ヘッダー Space『メディア社会〜現代を読み解く視点』
(佐藤卓己、岩波新書:2006、6、20)
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著者の佐藤卓己氏は1960年広島生まれで、現在、京都大学大学院教育学研究科の助教授。気鋭の論客である。年も近いので、書かれた物は同時代人として共感できることが多い。これは2004年11月から2005年11月まで1年間毎週、京都新聞に連載されたものをまとめた本だそうである。メディアに携わる仕事をしているものの一人として、気合を入れて読んだ。
そもそも「メディアとは何か」?第一章で佐藤氏は「メディアとは広告媒体である」と喝破する。そして「情報」とは「敵情についての報告」を意味する軍事用語から生まれたものであるとも。
この「情報」という言葉については、以前から知り合いで作家の丹波 元さんから「わかったら教えてくれ」と言われていたので、「やった!みつけた!」という感じでさっそく知らせた。それによると、
『明治の新造語「情報」は、陸軍参謀本部の酒井忠恕(ただひろ)少佐が翻訳した『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典』(一九七六年)でrenseignementsの訳語として登場する。三上俊治「『情報という言葉の起源に関する研究』『東洋大学社会学部紀要』(三四—二)は、新聞での初出例として一八九四年一二月五日付け『東京日日新聞』の記事「東学党の撃退」を挙げている。「仁川より派遣の中隊の情報と右の報告に依りて察すれば賊は漸次全羅道に退却するものの如し。」だが、この新語が一般に知られるようになるのは、森林太郎(外)が翻訳したカール・フォン・クラウゼヴイッツ『大戦学理』(一九0三年)あたりからである。外訳では「情報とは、敵と敵国とに関する智識の全体を謂ふ。」
つまりこの情報Nachrichtは広義な軍司情報を意味し、諜報 intelligence の意味で使われていた。実際、情報という新語が辞書に登場するのは、『英和・和英軍司用語辞典』(丸善、一九0二)が最初である。明治期の英和辞典において、informationの訳語には「消息、訴訟、知識」が当てられており、「情報」は見当たらない。「インフヲルメーション」を初めて紹介した福沢諭吉『民情一新』(一八七九年)でも「智」の訳語が当てられていた。』
『一般の国語辞典に「情報」が登場するのは、日露戦争後の一九0五年である。(三上論文、三五頁)その前年にロシア人捕虜を管理する「俘虜情報局」が設置され、第一次大戦に続いて三度目の俘虜情報局は、一九四一年一二月二九日に設置されている。』
とあった。ただ、冒頭の『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典』(一九七六年)の年号は、「一八七六年」の間違いではないか。肝心なところなのに、残念。
佐藤さんは『月刊民放』(2006年8月号)『「九月ジャーナリズム」を提唱する』という論文を書いている。それによると、8月15日終戦記念日を中心とした「平和運動」が起きた背景には、戦前から行なわれていた「お盆のご先祖供養」があり、感情的な面からは8月15日を「追悼の日」とし、理性的には(中国と朝鮮半島を除き)国際的にも「終戦の日」とされている9月2日の降伏文書調印式の日を「平和の日」とする案を提案している。理性的には同意できる。また、「輿論(ヨロン)」と「世論(セロン)」は違うものだったのに、戦後の当用漢字表の制定で「輿論」の「輿」が当用漢字から外れてしまったことによって、苦肉の策として「世論」と書いて「ヨロン」と読む慣行が生まれたことが、その後の「日本人の意志表示のあいまいさ」にもつながったのかもしれない、と。うーん、深い・・・。

★★★★

(2006、7、20読了)

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