◆ことばの話250「この冬一番の寒さ」

3月に入って、寒さがぶり返してきました。雪は降るは、風は吹くは。今年の冬は西日本は「例年並み」などといわれていますが、ここのところずっと暖冬が続いていた(ような気がする)ので、「何が"例年"か?」わからなくなっていて、ものすごく「寒い冬」だったような気がします。

3月の雪というと、いわゆる「15の春」、高校受験の日(3月16日くらいだったと思います)の、受験会場の教室の外の吹雪を窓ガラス越しにみていたことや、大学に合格して、下宿させてもらう東京・荻窪のお宅に、母と伺った時(3月18日頃だったかな)の大雪を思い出します。

ところで、今回の3月に入ってからの寒さを「この冬一番の寒さ」と表現していると聞きましたが、一体、今は「冬」なんでしょうか、それとも「春(早春)」なんでしょうか?

いわゆる「暦(二十四節気)の上では」「啓蟄」も過ぎて、どう考えても「春」なんですけど、体感的には「冬」ですよね。けど「この春一番の寒さ」は、なにか表現上、しっくり来ないし。

「○○一番の〜」という時には、その「○○」と「〜」が順接的に繋がる、当然の帰結としてそうなる性質が求められると思います。つまり「夏=暑い」「冬=寒い」ということ。それから考えると、やはり「この春一番の寒さ」は、矛盾している。事実としては間違っていなくても。そこで、今の季節が何であるかということは、あえて考えに入れずに、「この冬一番の寒さ」がしっくり来るということになるんじゃないでしょうか。

いずれにせよ、陰暦と太陽暦で季節の言葉と季節がずれている現状だた、季節の変わり目の表現に、いろいろ苦労することが多いです。割り切るしかないですかね。

ちなみに、この話に関連したことを、以前書いておりました。(うすうす気付いていたのですが。)「ことばの話30・このシーズン一番の・・・」(1999,11,17)です。

この時は、「この秋一番の寒さ」か「この冬一番の寒さ」かで悩んでいて、NHKでは「このシーズン一番の寒さ」と言っていた、ということになっています。

一年4ヵ月も経って、あまり、進歩していない気がしますが。いや、後半部分だけ、半歩前進したといえるかな。

2001/3/10


◆ことばの話249「恋愛と合体」

去年(2000年)の12月に出た「新明解国語辞典・第五版」(三省堂)を先日購入しました。この辞書は、独特の語の説明が人気を呼んだり、顰蹙を買ったりしているのですが、私は、割りと好きです。例の「新解さんの謎」を読んでから、大変親しみを持って接しています。

特に「新解さん」の中に出て来た「恋愛」の意味の説明は、笑いなしには読めません。 第四版の「恋愛」の項を見てみますと、

特定の異性に特別の愛情を抱いて、二人だけで居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

とあるのです。「できるなら合体したい」・・・( )の中に(まれにかなえられて歓喜する)・・・この心情のあやを、微妙かつダイレクトに表わした説明はどうでしょう!初めて読んだ時には、青春時代の己れの心を見透かされたような、恥ずかしさと懐かしさを感じ、いっぺんでこの辞書のファンになってしまいました。

ちなみに「合体」を引いてみると、

【1】起源・由来の違うものが新しい理念の下(もと)に一体となって何かを運営すること。「公武合体」

【2】「性交」のこの辞書でのえんきょく表現。

とありました。もちろん「恋愛」においては2番目の意味で使われています。そういえば、漫画・映画の「釣りバカ日誌」で、浜ちゃんが奥さんのみちこタンと夜に交わす「夫婦和合」のシーンには、黒地に白抜きの文字で「合体」と大きく出てましたっけ。

ところが、第五版を購入して「恋愛」を引いてみると、なんと、こんな記述に変わっていたのです!

特定の異性に特別の愛情をいだき高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。

なんと!「合体」が消えているではありませんか!!ショック・・・。

「合体」の代わりに、どういう記述になっているかというと、「肉体的な一体感」。

その前後の記述を読み比べてみると、

「二人だけで居たい、出来るなら合体したいという気持ち」(第四版)から

「精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感を得たい」(第五版)

と変化しています。「やりたい、やりたい」さかりの二十歳前後の、直情的「若者の恋愛」から、「一番求めているのは、"精神的な一体感"さ。できればベッドも一緒に・・・なんてことは、考えていなくもないけどね。」というふうな、ややゆとりを持った「大人の恋愛」に変わったような感じです。

しかも、

「常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる」(第四版)は、

「常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり」(第五版)


に変わっています。やはり第四版は、合体が常にはかなえられないと、「どうすればいいんだよお!」と頭を抱えて大声を上げるような直情さで、ひどく心を苦しめる状態に陥るのに対して、第五版は「やるせない思いに駆られたり」と、ワンクッション置いた感じです。ずっと、心を苦しめられる訳ではありません。というのも「やるせない思いに駆られたり」は、「たり」ですから、常にそういう状態ではない、と思います。

しかも、時々は「合体」がかなうのですが、それに対する記述は、

「(まれにかなえられて歓喜する)」(第四版)

「まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置く」(第五版)


と、第五版では( )が外れています。これは、やはり、かなえられることが少ない若者に対して、やや、かなえられることが増える大人ならではの事ではないでしょうか。

しかも「状態に身を置く」とあくまで冷静ですね、第五版は。

「大人のゆとり」はこんな所にも感じます。

「合体」という表現が消えているのに気付いた時に、私はとてもショックで残念だったのですが、こうやって見てくると、第四版と第五版の「恋愛」の記述の変化は、第四版は「若者の"恋愛"」の意味を書き、第五版は「大人の"恋愛"」の意味を書いているようにも見受けられます。ここから導き出されることは、

「"恋愛"は、いくつになっても心をときめかせ、また、心を苦しませるものだが、年齢を重ねると、"恋愛"にそれほどおぼれることなく、うまくコントロールする余裕が出てくる。」

ということ・・・ではないのは、皆さん、よくご承知でしょう。そう上手く行く人ばかりでもないし、そんなに単純でもないようなんだよね、"恋愛"って。

やっぱり、個人的には、「第四版」の「恋愛」の方が、熱い!!という感じで好きなんだけどな。どうでしょうか?

2001/3/10


◆ことばの話248「三井住友銀行」

私が会社に入った頃、つまり17年前には、都市銀行など主な銀行は確か17行ありました。それがこの4月から、なんと4つの大きな金融グループに統合される訳です。時代の流れを感じざるをえません。

さてそのうちの一つ、さくら銀行と住友銀行が合併して「三井住友銀行」が誕生します。

もともと「さくら銀行」は、「太陽神戸銀行」と「三井銀行」が合併したものですから、そういった意味では、新しい銀行の内容は「太陽神戸三井住友銀行」です。長いなあ。

さて、その「三井住友銀行」のスタートに備えて、新しい看板作りが始まっているという記事が写真と共に新聞に出ていました。そこに書かれていたロゴマークを見て、おやっ?と思いました。三つの菱形の下にローマ字が書いてあるのですが、それは、

SMBC

SUMITOMO

MITSUI

BANKING

CORPORATION

と書いてあったのです。つまり、日本語は「三井が先」なのに、英語は「住友が先」なのです。

その理由を、住友銀行の広報に電話で聞いてみました。すると、

住「いやー、実は今、海外でも日本でも銀行名はローマ字の略号で呼ぶのが一般的なんですよ。それで、今回の合併にあたっても、SMBCという英語の略称の方が先に決まったっ聞いています。あとから日本名の三井住友銀行って決まったんです。特にどちらが先か、ということについて、英語と日本語で配慮したということもないんですけどね。」

道「けど、それにしても、MSBCでもよかったんじゃあないですか?」

住「うっ、そ、それは・・・SMBCの方が言いやすかったからだと思うんですけど。」

道「そうですかあ。けどMSBCだって、MS−DOSとかありますし、MSだか言いにくいということもないと思うんですけどねえ。」

住「そう言われましても・・・」

道「一般的に日本語の名前と英語の名前で語順が違うのはちょっと・・・やはり、なぜかなぁというのは、素朴な疑問だと思うんですけどねえ。」

住「その一般的って言うのが何が一般的かというのははっきりしないと思うんですねこうしなきゃいけないというような物があるわけでもなくてたとえば・・・」

道「ちょっと待ってください、それこそ一般論であって、この場合は明らかに常識、ルールと言って良いものだと思うんですよ、日本語の順番通りに英語にする、もしくは英語の順番通り日本語にするということは。"住友"という名前を"リビング・フレンド"などと英語にしたりしないでしょ。(まあ、石橋がブリッジストーン=ブリジストンになったりはしてますが。)」

住「まあ、そうですねえ。」

と、何だか焦点が合っているのかいないのか、という会話になってしまいましたが、要は「特に意識せずに、こうなってしまった」というのが住友銀行の広報の方の見解でした。皆さんはどう、思われますか?

2001/3/9


◆ことばの話247「ひな流し神事」

3月3日のひな祭り、夜勤で「今日の出来事」のニュース原稿を下読みしていると、毎年の恒例行事、和歌山県の淡島神社の「ひな流し神事」のニュースがありました。

なんと、今年は全国から30万体もの人形が淡島神社に寄せられ、そのうちの1500体を白木の舟に乗せて、厄や汚れと共に海に流すのです。

映像を見ながら、すごいなあと思いながら、ニュース本番を終えた翌日。朝刊を広げると、各紙ともこの出来事を取り上げていたのです。

ところがっ!!

読売=3万体

朝日=2万体

産経=2万体

日経=2万体

と、各紙とも、読売テレビが流した情報よりも、「0」が一つ少ないではありませんか!!

がしかし、毎日新聞は「30万体」と、読売テレビと同じ数で報道していました。

一体、真相は何なのか?

実際、取材にあたった和歌山駐在のOカメラマンに電話で聞いてみました。すると、

「ああ、あれは30万体でいいんですよ。そのうち神殿にうずたかく積み上げられるのが、2万体。そして、そのうち白木の舟に乗せられるのが1500体なんです。」

そうか、じゃあ、うちは間違ってなかったんだ。よかったぁ。

Oカメラマンはもう一つ面白い話を教えてくれました。

「毎年取材に行ってるんで神主さんとも顔見知りなんですけど、今年は神殿に積んだ人形の高さが去年よりも1、2メートル高いんですよ。それで、3万体ぐらいあるんじゃないの?って聞いたんだけど、いや、2万体ですって言うんです。じゃあ、なぜ去年より高いの?と聞くと、今年は人形が大きいんですって、答えるんですよね。つまり今年の人形は、バブルの頃に買った人形だから、当時はやっぱり、高くて大きい人形を買ってたんじゃないですかねえ。」

ということなのです。バブル経済が崩壊して10年、そういう事が起きているとは。しかし、ひな人形などは、ずーと、それこそ孫子の代まで伝えて行ってこそ・・・と思うのですが、これももしかしたら「少子化」の影響なのかも知れませんね。

いや、人形の数の話から、ずいぶんそれてしまいましたが、こんな所にも世相が反映されているものなのですねえ。

2001/3/9


◆ことばの話246「ベツバラ」

「ベツバラ」という言葉を耳にされたことはありますか?・・・いえ、タカラヅカでやっていた者ではありません。それは「ベルバラ」。こちらは「ベツバラ」、漢字で書くと「別腹」です。たとえば、

A「もう、お腹一杯で食べられない〜!」

B「まだ、デザートのケーキがあるんだけど・・・。」

A「ケーキ!?食べる、食べる!」

B「だって、今もう食べられないって・・・」

A「ケーキは別腹よ」

てな具合に使われます。この言葉、辞書には載ってないんですよね。比較的新しい言葉なんでしょう。読売テレビアナウンス部で女性アナウンサーの皆さんに、「この言葉を知っているか、またいつ頃から使っているか」を聞いたところ、全員知ってました。

ただ、お姉様たちは「知っているけど、語感も悪いので、自分ではあまり使わない」と言ったのに対して、妹達(?)は「もう、高校の時から使ってますよぉー」と、力を込めて話していました。彼女たちの高校時代、というと、大体5年から10年前になる訳ですが、出身地は、愛媛・広島・千葉・大分とバラバラ。しかもそのうち3人は東京の大学出身、一人は京都の大学出身ですので、あまり地域差なく、10年ほど前から使われているのではないかな、という推測が成り立ちます。ちょっとサンプルが少ないけど。

確かに「ごはんと甘い物は、入るところ(胃袋)が別」というような言い方は、昔からあったように思いますが、それを短縮したような「ベツバラ」は、まだ新しい言葉だと思います。しかし、最近、テレビコマーシャルでこの言葉が使われているようです。

香川県出身の知り合いによると、「香川では"うどんはベツバラ"という言い方があり、"うどんの店・ベツバラ"という店も存在する」そうです。

案外、「ベツバラ」の発祥の地は、香川かもしれませんね。

2001/3/9

(追記)

2004年の1月2日、家の近くのファミリーレストラン(京阪・牧野のトマト&オニオン)の広告看板で、
べつばらデザート3つで477円。」
というのを見つけました。デザートがカタカナなので、それと区別するためでしょうか、「べつばら」と、ひらがなで記されていました。
また、この「ベツバラ」の項の会話が、梅花女子大学の米川明彦先生編『日本俗語大辞典』
(東京堂出版、2003,11,10)の575ページに、拙著『「ことばの雑学」放送局』(PHP文庫)からの引用という形で出ています。是非、ご覧ください。

2004/1/6
(さらに追記)

いやあ、気にしだすと目に付くものですねえ。毎日新聞の今日(1月6日)の夕刊「なぜなぞ科学」のこの日のタイトルが、
『「甘いものは別腹」どうして』
というもので、「江口一」という署名があります。
「食事で満腹になったのに『甘いものは別腹』といいながらデザートをさらに食べることができるのはなぜだろう。」
という書き出しで、筑波大の桜井武助教授(基礎医学)は、
「いったん満腹と感じても、脳が食べたいと判断すればさらに食べられるのが、ヒトの大きな特徴だ」
と答えています。そして、最後に大阪大学の山本隆教授(味覚生理学)が
「結局、そのデザートをたべるかどうかは、その人次第です。」
と指摘しているのですが、
「そりゃ、そうだろう!」
と思わず突っ込んでしまいました。
2004/1/6
(追記2)

5月7日の読売新聞朝刊「味覚の疑問 科学的に説明」という見出しの記事で紹介されている本『味のなんでも小事典』(講談社ブルーバックス)の紹介の記事の中で、「別腹」が出てきました。 「『甘いものは別腹』については摂食促進物質「オレキシン」がかかわることを説明。甘味を通じて脳内に分泌されたオレキシンが消化管の活動を活発にし、伊の中にゆとりを作ることが”別腹”につながることを述べている」
と記されています。一度この本、読んでみよっと!

2004/5/7

(追記3)

『週刊文春』2005年8月11日・18日合併号の裏表紙の「新三共胃腸薬」の広告のタイトルが、
「別腹?」
でした。ホンジャマカの石塚英彦さんが、大きなイチゴのショートケーキの写真の下で、足を伸ばしてくつろいで座っている、という絵柄です。

2005/8/3
(追記4)

『三匹のおっさん』(有川浩、文藝春秋:2009、3、15)という小説の中で、主人公の一人の高校1年の男の子のセリフで、
「夫婦なら枯れてても浮気なら別腹ってことはアリかもなー」(182ページ)
というのが出てきました。高校生のセリフとしては、大人びてるなー。
2009/5/5