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『僕がテレビ屋サトーです〜名物ディレクター奮戦記・「ビートルズ」から「はじめてのおつかい」まで』
(佐藤孝吉、文藝春秋、 2004,1,30)
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同じ業界の、しかも同じ系列のキー局の大先輩の仕事の上での半生記なので、大変おもしろく、興味深く読めた。文体も、話し言葉・・・というか江戸落語や講談のようなテンポのよさで、気風がよくて心地よい。最近は「与えられた仕事をするだけです」としか答えない若者が多い中で、大きな番組をいくつも担当されたサトーさんは、なぜテレビ局に入ったのか、やりたい仕事は何なのかを、考えるまでもなく「当たり前のこと」として次々体当たりしていく。「強運の星」の下に生まれたと自ら思い込むことが出来るサトーさんの仕事の様子は、「見る前に跳べ」ではなく「考えながら走れ」という言葉に集約されるのではないだろうか。この本に出て来る番組の中で、意識を持ってテレビを見始めたのは「ウルトラクイズ」ぐらいからあとなので、そこあたりから読み始めてもおもしろいだろう。
番組を離れて、サトーさんがドラマ・ディレクターからはずされて失意の中で過ごしたというアフリカでの話はジーンと来る。ただ、惜しむらくは、冒頭の日本テレビ受験の際のエピーソード、昭和33年10月のシーンで、
「前の人の後頭部に五百円玉大の丸禿げがある。それがいけない。」とあるのだが、五百円玉が発行されたのは、たしか昭和57年のはず。昭和33年の10月に五百円玉はない。その時の気持ちに戻って書いているのなら、比喩に出すのもその時代のものを使って欲しかった。時代劇のお侍が腕時計をしているのを見てしまったような”ガッカリ感”が冒頭にあると、ちょっとそのあとの世界に浸りにくい。もう忘れましたが、そのころ流通していた五十円玉は、穴のあいたのと穴のあいてないのと、ともに今の五十円玉よりも相当大きくて、今の五百円玉ぐらいだったのではありませんか?せめてここはその”五十円玉”にしておいて欲しかった。リアリティの問題ですね。いや、大先輩に、恐れ多いことを言いました。こんなことを言ったからは一応データを調べました、独立行政法人・造幣局(大蔵省でも財務省でもないんだ!)のホームページの「データ」という欄を見ると、「五十円玉」は、昭和30年に初めて穴のないもの(無孔)が発行され、昭和33年まで製造。その後、昭和34年からは41年までは穴のある大きい五十円玉(ともにニッケル貨)が発行されていて、翌昭和42年からは、現在も使われている白銅貨の小さい五十円玉が作られています。五百円玉はやはり昭和57年に初めて発行。そうすると、サトーさんが入社試験を受けたまさに昭和33年まで孔のない五十円玉が作られていたのです。でも、たったの4年、作られてないので、あまり流通していなかったのかもしれませんね。発行枚数は21億枚。そうするとけっこう出回っていたのかな。私は子どもの頃にチラッと見たぐらいですが。その「穴なし」と「穴あき」の大きな五十円玉、調べると「直径は25ミリ」でした。現在の小さな五十円玉は、「直径21ミリ」。おや?4ミリの違いか。思ったよりは差がないな。で、五百円玉の直径は・・・「26、5ミリ」!ということは、やはり比喩としては当時流通していた「穴なし五十円玉」を出して欲しかった、とうことで。ひと言で言うとこの本、「自慢話」が詰まった「青春記」なんですね。それを言っちゃあ、見もふたもないけど。でも何より我々若輩者は、結構そういった自慢話を聞きたがっているんですよ。最近はそういった「身になる自慢話」をしてくれる先輩も少なくなってきましたし、「本」だと、キリのいいところで読むのをやめることも出来ますから。そういう意味で、オススメです。

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