=Rojer(ロジャー)
F=Fox(フォックス) S=Sugar(シュガー)
G=George(ジョージ) T=Tiger(タイガー)
H=How(ハウ) U=Uncle(アンクル)
I =Item(アイテム) V=Victory(ヴィクトリー)
J=Jack(ジャック) W=Whisky(ウイスキー)
K=King(キング) X=X-ray(エックスレー)
L=Love(ラブ) Y=York(ヨーク)
M=Mike(マイク) Z=Zebra(ゼブラ)

とアルファベット26文字にそれぞれ愛称のような呼び方がついています。 旅行会社の人の話によると、



「昔は国際電話なんかで海外旅行の予約をする時に、お客様の名前をはっきり伝えるための符号として使っていました。今は主に、飛行機の予約などをする時の、お客様の氏名を伝えるのに使ってます。例えばミチウラさんだと"マイクからミチウラ"になる訳です。飛行機のチケットは、お客様の名字は合っていても、お名前のイニシャル(アルファベット)が違ったりすると、飛行機に乗れなかったりするので、間違わないようにするための方法なんですね。それから、JRなんかで座席の予約の際にも使いますよ。大体、座席名はAからEまでですけど。その時はちょっと言い方が違って、例えばBはBox(ボックス)、CはChina(チャイナ)ですね。アルファベットは26文字ありますけど、お客様の名字・お名前で使うものは、結構、偏ってますね。QとかXはまあ出てこないですね。ただ、世界の空港にはすべて"スリーコード"というアルファベット3文字が割り当てられているんです。例えば関西国際空港はKIX、羽田空港はTYOというものですけど、その空港名を電話で確認する時には、QやらXも出てきますね。」



なーるほど、納得。やはりこういった"決まり"があったんですね。ボクはアナウンサーだから「マイク」とか、タイガース・ファン(と言うほどのものでは、全然ないんですけど)だから「タイガー」にしている訳でもなく、牧野さんでも森さんでも三浦さんでも村上さんでも森若さんでも、みーんな「マイク」で、俊彦さんでも武史さんでも隆志さんでもみーんな「タイガー」なんですね。「マイク・タイソン」でも「マイク」、「タイガー」だし、「タイガー・ウッズ」だと「タイガー」、「ウイスキー」ですね。納得しました。

それぞれの業界には、その中でのみ使われる、いろんな符丁があるもんなんですね。

またまた新しい宝物を発見をした気分です。

2001/3/16

(追記)

この話を後輩のWアナ(1999〜2000年の1年間、アメリカ留学経験あり)にしたところ、「そんなの、アメリカじゃぁ、当たり前ですよ。」と一蹴されました。

・・・日本でも当たり前なんでしょうか?どちらにせよ・・・やはり知らなくておもしろいことって、まだまだいっぱいあるんですね。ワクワク!

2001/3/21


◆ことばの話256「目線と視線」

もともと業界用語なのに一般に使われている言葉はいろいろありますが、その中でずーっと以前から気になっているものに「目線」があります。

本来「視線」というべきところで「目線」を使うということですが、最近はそれをテレビ業界人ではなく一般の人が、なんのこだわりもなく使っているので、「いまさら・・・」とも思いますが。なぜ「目線」だと気になるのか?「視線」と「目線」で意味の違いはあるのか?そのあたりについて日頃から、それとはなしに考えていましたが、ある日ハタと気付きました。



「"目線"と"視線"は、その"線"を見る人=主体が違うのではないか?」



つまり、「"目線"とは、ある人(Aさん)の視線を、他の人(Bさん)が指して言う時に使い、本人(Aさん)が"自分の視線"に対して使うと、違和感を覚えるのではないか?」ということなんです。

いや、ちょっと待てよ。さらに言いかえると、「"その線"(視線OR目線)を外から見るのか、自ら(内側から)見るのか」ということです。主体の問題ではないのかな?



うーんつまり、目線は「目の線」「見る先、方向」という意味ですが、これは自分以外の誰かが使う場合にはOKなんですが、自分で使う時は「視線」。「視線」には「見よう!」とする「意志」を感じますが、「目線」には感じません。ただ、その方向を見ているというだけのような感じがします。

この話を後輩の女性アナウンサーにしたところ、



「私は"視線を浴びる"っていうから、他の人の見る目が"視線"で、自分が見る方は"目線"のような気がしますねえ。」



と話していました。やっぱり女性アナは"視線を浴びる"んだ。

別の女性アナに聞くと、



「"目線"の方が科学的な感じがしますね。客観的というか。"誰かの視線を感じる"ことはあっても"誰かの目線を感じる"ことはないですからね。」



という話になりました。

やはりそうか。その、



"見る"見方(みかた)に意志(=主観)を持っているのが"視線"、ただ目をむける(=客観)のが"目線"。

そういった使い分けでいいのではないでしょうか?辞書にはそこまでの意味上の使い分けの説明はなくて、「目線」を引くと「視線のこと」などと書かれていたりしますが、「そうじゃない」のじゃないかな、実際に使用される時は別として。(つまり、使う方はそこまで考えずに、"視線"の代わりに"目線"を使っているとは思う。)

単に「"目線"はテレビ業界用語だから放送では使わないように」ではなく、もう国語辞典にも載っていることだし、意味の上での使い分けをしっかりやって、使っていけばいいんじゃないかな。そういう(視線・目線)で言葉を見守ればいいのではないでしょうか。

(問1) 上の行の( )内の言葉の正しい方に○をつけよ。

2001/3/21