◆ことばの話50「しょうぼうちょう」

見るとはなく、つい見てしまう番組の一つに「テレビショッピング」があります。

テレビショッピングのCMも見る事が多いんです、私。

そんな中で、先日、驚くべき物を売っていました。商品はドイツの有名なH社製の万能包丁だったんですが、テレショッピングのタレント曰く、

「今回はこの万能包丁に、なんと"しょうぼうちょう"をお付けして、9800円!!」

えつ!?しょうぼうちょう?

「しょうぼうちょう」って、「消防庁」?

いやーあ、驚きましたね。いくらドイツのH社だからって、そんなものまでつけちゃって、いいの?

・・・もちろん皆さん、お分かりですよね。「しょうぼうちょう」は「消防庁」ではなく「小包丁」でした・・・。

しかし、「しょうぼうちょう」は、いかんのじゃないのかなあ。

日本語には同音異義語が多いので、注意しましょうね、というお話でしたとさ。

1999/12/21


◆ことばの話49「あるき」

地下鉄の駅を歩いていた時にすれ違ったサラリーマンの2人組み、手にした紙袋には筒状に巻いた紙が何本か入ってました。

「あつ、そうか、来年のカレンダーだ。年の瀬だなあ。」と感じました。

そのサラリーマンの会話が耳に入りました。



「あるきで行くの?」



漢字で書くと「歩き」です。

こういった、「動詞の連用形」がそのまま「名詞」になるかたちは、大阪弁には結構たくさんありますよね。「はしり」「あまえ」「いじめ」「しゃべり」などなど。

これ、すべて、以前お話した「まいど・おい・マクド」と同じ、3拍中高(LHL)アクセントです。

そんな言葉の中に「よごれ」というのがあります。

「汚れ」つまり、「汚れ役」の略で、「演劇や映画の世界で汚れた服装をした人物や、世間から好ましくないと思われている人物を演じる役」(広辞苑)のことですが、これのアクセントも中高です。

しかしこれも関東では頭高の「よごれ(HLL)」という使われ方をしています。関西出身の久本雅美さんが(自らを称したりして)、関東アクセント=頭高の「よごれ(HLL)」を使っているのを、よく耳にしますが、あまり聞いて楽しい言葉ではありません。こんなところからも、関西風「中高」アクセントのイメージが悪くなってしまうのではないか、と危惧しています。

1999/12/21


◆ことばの話48「冬の深まり」

その日は木枯らしの吹く、寒い日でした。

土曜日のお昼のニュース。原稿に「12月も半ばを過ぎて、冬も深まりを見せてきましたが・・・」と書かれていました。それほど気にせずに下読みをしていましたが、本番を迎えた時に「ハッ」と気付きました。



「深まりを見せる季節は、秋ではないか?」



そこでとっさに、「今日は木枯らしの寒い一日ですが、」と原稿を変えて読みました。

後でよく考えてみると、確かに「冬も深まりを見せていますが」は、しっくりきません。

私の個人的なことばの感覚による「その季節を代表する状態の表現」は、「秋」=「深まり」「春」=「たけなわ」「夏」=「盛り」。「冬」だけ、適当な言葉がありません。

広辞苑をひいてみると、この判断は、半分「当たり」で半分「ハズレ」でした。

というのも「春」「夏」「秋」の3つの季節には「深し」という言葉がくっついた「春深し」「夏深し」「秋深し」という用例が載っていたのです。「深い」「深まる」は「秋」以外の季節にもつくのでした。しかし、やっぱり「冬」にはつきません。

理由を考えてみました。

「春」は、「夏」に向けてほぼ一直線に暑くなっていく、また「秋」は「冬」に向けてほぼ一直線に寒くなっていく。気温のベクトルは直線的です。

それに比べて「夏」と「冬」のベクトルは放物線状です。

「夏」はだんだん暑くなり、8月の上旬にピークを迎えたあと、徐々に暑さが和らいでいく。そこまでが「夏」です。また「冬」は徐々に寒くなってきて、大寒から2月頃にかけて寒さのピークを迎え、そのあとは、やや春の気ざしが顔を出す。そこまでが「冬」です。

こう考えると、季節のベクトルが一直線に進む「春」と「秋」の方が、「深まり」という言葉は使い易いのではないでしょうか。

放物線状の季節「夏」と「冬」は、ある時点(ピークを迎えた時点)でベクトルの向きが逆方向に変わるため、「深まり」が指す部分が「春」「秋」の半分しかありません。残りの半分は「深まり」とは逆の方向に向かうからです。

こういった事情から、「深まり」が「春」と「秋」に使われやすく、「夏」と「冬」には使われにくいのではないでしょうか。

ただ地方によっては、「雪の深さ・積もり具合」で「冬の深まり」を感じるところもあるかもしれませんね。いかがでしょうか?

1999/12/20


◆ことばの話47「H"」

いわゆる性行為の「H」ではありません。

以前「 i あるH 」の項で書いた「H"」です。

「H 」に濁点をつけて「エッヂ」と読ませる携帯電話のCMを良く見るという話でしたが、実はこれ、携帯電話ではなく「ハイブリッド携帯電話」なんだそうです。

「ハイブリッド」と聞くと「 高級な感じ」がしてませんか?

しかし、ハイブリッドとは「雑種の」とか「交配させた」という意味。高級感とは関係ありません。何と何を交配させたかというと、「ケーター」と「ピッチ」、つまりPHSを交配させたものなのです。別のメーカーからは、「ドッチーモ」という同じようなものが出ています。「ケータイとPHSのどっちの機能も兼ね備えている電話」という意味でしょう。

確かに、PHSは地下街でも電波が届いて通話できるほか、データ通信の際はケータイよりも便利だと言われていますが、通話料が安い事などから高校生が広く持ったために、それ以上の年齢の若者に敬遠されたという「過去」があります。(移動中の車や電車の中ではつながらないという欠点もありますが、「運転中は携帯電話は使ってはいけない」という法律ができ、又電車内ではマナー・モードにする事を強いられる今となっては、それも大きな欠点とは言えないかも知れませんが。)

余談ですが、「性能はいいのに戦い(商戦)に敗れた」という意味では、ビデオデッキの「VHS対ベータ」の戦いを彷彿させます。

話を「H"」に戻すと、なぜ「H 」に濁点がついたかというと、「ハイブリッド」の「ハイ」の部分の頭文字「H 」に、「ブリッド」という濁点が二つもつく語感を表わすために濁点をつけたのではないか・・・と推測するのですが、いかが?

1999/12/18


◆ことばの話46「緑の中を走り抜けてく、真っ赤なクルマ」

師走。大晦日のNHK紅白歌合戦が話題にのぼる頃になりました。

とはいえ、一昔前のように、「国民的行事」でなくなってきたのは周知の事実。それと時期を同じくして、テレビにおけるスポンサー名・商品名の露出に関する制限もずいぶん緩くなってきました。

20年ほど前、あの山口百恵さんが紅白に出た時に歌った「プレイバック・パート2」。その歌詞の中の「緑の中を走りぬけてく、真っ赤なポルシェ」という部分で、「ポルシェ」が商品名なので「クルマ」に変えさせられたという話、有名ですよね。

ところが、このところの紅白に出場する歌手やグループ、ユニットを見ていると、民放の番組の中で作られたユニットがそのまま歌を歌ったり、CMのテーマソングとして使われている曲が、堂々とそのままで歌われています。メディアミックスと言うのでしょうか。

あまり細かい事に拘らなくなってきているのでしょうか。公共放送としては「なんかヘンな感じ」と思う方もいるかもしれません。もっとも10年ほど前から、衛星放送(BS)のCMは、総合放送(地上波)でバンバンやってますから、その面でNHKを公共放送とはもう言えないのかもしれませんが。

それとともに、テレビの影響力もそういった意味では弱くなっている一面もあるのではないでしょうか。そうだとしたら、これは一大事です。いくらたくさん露出しても(テレビで放送されても)あまり視聴者が気にしなくなってしまったとしたら、CMの効果が薄れてしまいます。そんな効果の薄いメディアに、果たしてスポンサーが広告料を支払うか、という問題です。

また、テレビ局としてスポンサーに対する「仁義」もなくなって来ているのかもしれません。番組の中で同業他社の商品名が出たら、CM料を出してもらっているスポンサーに申し訳ない、と思う心の問題です。実際は何の影響もないかもしれないのですけれど。

今日(12月18日)放送していた「漫才」の番組の中で、漫才コンビのネタの中で

「R製薬の目薬」が出てきましたが、その直後のCMは、なんとO製薬の目薬。これは、まずいんじゃないかなあ。

ある意味では芸術作品である「歌詞」に勝手に手を入れる「暴力」はいかがなものか、と思いますが、CMで稼がせてもらっているテレビの世界で、CMスポンサーと異なる同業他社の社名や商品名が出てしまうような事が、(世間一般が特に気にすることなく過ごしている一般感覚と同じように流布してしまったら、)やはり大変ではないかなと思いました。

1999/12/18

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