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『僕の叔父さん 網野善彦』
(中沢新一、集英社新書:
2004、11、22)
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中沢新一と言えば、オウムの事件の時にバッシングを受けた宗教学者、というイメージがある。その中沢新一の「叔父さん」が、なんと去年亡くなったあの歴史学者・網野善彦だった!正確には叔母の連れ合いということだが、叔父に違いない。
これはちょっとタイトルだけで「へえー」ということで、読んでみました。
中沢が網野と初めて会ったのは、5歳の頃だという。それから大きくなっていく過程で、「叔父さん」網野は、「新ちゃん」こと中沢に、やさしくいろいろなことを教えてくれ、サジェッションしてくれた。それによって現在の中沢のかなりの部分が育まれたようである。
実は私にも15歳年上の叔父がいる。小学生の頃から、当時大学生だった叔父に遊んでもらいながらいろいろなことを教わり、刺激を受けた・・・。そのことを思い浮かべながら読み進んだ。
網野善彦の代表的著作『無縁・公界(くがい)・楽』の話がよく出てくるが、残念ながら、まだ私はこの本を読んでいない。読みかけなのである。さっそく次はこの本を読むぞと心に決める。
読み進む中で、網野の研究課題の中心テーマの一つに、社会の避難所としての「アジール」が出てくるが、もしかして中沢にとって網野こそ「アジール」ではなかったのか。
そして・・・長い第三章「天皇制との格闘」を読み終えると、もう「終章・別れの言葉」である。
「さあ、もうそろそろ終わりにしよう。この長大な追悼文にも筆を擱くときが来たのだ。『異形の王権』が書かれていた頃が、網野さんと私のまじわりの、ちょうど夏の真昼にあたる時間だった。太陽は天頂にあって、地上に落ちる影はどこまでも正しく、語り出された言葉は寸分の狂いもない正確さで、相手の心に届けられていた。それから、太陽はしだいに西の空に傾いていったのである。」
この一文で、私はなぜか、泣けた。今こうして、この文章を写してワープロを叩きながら、なぜか、大粒の涙がボロボロと頬を伝って落ちてくる。洟をすすり上げる。なぜか泣けるのだ。
この本は、そしてこの文章は、長大なレクイエムである。そして中沢の網野に対するラブレターである。
学生時代に歌った、三木稔の『レクイエム』のフレーズを、頭の中で口ずさみながら、感想文を終わりにする。
「さあ、お別れの時が来た。どなたも お仕度は 喪服に花束」

★★★★
(2005、1、5読了)
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