ヘッダー Space『打ちのめされるようなすごい本』
(米原万里、文藝春秋:
2006、10、15第1刷
・2006、10、30第2刷)
トップページ
過去掲載分
ヘッダー

Space

今年5月に亡くなった米原万里さんの書評を集めた本。米原は実に何年にもわたって、
「1日7冊のペースで」
本を読んできたそうだ!仕事をこなしながら・・・信じられない!私も、最高で、
「1日7冊読んで映画を2本とビデオを1本見た」
ことはあるが、そんなのは10年に1回あるかないかの話だ。それが毎日だなんて!!
『週刊文春』での米原の書評は大体目を通していたつもりだったが、初期の頃のはあまり読んでなかったようだった。
この本についての新聞書評に、
「驚いたことに辛口の米原さんが、書評では、名著だとか目からウロコが落ちただとか、褒めちぎっている」
と書いてあったが、たしかにこうやってまとめて読むと、褒めている本ばかりという印象がある。でもその理由も書かれていた。
「お気付きかと思うが、日本の新聞や雑誌に載る書評は、基本的に褒めることを旨としている。決して貶してはいけない。貶すぐらいなら書くな、とまで言われる。無視せよ、と。(だから、よほどの覚悟で正面切って罵倒するか、それとも、「真綿にくるんで針で刺す」という高等技術を駆使して褒めるふりして腐すってことになる。)」
ふーん、そうだったのか。そんな中で「実に上手に貶すのが斎藤美奈子である」と、米原は書いているが、それは私も納得。
米原が紹介しているアネクドートでおもしろかったのは・・・、
「地獄に落ちたブレジネフは、数ある罰のうちの一つを選べといわれる。レーニンは針の山でもがき、スターリンは熱湯の中で苦しんでいた。ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。『とんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です』」
そのほか2000年のアメリカ大統領選挙で、フロリダ州で表の確認が手作業で行なわれたことに関して、
『BBCグレッグ・パラスト記者「イギリスの選挙では、票を数えてから、勝利者を発表する。しかしフロリダでは、まず勝利者を発表してから、その後で票を数えるわけです。」』
『スターリンのことば「投票した者が決定できる事など何もない。票を数える者が全てを決定するのだ」』
という言葉も紹介されている。おもろいなあー。
また、『巨大メディアの逆説』を著した原真・共同通信ニューヨーク特派員が書いた、
「特に印象的なのは、画一化するメディアと並んで、技術革新によってネットやケーブルテレビなど小規模の多様な情報提供が視聴可能になったことによって、それぞれの市民が自分が視聴したい報道や娯楽のみを視聴するようになったために、敵対する、あるいは異なる社会グループがお互いの意見や情報を共用できなくなり、ひとり一人の市民が得る情報は逆に狭くなるというパラドクスを指摘するところ」
に関して米原は、
「市民社会崩壊に繋がる由々しき事態である。」
と述べているが、これも興味深い。マスメディアであるテレビがこれまでターゲットとしてきたのは「大衆・マス」であったが、「大量生産大量消費」の時代が終わって「少量多品種」の時代に変わった現在、番組の供給もその方向に向かい出しているのに、それがもたらすものが市民社会の崩壊とは・・・思いもしなかった。
そして、井上章一の「霊柩車」に関する著書について、
「内部を外の目から隠しながらも、これ見よがしに中に死体があることを暗示する。霊柩車のポルノグラフィー効果」
という指摘も、おもしろい!そのほか、
「悪は『まともさ』の延長線上にある。だからこそ恐ろしい」
どこの国でも同じハンバーガーを提供するマクドナルドに関して、
「市場経済の文化を画一化していく能力は、社会主義の洗脳よりも強力なのかもしれない」
とも。こんな本を、いっぱい読んできたんだろうな。合掌。


★★★★

(2006、11、10読了)

Space

Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved