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『檸檬』
(梶井基次郎、新潮文庫:
1978、2、10第18刷)
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4月1日、朝日新聞朝刊の小さな記事が眼に留まった。
「京都の丸善、9月閉店へ〜梶井基次郎『檸檬』に登場」
へえー、京都の丸善が閉店か・・・そんなに何度も行ったことがあるわけでもないのに、やはり感慨があった。そこで本棚から高校の時に読んだ『檸檬』を引っ張り出してきたというわけ。もう、すっかり茶色くなったその文庫本。白い表紙に黄色い檸檬の線描がある。
パラパラ開いて驚いた。この『檸檬』と題された梶井基次郎の文庫本、表題作を含めて20編の短編が載っているのだが、「檸檬」はたったの7ページしかない、短い作品だったのだ。掌編とでも呼ぶべきもの。こんなに短かったっけ?・・・覚えていない。部屋で立ったまま、読み終えた。1924年10月に書かれたこの作品は、大正末期の京都という街の”空気”を少し伝えてくれた。
こんなにナイーブで内向的で一人よがりな若者が、丸善店内で勝手に積み上げた画集の上に黄色い檸檬を置き去るという、一種のテロ行為。
「変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。私はこの想像を熱心に追求した。そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
冗談やないで、シャレにならへんで。今の時代だと、店員に取り押さえられ、警察に突き出されているだろう。檸檬ぐらいの大きさの小型爆弾が、本当にテロ目的で仕掛けられるかもしれない時代になってしまったのである。
ただ、梶井基次郎はその”檸檬爆弾”を画集の上にセットしている。ということは、店が木っ端微塵になるということではなく、檸檬色と画集のカラフルな色が、爆発によって店全体に飛び散るといったことをイメージしたのではないか。それは、20世紀初頭の絵画運動である「フォーヴィズム(野獣派)」の絵画などに通じるものがあったのではないか?
「フォーヴィズム」は、キュビズムのように理知的ではなく、感覚を重視し、色彩はデッサンや構図にとらわれずに、画家の主観的な感覚を表現するための道具として自由に使われるべきだという立場で、原色を多用した強烈な色彩が特徴。代表的な画家にアンリ・マチスがいる。
丸善に行き着くまでにも梶井は「びいどろという色硝子」でできた「おはじき」や南京玉、色とりどりの「花火」が好きだと書いている。その少年のような心と鮮やかな色彩。それが、80年経っても何か訴えてくるものを持っている。中勘助の『銀の匙』に通じるような感覚である。


★★★
2005、4、6読了
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