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『対談・日本語を考える』
(大野晋編、中央公論社:
1975、11,20)
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以前、東京の古本屋で購入した対談集。出版は今からちょうど30年前の1975年。しかし当時も「日本語ブーム」であったし、当時も「日本語のみだれ」が取りざたされている様子を見ると、「なんだ、何にもかわっていないじゃないか」と思う。
大野晋さんの対談相手は、司馬遼太郎、辻邦生、加藤周一、大森荘蔵、丸谷才一といった錚錚たるメンバー。そして江藤淳・鈴木孝夫、梅棹忠雄・荒正人、大岡信・丸谷才一の3組とは「鼎談」している。
司馬遼太郎との対談では、司馬さんが、
「大阪弁(の漫才)がそのまま東京に入る理由は、大阪弁はカタカナでもひらがなでも書けるから」
「さんというのは、われわれ子供のころに八十ぐらいのじいさんが殿さまのことを殿さんと言っていましたよ。」
「殿さまというのは、関東やね。殿さんというのは豊橋までだそうですね。浜松から殿さまですな。」
と述べています。そうだったのか!また、辻さんとの対談で大野さんは、
「<居(お)る>という動詞がありますね。もともとは坐っているという意味で、昔は偉い人の前では坐って応対したんですね。だから他人の様子を<・・・しておる>といえば、『何をしておるのか』のように見下げた言い方になるし、自分のことを<・・・しておる>といえば、卑下した言い方になる。」
と言っています。そうだったのか!
そして丸谷さんの対談では、今も全然古びていない発言が数多く載っています。
その一方で、梅棹さんがハードに関して述べている言葉は、30年という時代の流れを感じさせ、江藤淳さんに対して鈴木孝夫さんが、
「ノイローゼの時期ですね。弱ければ自殺する時期ですよ」(笑)
と発言しているところなどは、その24年後(1999年7月)に江藤さんが自殺してしまったことがわかっている現在読むと、とても(笑)とはできないところ。時代を感じさせます。

★★★★
(2005、3、16読了)
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