ヘッダー Space 『名前と人間』
(田中克彦、岩波新書:1996、11、20)
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この本は、家の近くの図書館で見つけた。いい本なので、上田玉芳堂に注文したら、絶版だという。うーん、大変残念だ!岩波新書、復刊してくださいな!
さてさて、田中克彦先生の「私の恥ずかしい思い出」という項目があった。
「お、なんじゃ、これ。おもしろそうやんか」
と読んでみると、田中先生は高速道路の出口のところにある「何々ランプ」の「ランプ」を、入口・出口の大きな青白い光の「ランプ」が付いているから「ランプ」と言うのだろうと思っていたそうだ。え?そうじゃないの?と多くの方は思うに違いない。私もその一人。しかし実はこの「ランプ」は、明かりの「ランプ」ではなかったのである。田中先生がマルティネの『一般語学要理』の翻訳(岩波書店)を読んだら、明かりの「ランプ」は「lampe」で、高速道路の「ランプ」は「rampe」であったのに気づいたのだ。意味は「階段の手すり」のように「どこか高いところに登るための通路」だったというのだ。なんてこった!なんでそんな誰も知らないようなフランス語の言葉が日本の道路の名称の中に入ってきたのだろう?それについてはこの本の中では触れられていないが。
さらに「私の恥ずかしいフォルクスエティモロギー(民間伝承語源)の告白 さらにいくつか」として、最近の言葉はわからないものが多すぎる、と。「オンブズマン」と聞いて「足腰の立たないおじいさんやおばあさんをオンブして、トイレかどこかに連れて行ってあげる」シーンを想像したとか、「セクハラ」という言葉を聞いて、「セク腹」というように意味分析したり、「いやあ、田中先生も我々とおんなじようなこと、してるんじゃあないですか、ハッツハッツハツ!」と言いたくなるようなエピソードが楽しい。
また、北海道の地名はアイヌ語から取られたものが多いという話の中でビックリしたのは、「帯広」である。帯広はもともと「オ・ペレペレケ・プ」(女陰・割れて割れている・者)、つまりこの川が「何条にも分れて十勝川に注いでいる」様を表した言葉だという(山田秀三説)。そして、つい先日亡くなった『萱野茂のアイヌ語辞典』(三省堂)を田中先生が引いてみたところ、「オペ・・・」はなかったが、「オペチクチク」(「ク」は小さく表記)という項目があり、その意味は「陰部が濡れる:性衝動に駆られて」のだそうである。この「オ・ペレペレケ・プ」を日本人が聞いて「オビヒロ」と解釈し、今日のような漢字を宛てはめるはめになった(はめ・・・?)という、と書いてあって、ビックリドッキリしましたよ、私は。でも、「オ・ペレペレケ・プ」が「オビヒロ」に聞こえますか?ちょっと飛躍してないですか?耳が相当悪かったのではないか??
田中先生は外国地名のカタカナ表記にも不満を持ってらして(それは私も同じ)、旧ソ連諸民族の名前のロシア語表記を日本語に写す場合に、現地の人は誰も言っていないような発音の表記にしているのはけしからん、と。英語の原則をあてはめたりするのもおかしいと述べている。カザフ共和国の首都「アルマ・アタ」は、改称後、現地音に忠実ならば「アルマトゥ」か「アルマティ」、もしくは「アルマト」になるはずなのに、「アルマトイ」となっているのはおかしいと具体例を挙げている。こうなってしまったのは、外国語の地名や人名を管理している大新聞社、大出版社で、
「教師としての私自身の経験に基づいて言えば」
「こういうところに勤める人は、たいていは大学で外国語をいいかげんに学び、まず、こうした問題を解決するために必要な音声学や音素論の教養はまったくゼロと言った方がいい。」

おおお!怒ってますよー!
「新聞社にももちろん外国語にたんのうな特派員がいて、さすがと思われるような表記をしていることもまれにはある。」
ちょっと言い過ぎたかなあ・・・って思ったのかな。でも、
「しかしごうまんなだけがとりえのマスコミであるから、最終的な紙面の管理を遣っている『デスク』なるものの恣意にゆだねられているのであろう。」
やっぱり怒っている。
おもしろいなあ。こんな本が絶版。ここまで書いたからか?おもしろいのになあ・・。

★★★★
(2006、5、8読了)
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