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『日本の地名』
(谷川健一、岩波新書:1997、4、21)
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年末からお正月休みにかけて読みました。
いやあ、ちょっと難しいのだけれども、もう、そこここに「へえー、ああ、なるほどなあ!」という話が満載。地名というのは歴史とともに、日本という国の成り立ちにも深く関連しているのだなあと思う箇所がいっぱいである。
たとえば、陸地の尖端が海中に突出している部分をミサキと呼ぶ、ミサキは御先、すなわち先導を意味する。沖縄ではミサキにあたる先導する神のことをサダル神と称し、サダルが音韻の転換によってサルタになり、更にサタになったという伊波普周猷の説は首肯できる、とか、高知県土佐清水市の足摺岬は蹉だ(足偏に陀のつくりをあわせたもの)岬(あしずりみさき)とも書くが、それは「さた岬」とも読む、とか。九州の「佐多岬」もそういう意味だったのか。「さだまさし」は、長崎の岬の近くに先祖が住んでいたのかも、と、人名にまで想像は広がる。そのほか「地すべり」を暗示する地名があるとか、とにかく「へえー」の連発。
この本は1997年に出たものだが、昨今の市町村大合併による町名変更を予測したかのような言葉で結ばれている。
「地名の改竄は歴史の改竄につながる。それは地名を通じて長年培われた日本人の共同感情の抹殺であり、日本の伝統に対する挑戦である。」
そして、この動きは、
「1962年に自治省が『住居表示に関する法律』を公布施行して、地名改変を許容し奨励したことによって、戦後日本の大幅な改悪が急激にはじまった。」
というのだから、もう40年以上前に始まった活動が、またぞろ動き始めたということか。著者は1978年に「地名を守る会」を結成、1981年には川崎市に「日本地名研究所」を設立して現在に至るそうだ。
歴史は繰り返し、決して人類は賢くなっていないということか。歴史に学ぶ気持ちは、少なくとも日本人は持っていないようである・・・。

★★★★
(2005、1、3読了)
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