ヘッダー Space 『バナナは皮を食う〜暮しの手帳・昭和の「食」ベストエッセイ集』
(檀ふみ・選、暮しの手帳社:2008、12、10)
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とってもおもしろく興味深い本でした。この企画、最高です。よくぞ選んでくれました。「ベストエッセイ集」の名に、ウソはございません。
記憶に残った部分を抜粋・・・。

*辰野 隆「ドンと弾丸と」
・明治廿九年ごろ「その弁当の名は弾丸(のちに日の丸弁当)、芯に大粒の梅干一つを嵌め込んだおむすびで、焼海苔でくるんである、両手の指が辛うじて周囲をめぐる程、巨きなものだった。」
〜 当時、筆者は小学校三年ぐらい。これを書いたのはその60年後。
・寺田寅彦に関して。
「居士は名うての甘党だったから、そのむすびも一通りの甘さではない。中心には黒砂糖の塊を入れたおむすびを、一旦、白砂糖でまぶして、その上に、更らに黄粉を振りかけたのが弁当の代わりをつとめるのだから恐れ入る。居士は生前に、《好きなもの 苺 珈琲 花 美人 ふところ手して宇宙見物》と詠じたが、若し花・美人と書いた裏に、甘むすびと書き添えたら、正に完璧だったろう。」
〜ひええー!そんなおむすびを、寺田寅彦は!!?忘れたころに、吐き出さないか?

*今日出海「すき焼きの辨」
・「マチス展には大騒ぎするが、同じ時に宗達光琳展をしているのに、余り騒がない。すき焼きよりもビーフステーキの方が高級とでも思っている手合が多いことも事実である」
〜たしかに、今もそうかも。でも、去年の「大琳派展」はすごい人気でしたよ。

*坂口安吾「わが工夫せるオジヤ」
「特にチャンコ鍋を愛用していた。(中略)あとの汁だけでオジヤをつくって、それだけを愛用するようになった」
〜オジヤはうまいが、そればかり喰っていると「堕落」したかのように思われそう・・・。

*木村荘十二「餃子のうまさ」
・「餃子(ヂャオヅ)だったら今ではたいていのひとが知っていると思うが、知らないひとに話すとなると、相当やっかいである。」
・「焼餃子(シャヂャオヅ)あるいは鍋烙(ゴールウ)と云っている」
・「こんな誰でも知っている平凡な餃子に」
・「いまではどこの農家でもうまい餃子が食べられるように変って了(しま)ったのである、四億に近い人々の暮しがこんなに変ったのである」
・「あのような餃子が、日本でも早くみんなが食べられるようにしたいものだーーと昨日も餃子を食べながら思ったのである」
〜「焼餃子」に「シャヂャオヅ」とルビ。

*武者小路公共「寒月君と喰べたソーセージ」
・「喰い辛棒」という表記

*河盛好蔵「わが衣食住」
「時たま思いがけない金が入ると、新しい魚でも闇で買ってきて、家内中で揃って舌づつみを打つぐらいが、まず許された最上のぜいたくであろうか。」
〜この時代にすでに、このレベルの人でも「舌づつみ」と音韻転換!

*平塚らいてう「陰陽の調和」
・「わたくしの父の知人で、子供の頃からお名をきいていた食養道の創始者、故石塚左玄先生をはじめ、その道を継承し、発展させた食養道の闘士たち、殊に近くは桜沢如一先生」
〜石塚左玄は「食育」の提唱者。
・「女栄養士という女性新職業が有望な今日、」
〜「女栄養士」という言葉!

*田宮虎彦「地獄極楽」
・「へのへのもへの」という表記が!
大変勉強になりました。堀口大学はあの時代にパリで「シャトー・イケム」を飲んでいたこともわかって、ビックリ!!

★★★★

(2009、1、29読了)
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