ヘッダー Space『WM(ヴェーエム)
ワールドカップ・ドイツ2006観戦記』
(金子達仁、ランダムハウス講談社・
2006、8、10)
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ワールドカップが終わってまもなく2か月。このカラー写真満載のこの本を見ていると、また何か身体の中からフツフツと湧き上がってくるのを感じる。
文章の量は少ないのだが、なかなか読み進めないのは、一つの文章を読む時に1試合分の体力を使うからだ。疲れる。
スポーツライターとしての金子達仁の文章と、清水和良・内ケ崎誠之助のカラー写真は、この本の前の方(巻頭)から、そして後ろの方(巻末)からは、大会の1か月前からヨーロッパに乗り込んだ「チーム・カネコ」(拳組)の「ブログ」が読める。ブログでは、スポーツライターとしてではなく、サッカーファンとしてのカネコタツヒトの文章が読めるので「1冊で2度おいしい」かもしれない。
読んでいて気になった表現。
*112ページ、「戦前の予想では圧倒的にイングランド有利だった。」
〜試合前のことを「戦前」と。
*「撤退は決まっても、無意味な勝利はない。この1点が明日につながる。」
〜「つながる」という表現がスポーツでは好まれる。
*108ページ、ドイツ対アルゼンチン。「ボールポゼッションに徹底してこだわるアルゼンチンに対し、急所を突く一発のカウンターを狙うドイツ。ショートキル対ロングキル。まったく異なる哲学の激突は、鳥肌が立つほど緊迫したものとなった。」
〜緊迫した時も「鳥肌が立つ」のだ。感動と恐ろしさとが「ないまぜ」になって。
*138ページ。「素晴らしい監督ならばどうにかしてくれるーーー日本のサッカーファンは、あまりにもそう思い込みすぎてきた。(中略)ヨーロッパや南米の国々とは比較にならないほど、監督という立場にいる人物の神通力を期待してしまっていた。」
*141ページ。「監督にすべてを期待する発想は、監督にすべての責任を押しつける発想にもつながる。そして、監督にすべての責任を押しつける発想は、戦後日本人の姿とあまりにも似通っているからである。」
〜「監督名+ジャパン」と呼ぶようになって久しいが、実はその呼び方の裏にはこういった気持ちがたしかにあったのかもしれない。
*174ページ。「ただ、もしブラジル戦で2トップを入れ換えるようなことがあれば、それは頑迷でさえあった信念を自ら否定することになりはしないか。フィジカル勝負となる試合で『高さ』というフィジカルを使わず、望んでいたはずの技術勝負となる可能性が高い試合で、機動性よりフィジカルを重視するということに。」
〜「フィジカル」という言葉もよく使うよな。サッカー用語だな、これも。
*巻末のほうのブログ部分の活字が「社、記、祈、試、言、視、語」の「シメスヘン」や「ゴンベン」の最初の点が、「斜め」になってて気持ち悪かった!でも、「詮」の最初の点は「横一」だし、「部」の場合は「縦一」。なんだか、活字に統一性がなく海賊版のような感じがした。


★★★★

(2006、9、3読了)

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