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『学力があぶない』
(大野晋、上野健璽、岩波新書
:2001,1,19)
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この本が出たのは3年前。すぐには買わなかった。というのも、タイトルがあまりにも通り一遍だったからだ。「〜があぶない」というようなフレーズは、その15年ぐらい前に流行って、もう完全に陳腐化してしまった言葉であると認識していたので、いまさら手に取る気がしなかった。でも大野晋先生も出てるし・・・と思って買ったのだが、最初の章でつまずいて、3年間ほったらかしになっていたのだ。
「大野晋・上野健璽著」とあるが、この本の半分以上は「対談の会話」を納めたものである。また、帯に「緊急出版」とある。緊急出版のものを3年後に読む意味があるのかとも思うが、こういった場合の「緊急出版」モノには「やっつけ仕事」が多いような気もする。この本がそうだとは言わないが、まあ、寄せ集めたキライはある。
第一章は上野氏とバイオリニストの東海千浪氏の対談。第二章、第三章は上野氏が書いている。そして第四章は学習院名誉教授の川嶋優氏と大野氏、第五章は大野氏と上野氏の対談である。ということは、この本のメインは上野氏であって、そこに東海氏、大野氏(プラス川嶋氏)というゲストを迎えたのであって、「大野・上野共著」(しかも大野氏の名前が上)というのは売るための方便のようにも感じる。
苦情ぽいことばかり書いているが、ためになった部分がないこともない。たとえば、バイオリンのレッスンで、練習途中に弾くのをやめると、東海先生(千浪氏の父上)が、
「なぜやめる!演奏会のときだったら途中でやめるわけにはいかんぞ」
と叱るというエピソード。これなどは、われわれアナウンサーも同じである。放送の途中で、失敗したから読むのをやめたりすることはできないのである。先年、子どもの保育園の運動会の紅白リレーを見ていた時のこと、バトンを受け取ったあとに抜かれた子どもが立ち止まってしまい、その場でしゃがみこんで泣き出すということがあった。あとでなぜ立ち止まってしまったのか、聞いた話によると、
「抜かれて負けるのがいやだったから、走るのをやめた」
という、私などには理解できない理由だったのである。子どもの教育の上では、「簡単に投げ出さない根気」「最後までやり遂げる心」を、家庭生活から植えつける必要がある。人生、途中で投げ出すことは出来ないのである。
また、こんなフレーズも。
「間違うことを恐れて、どうしようと思いながら弾いていたら、いい音楽はできない。」
これも「音楽」を「仕事」や「恋愛」「人生」に置き換えても立派に通用する。
また以前、文芸評論家の坪内祐三氏が「最近の若者は、自分が生まれた年より前の歴史に興味がない。」と書いているのを読んだことがあるが、その関連でこんな記述もあった。
「いまの高校生一般には、大学入試の科目にないものは勉強しないという傾向があります。」
これはまさに「やっぱり!」という思いである。ここ10年、特にここ4,5年に入社してきた新入社員のいわゆる「常識の欠落」の大本は、受験制度にひいては教育制度に問題があったのではないか。「教育は国家百年の大計」なのである。そして、個性教育の誤った理解、公私の区別、パブリックの概念といったことなど、教育にとどまらず社会の問題として考えなければいけないことがたくさん書かれた本である。

なんだ、最初に文句言ったけど、こうやって感想を書いてみると、結構タメになる本じゃないか。
ということで、最初は★★だったけど、感想を書いて読み直しているうちに一つ増やして★★★
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