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『いずれ我が身も』
(色川武大、中公文庫:2004,3,25)
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色川武大氏の著作を読むのは初めてだが、阿佐田哲也氏の『麻雀放浪記』は読んだことがある。色川氏と阿佐田氏が同一人物だということは知っている。そして既に他界されたことも。
この本は1992年に単行本が出たのだが、今年の3月に文庫版が出た。その書評を読んで購入する気になった。
その中で、今の時期、タイミングでぴったり!と思ったところを引用する。
「そうでなくたって、写真週刊誌の影響か、近頃は、うの目たかの目で、他人のエラーを見張っている奴が多いのだ。そうしてすぐに密告する。いやな世の中になったものだ。エラーをしたものが恐れ入って建前を尊重し、謹慎してしまうのは、俺はエラーをしてないぞ、という顔をしている奴が居るからだ。テレビにも、新聞にも、人の眼に立つところで、そういう奴が多すぎる。一度、うわっと皆の身体をひっぺがして、裸にしてみたら、なんだ、お互い様じゃないか、ということになって、皆の気持ちがすがすがしくなるのではなかろうか。」
どうですか?「未納三兄弟」どころか「未納大家族」となった国会議員が毎日のように新聞紙面を騒がしている今日この頃に、チクリときませんか?これって、甲子園に出ている高校球児が煙草を吸っているところが見つかった、という事件を受けてのコメントです。
テレビ局についてもこんな苦言を。
「勘弁ならないのはテレビ局の人たちで、皆がテレビを見ていると思い込んでいるようなところがある。『最近どうです、うちの局の番組、わりによくなってるでしょ』そんなに見てないよ、というと、『じゃァ、どこの局をみているんですか』どこの局も見ていない、というと相手は喧嘩を売られたような顔をする。感情をこじらせて見ていないのではなくて、ただ、見ていないのだ、ということがなかなか通じにくいのが腹立たしい。」
ごもっとも。
さらに最近(と言っても、当時)の言葉遣いに関してもこう、書いている。
「『———ほんとに?』なんて相槌が、すれちがう娘がいっている。べつに疑っているわけでも、反対しているわけでもなくて、軽い相槌なのだろう。うちのカミさんなども若ぶってよく使うが、どうもあまりゾッとしないね。『こうなんだけど、そう思いません?』なんていいかたもあまり好きじゃないな。どうして女の人は、右へ倣え式に日常語が同じになっちゃうんだろう。」
合掌。

★★★★
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