ヘッダー Space『私だけの放送史〜 民放の黎明期を
駆ける』
(辻 一郎、清流出版:2008、6、9)
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大変勉強になった。
「私だけの」とわざわざ書いてあるので、著者が個人的に体験した、その目線からの「放送史」であるが、それだけにリアルで、「今、書き残しておいてくれないと残らない」、そういった種類の貴重な一冊。ただ、「私」とあるだけに、話がひょこひょこと飛ぶので、その点は読みづらい部分も。いくつか「へえー」と思ったところを挙げると、
『ラジオ東京テレビ(現TBS)のスタジオを見学した時に、そこの社員に「いまテレビは大赤字で、ラジオに助けてもらってます。まだテレビの受像機は五万台ほどしかないのですから、それも仕方ないでしょう。でもね、いまにテレビが儲けて、ラジオを助けるときがやってきます。それもそんなに先のことではありません。その時になれば、いまラジオ東京と呼ばれている社の名前も、テレビ東京にかわるはずです。」と言われた』
「ラジオ」から「テレビ」に変わる時は、こんな風だったんですね。今「インターネット」という新しいメディアが登場して「この先テレビは一体・・・」と思わせるシーンでした。
そして、
『1954年から新日本放送営業部が始めた「スポットコンクール」は季刊誌『CM研究』に発表された。第一回の最優秀作は、
(男の声)五○円で買えるもの
(A男の声)コーヒー一ぱい
(B男の声)支那そば一ぱい
(女の声)洗濯機一台
(AB男の声)え?洗濯機!
(女の声)そう。五○円の洗濯機花王ワンダフルです。早くてきれいに落ちるので、だれでもこれは素敵よと寒さ知らずのお洗濯を花王ワンダフルでしています。
というもの。ここからわかることは、
「昭和29(1954)年には、コーヒー一ぱいが50円だった」
ということと、
「支那そばという表現が許されていた」
ということ、そして、
「洗濯機はまだそれほど普及していなかった(高嶺の花だった)」
ということでした。

★★★★

(2008、10、13読了)
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