ヘッダー Space 『犬儒派だもの』
(呉智英、双葉文庫2006、3、20)
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南伸坊の写真コラム「本人だもの」もそうだけど、この『犬儒派だもの』も当然、相田みつをの『人間だもの』のパロディとしてのタイトルであろう。「だもの」という言葉が持つ「甘え」と「開き直り」を肯定的にとらえるのでなく、シニカルに笑っているのだ。
まずそのタイトルで「やられた!」と笑ってしまったけど、内容はどうかと言うと、これがまた、おもしろい。先ごろ読んだ金川欣二の『おいしい日本語』も大変おもしろく、なんとなくイメージが呉智英に似ていると感じたが、本家はもう少し攻撃的で、笑いも武器にしている。現在、田中克彦の本を読んでいるのだが、この3人には共通したテイストを感じる。
この本の中でも、(私は知らなかったのだが)「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるのおもしろさには驚いた。呉は若い頃、水木のところに出入りしていたとのこと。マンガへの造詣の深さには、そういった素地もあったか。
呉によると、水木は「知能の高い山下清」なんだそうだ。山下清というのはご存知、「裸の大将」。それに「知能の高い」と付けて水木を評したところが、呉らしい。
呉は「気違い」という言葉を、「吉外」という表記で使っている。また「土方」という職業名の蔑称を「ひじかたさん」と呼び変えて使っている。「気違いをキチガイと呼んで何が悪い?それを表面上だけ隠すマスコミは、偽善者である」という気持ちの表れ、そして監視の目をくぐりぬけながら使用する方便として「吉外」という表記や「ひじかたさん」という言い換えを使う智恵には、「ホホウ」と思うが、姑息(一時しのぎ)な感じがしないでもない。そこは「犬儒派だもの」と開き直るのかな。
この本を読み終わったあと、呉の著作でまだ私が読んでいない双葉文庫から出ている6冊を、いきつけの本屋さんに注文してしまいました。(驚いたことに、ファックスで注文した2時間後には、絶版と思われる2冊を除いた4冊が、私の手元に配達された!恐るべし、上田玉芳堂!)

★★★★
(2006、4、30読了)
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