◆ことばの話220「生前」

先日、武庫川女子大学の言語文化研究所所長の佐竹秀雄先生と話をしている時に、佐竹先生からこんな話が出ました。



「死んだ後のことは"死後"と言いますよね。ところが死ぬ前の、生きていた時の事は"死前"とは言わずに"生前"と言う。これは何ででしょうかねえ。」



・・・うーむ、私ごときの一介のアナウンサーには難かしすぎる問題です。

確かに言われてみればそうですよね。「死前」なんて言葉は聞いたことがない。

ただ、「生前」は「生きている前」ではなく、「生きていた時、つまり(死ぬ)前」というふうに「死」が脱落したもので、「生前」の「生」と「前」は同格ではないだろうか、というのが第一案。

そしてもう一つの考えは、「前」は「まえ」ではなく「さき」であって、「さきに、生きていた時」という意味ではないでしょうか?

こう考えると、「死後」という言葉に関しても、もともと「生前」という言葉がおそらく中国から入ってきて、その漢字に対応して「死後」という言葉が出来た、と考えられるのではないでしょうか。

「日本国語大辞典(第一版)」によると、「生前」は「せいぜん」という読みのほかに、「しょうぜん」「そうぜん」という読み方もあるそうで、古くからこの三つの読み方が使われていたようです。

このことからも「死後」という言葉より、「生前」のほうが歴史が古そうです。

また、これはまだよく調べていないのですが、仏教用語としての、何か歴史があるのではないでしょうか?

疑問は解けませんが、ヒントは見えたような気がします。

2000/12/29

(追記)

京都の壬生寺の和尚さんに相談したところ、「私もそれは気になってましたが、"生前"は仏教用語ではありません。ものの本によりますと、"生前"の反対語は"死後"ではなく、"没後"だそうです。そのあたり参考になりませんか?」という話でした。参考になりました。

2001/1/10


◆ことばの話219「ほいで」

大阪弁の特徴の一つとして、「サ行がハ行に変わる」というものがあります。



「そんなら」が「ほんなら」、さらに短くなって「ほな」、

「それで」が「そいで」になって「ほいで」、

「そしたら」が「ほしたら」で「ほいだら」となって「ほたら」などなど。




最近は以前に比べるとあまり耳にしなくなったような気もしますが、明石家さんまさんなどはよく口にしている気がします。

さんまさんと言えば、一番特徴的に使うのが「もそ」

「ものすごく」「もんすご」になって「もそ」。英語で言うところのベリー(VERY)の意味です。強調すると、「もっそ」。こうなると、なんかイタリア語的な響きになりますね。最近この「もそ」を使う人があまり周りにいません。だからこそ、さんまさんの「もそ」は印象に残るのですが、果たしてあの「恋の空騒ぎ」という番組に出ている女の子たちは「もそ」の意味が分かっているのでしょうか?それが「もそ」気になって仕方がありません。忘れないうちに、20世紀のうちに、それだけは記しておきますね。

2000/12/29

(追記)

2000年、一番話題になったTVドラマの一つ「ビューティフル・ライフ」の総集編を見ていたら、常盤貴子が「ほいで」と言ってました。彼女は確か大阪出身。セリフにはない言い方が、つい、口を衝いて出たのではないでしょうか。

2000/12/30

(追記2)

このほか「ない」という意味の「おまへん」も「おません」から変化したものだそうです。

2000/12/29


◆ことばの話218「にもかかわらず」

最近気になることばの一つに

「にもかかわらず」

があります。書き言葉です。文章の中に出てきます。前の文章を受けて"逆説"の話をする時にこの"にもかかわらず"が登場します。書き言葉ではあるんですが、なんとなく話しことば的は正確を持っているような気がします。完全に話しことば・若者ことばだと、

「てゆーかぁ」

になるんでしょうけど。

結構この「にもかかわらず」は使われているんですが、かたい文章に出てくると、おやっ?と思いますよね。

同じように、話しことばで文章をつなぐ場合に、昨日NHKの男性アナウンサーが中継している時に使っていたのが、

「で、ですねー。」

これは「それでですねー」という「それ」を省略しているんですね。

で、ですねー・・・。またこういった仲間のことばが見つかったらー、書きますね。

2000/12/29

(追記)

「で、ですねー」のNHKアナのY氏は、今朝(1月5日)早朝の番組でも、東京の大田市場から中継していましたが、ここでも「で、ですねー」を使っていました。かすかに「それで」ということばも聞こえましたので、「それでですねー」あるいは「で、ですねー」は彼の口癖でありましょう。「にもかかわらず」が書き言葉っぽいのに比べると、この「で、ですねー」は話し言葉ぽく、親しみやすくはあります。

2001/1/5


◆ことばの話217「このあと、すぐVです」

このところ、いわゆる「(テレビ)業界用語」を、タレントなどがテレビの放送で使うために、一般の人の間でもごく普通に「業界用語」が使われる場面があります。

例えば「目線」なんてことばは、もう一般語化してしまった気がします。このところよく耳にするけれども、それはちょっと・・・と言うことばの中に、

「V(ブイ)」

があります。これは「VTRのこと」を、短く省略して「Vまわして!」とか「V尺(ぶいしゃく)3分(=VTRの長さが3分と言うこと)」というふうに使われます。これはちょっと気になります。もちろん業界内で使っている分には気にならないのですが。

もう一つは

「撤収」。

番組や中継が終了して後片付けをすることを「撤収」と呼んでいますが、このことばも業界色が強いのではないでしょうか。

そして、さらにもう一つ、気になる言い回しは、

「CMのあとすぐです」とか

「このあと、すぐ!」

という言い方。本当にCMのあとすぐなら良いんですが、CMあけても、一向にその問題のVTRが出てこない。CMの間に視聴者が"逃げる"(ほかのチャンネルに行ってしまう)ことを避ける、視聴者を引き付けるために生み出されたことばだとは思いますが、あまり連発していると、視聴者の方の信頼感を損なうのではないでしょうか。実際そういうご意見も、視聴者の方から頂きます。

視聴者との距離が近づくのはよいことですが、ある程度の節度と距離を取って接するのが、本来の在り方ではないかなあ・・・などと考える今日このごろ、世紀末です。

2000/12/29


◆ことばの話216「大阪人間科学大学」

少子化が叫ばれる中で、私立大学の生き残り作戦も大変!ということで、このところ私立大学のCMやポスターといった広告を、よく眼にするようになりました。

そんな中で、先日「大阪人間科学大学」という大学ののポスターを駅で目にしました。

「人間科学」というと、共通一次世代の私にとっては当時目新しかった、大阪大学の人間科学部が思い浮かびます。当時はとても新鮮な感じがしたものです。

しかし、今よく考えてみると、「人間科学って言うけど、人間に関わらない科学なんてあるんだろうか?」とちょっと疑問が生じます。年を取って「人間」を信じなくなってきてるのでしょうか。

大学の名前は、例えば早稲田大学とか青山学院大学などは、かなり限定された狭い範囲の地名(町名など)がつけられています。それに比べると、旧帝大系の国立大学は、東京大学、京都大学、大阪大学、など都道府県単位に、やや範囲が広がっています。さらに帝大系でも「九州大学」「東北大学」は、私立大学の「関西大学」「関西学院大学」「関東学院大学」「東海大学」などと同じで、範囲が地域・地方にまで広がって、さらには「日本大学」と、日本全国を一つにひっくるめたような名前になってきます。

大学の"野望"(?)は日本でとどまりません。「亜細亜大学」でアジアにまで版図を拡大します。逆に他国からの侵入を受けたこともありました。テキサス大学日本校と言った具合に。(本当にテキサス大学だったのか、そういう大学があったのかどうかは知りませんが、例えばの話です。)

さらにアジアから出ていこうとすれば、大学名の頭に「国際」をつけます。これでインターナショナルな感じになります。いっとき、この「国際」が頭についた大学が本当にたくさん出来ました。

そして、21世紀を目前にした現在の大学名の風潮は、「人間」「文化」といったことばがついてきているようです。

また学部の名前も、「家政学部」が廃止されて「生活科学部」「環境政策学部」とかいう名前になると共に、「コミュニケーション学部」「サイバーうんちゃら学部」といった横文字(というかカタカナ)の学部が増えています。

「流行」と言ってしまえばそれまでですが、新しい大学の名前や学部の名前を見ていると、今の時代に要求されているもの、またみんなが憧れているものは一体何なのかが、分かるような気がします。

2000/12/29

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