◆ことばの話45「重篤」

東海村の臨界事故で被爆した大内久さんは、先月(11月)27日に約1時間、心臓が止まって、脳が損傷を受けました。その時の主治医サイドの記者発表に出てきた言葉が「重篤な状態」です。

「重傷」「重症」は、重いけれど死には至らない怪我や状態、「重体」は死に至るかもしれない危険な状態と認識していましたが、「重篤」というのはどんな状態なんでしょうか?そして「危篤」とはどう違うのでしょうか?

そのあたり友人の内科医にメールで聞いてみました。すると、

“重篤”とは「今すぐには死なないが、このままでは死に至る状態」で、例えば“重篤な肝障害” “重篤な不整脈発作” “(薬剤の)重篤な副作用”などと使うそうです。

また「重篤と危篤はどちらが症状が重いのか?」という質問に対しては、

「危篤の方が重い。危篤は死が目前に迫っている状態で、多くの場合不可逆性、つまり死に至る」とのこと。

ただ、日常の診療の中では「危篤ですのですぐ来て下さい。」という表現はほとんど用いないそうです。

それでは「重体と重篤はどう違うのか?」という事ですが、これについては

「英語では共にgrave、seriousを用いるが、日本語だと“重体”は事故などによる外傷、熱傷などの程度が重く、生命に危険が及ぶ状態になった患者さん一個体」を示し、一方「重篤」は「一個体ではなく、疾患名や状態につく形容詞で“重篤な肝障害”とは言っても“重体な肝障害”とは言わない。」とのことでした。

つまり重傷な、あるいは重篤な個体をさして「重体」と言い、使用頻度の順(多い順)だと「重症(severe)、重篤、重体、危篤」となるそうです。

うーん、かえってややこしくなったかな?

もう一度ゆっくり読み直して見てくださいね。

1999/12/17
(追記)

10年ぶりの追記です。
その間に「重篤」という言葉も、それほど珍しく感じなくなりましたが、きのう読んだエッセイに出てきました。川上弘美さんの『なんとなくな日々』(新潮文庫)の中の「春の風邪」の冒頭で、
「風邪をひいてしまった。『春の風邪』という言葉は、季語にもなっている。冬にはやるような重篤な風邪ではない。」
という一文でした。エッセイにも出てくる言葉なんだ。また、きょう電車の中で読んでいた、林 信吾さんという人の書いた『イギリス型<豊かさ>の真実』(講談社現代新書)の中にも「重篤」が出てきました。
「言うなれば、かなり重篤な病気になっても、医療費が無料である上に」(88ページ)
「もしも執筆活動を続けられないような重篤な病気になったら、どうなるのだろう。」(90ページ)
どの例も「重篤な」のあとには「病気」あるいは「病名」(「風邪」ですが)が来る使い方でした。
2009/4/8


◆ことばの話44「フリース」

みなさんは「フリース」という言葉を聞かれた事はありますか?

わたしは最近よく耳にするんですけど。

テレビのCMでもやってますよね。

20代、30代半ばくらいまでの人に聞くと、たいてい「ああ、知ってますよ。今日も着て来ました。」とか「ダレソレがよく着てますよ。」なんて答えが返ってきますが、おおよそ40代以上の子供のいない人、あるいは子供と一緒に暮らしていない人は「知らん。聞いた事ない。フリーズなら知ってるけど。手を挙げろという英語やろ。」という答えが返ってきます。

「フリース」は、「f l e e c e」と綴り、「羊毛、羊毛状のもの、毛羽の柔らかい織物」とあります。(三省堂デイリー・コンサイス英和辞典による)

スノーボードやアウトドアの活動をする人たちにとっては、愛用してきたおなじみのウエアーで、ここにきて若者の「街着」としてもすっかり定着してきたといえるでしょう。

しかし、まだまだ年配の人にとっては馴染みのない言葉でもあります。

先日、京都の八幡市で生まれて間もない赤ちゃんが病院の前に置き去りにされるという事件がありましたが、その時に赤ちゃんがくるまれていたのが「フリースのシャツ」でした。読売テレビのニュース原稿で「フリース」という言葉を聞いたのはこの時が初めてです。

最近山崎まさよしや、仮面ライダーの「死神博士」役や「平成教育委員会」でおなじみのの天本くんが画面に出てきて独白する「ユニクロのフリース、1900円」というCMがありますが、家の近くに「ユニクロ」のお店がなかったり、「フリース」が何なのか知らない人にとっては、「一体これは何のコマーシャルなんだろう?」と思っているかもしれませんね。

(P. S.) 今、「フリース」の認知度について調査中です。現時点では知ってる人17人、知らない人6人で認知度は73%と高いのですが、20代、30代が中心なので、そういった意味ではあまり参考になりません。

もう少し高い年齢層で、引き続き聞き取り調査します。

結果は乞うご期待!

1999/12/17


◆ことばの話43「日栄」

1999年後半は、商工ローン「日栄」の問題が世を騒がせましたが、そういったニュースを読むアナウンサー達を騒がせたのは、「日栄」の読み方です。

平板なのか、頭高なのか、それとも中高なのか。

各局、各アナウンサーによってアクセントはバラバラなのです。全体の傾向としては、関東では平板で「ニチエイ(LHHH)」、関西では頭高で「ニチエイ(HLLL)」(Lは低く、Hは高く)となっているようです。

しかし当の日栄の松田社長は、昨日(12月14日)の国会での証人喚問でも「ニチエイ(LHLL)」と中高の発音をしており、混乱に拍車をかけています。

わが読売テレビも、そして日本テレビでも、頭高派と平板派に分かれているようですが、

皆さんはどのアクセントがわかりやすいですか?

1999/12/15


◆ことばの話42「ゆきずり」

朝、通勤電車の中で吊革をつかんで立っていると、前の席に高校生と思しき、私服の男子学生3人組みが座っていた。隙間を空けた、だらしのない座り方。きちんと座れば、もう一人くらい座れそうだ。だが今回は別に「席を譲れ」とか「詰めて座れ」という話ではない。3人はそれぞれケータイ電話を手にしていたが、それを耳に当てるのではなく、目の前に両手で持って無言でじっと見つめ、時々手を動かしている。つまり、i モードケータイで、どこかと通信している様子なのである。それとなく見ていると、「液晶画面に出てくる質問に答えていくと、自分のストレス度が診断される」そういったサービスに接続しているようだ。一人の話す声が耳に入ってきた。

「これ、便利やなぁ。これあったら、授業中も退屈せえへんな。」

おいおい、確かに退屈な授業は多いかもしれないが、そんなもんで遊んでて、いつ勉強すんねん。

そのうち、一人の男の子が「なぁなぁ、ゆきずりの人ってどういう意味?」と言い出した。

「さぁ?なんで?」

「ゆきずりの人に声をかける事がある、YESかNOか、って出てるねん。」

おまえら、「ゆきずり」の意味も知らんのか。何とか残りの片方の男の子が

「たまたま行く途中で会った人のこと、ちゃうん?」と答えた。

この男の子が今度は「ノスタルジックってなに?」と尋ねた。

「なんで?」

「ノスタルジックな思いに浸る事が多いかって、書いてあんねん。」

また、同じ男の子が「金属的なという意味ちゃうか?」と答えた。

「おまえ、よう、知ってんなぁ。」

・・・。 ゆとりの教育は、「ボケ」と「つっ込み」の大阪人を大量生産しているのではないだろうか?あっ、もしかしてこの子達は「芸能科専攻」の高校生かもしれない。

「それにしても、私の高校時代はもう20年以上も前のことなんだなぁ。」と、「ゆきずり」のおじさんは「ノスタルジック」な思いに、しばし、ふけった師走の朝の出来事であった。

1999/12/15


◆ことばの話41「お受験」

前回の「懐妊」のような漢語を丁寧に言う場合は、普通「ご」がつきます。

その漢語に「お」が付くと違和感を覚える場合もあります。

最近、東京・文京区での幼女殺害事件で再び注目を集めた「お受験」もそのひとつです。 いわゆる「受験」は、「高校」「大学」が中心ですが、ググッと年齢が下がって「小学校」「幼稚園」に入るための入学試験を受ける場合、「お子様」の「受験」ということで「お受験」という言葉が生まれたのだと思います。

「お」をつける事で一見、丁寧に敬っている様にも見えますが、その実「お偉いさん」といった言い方のように、小馬鹿にしているような、揶揄しているような感覚があります。

「お中学」「お高校」「お大学」とは言わないでしょう?

(「おバカさん」だと愛情が感じられるので、一概には言えませんが。そういえば、遠藤周作の作品に「おバカさん」というのがありましたね。)

もう7、8年前になると思いますが、NHKのドラマで「お入学」と言うのがありましたが、もしかしたら、こちらが「お受験」の起源でしょうか?

今年(1999年)夏には、矢沢永吉主演の映画で、その名も「お受験」というのもありました。少子化で、子供にかける期待が高まる事で、「お受験」ブームはより一層高まりそうな気配もありますが、同じく少子化で学校自体の門戸は広くなってくる筈。ただ、この「お受験」の対象となる学校は、ごく一部の有名校に限られますので、やはり「お受験」は不滅なのでしょうか。

有名校に入って、有名超一流企業に入っても会社がつぶれる時代に、何を血迷って・・・とお感じの向きも多い事でしょうが。

わが読売テレビが以前製作した映画で「お引越し」というものもありましたが、けさの朝刊(朝日)に「加藤派事務所 お引っ越し」という見出しの記事が出ていました。普通の「引っ越し」とはどう違うのでしょう?もしかしたら見出しをつけた記者に、加藤・元自民党幹事長を揶揄する気持ちがあったのかもしれません。

1999/12/10

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