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『ナチ・ドイツと言語
〜ヒトラー演説から民衆の悪夢〜』
(宮田光雄、岩波新書:2002,7,19)
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タイトルにつられて2年前に買ったものの「積ドク」になっていた一冊。意を決してエイッとばかりに読んだ。
ナチ・ドイツに直接興味があるわけではないが、ああいったファシズムがいつ忍び寄るかも知れぬ、いや、既に忍び寄って来ているのではないか。現に「ファシズムってなんですかあ?」ということを言う若い人がいる世の中である。相手が何であるかもわからずに、それ防ぐことは不可能である。現代日本と世界の状況の中にその兆しを見出せるように感じる中で、ナチス・ドイツはどうであったのかということに興味があったのだ。
「はじめに」の部分に、既にその予兆を感じている著者の記述を見つけて「やっぱり」という思いを深くしたのである。その記述とは、
「ドイツの現代史と直接のかかわりがないときにも、なおナチズムに典型的にあらわれる≪言葉≫や≪語り口≫が連想されることも少なくないのではなかろうか。たとえば、簡潔で≪断定的≫な語法によって細かい議論を拒絶したり、『悪の枢軸』との対決といった≪単純化≫した論理で、あれかこれかの≪二者択一≫を迫ってみたりする、内外の政治家の言動など。」
個人名こそ出していないが、出さずともおのずと知れる、「小泉純一郎総理大臣」と「ジョージ・ブッシュ大統領」のことを、著者はナチの台頭と重ね合わせて警戒しているのである。
ナチの言語に関しては、特に興味深い新しいものはなかったが、第4章「地下の言語〜ジョークの中のヒトラー」は、そういったナチの支配下における民衆の笑いを紹介していて、そのブラックなユーモアには舌を巻く。たとえば・・・
『ヒトラーが精神病院を訪問した時に、患者に自分が誰であるかを聞くが、誰もが首をかしげて知らないふうを示す。ヒトラーは大きなジェスチャーで、「私はアードルフ・ヒトラーだ。総統である。私には強大な権力があり、神に近いものだ。」それを聞いた患者たちは微笑を浮かべて、互いにあわれみ合うように顔を見合わせた。その中の一人が、ヒトラーの肩をたたいて言った。「実際、われわれも最初はそうだったよ。」』
『あるユダヤ人が苦労の末アメリカ滞在許可証を手に入れ、一年前にニューヨークに亡命していた友人のユダヤ人を訪ねたところ、なんとこの友人の事務所には、ヒトラーの肖像が壁にかかっていた。「一体君はどうしたのかね。頭がおかしくなったのか?何のために、あれがそこにあるのかね?」と尋ねると、友人はこう答えた。「ホームシックにかからないようにするためさ。」』

抑圧下においてこういったブラックジョークは生まれる。ソ連支配下の東ヨーロッパでは、このようなジョークが広まったという。
『スプートニクが人類最初の宇宙飛行で騒がれた頃。「ソ連人が空へ飛んだそうだ。」
「え、みんな?」』

笑いが武器になるということに関しては、大学時代に読んだ、飯沢匡『武器としての笑い』(岩波新書)という本があったのを思い出した。

★★★★
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