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『イラク便り〜復興人道支援
221日の全記録』
(奥克彦・産経新聞社、2004,1,30)
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2003年11月29日、イラクでの復興人道支援の仕事中に何者かに銃撃され死亡した 奥克彦大使が、外務省のホームページで連載していた「イラク便り」を一冊の本にまとめたもの。
2003年4月23日(水)から始まるその「イラク便り」は、イラク戦争の終結宣言(5月1日)より前に、クウェートからバグダッドに向かった奥大使(当時はイラク大使館一等書記官)の様子から始まります。現地での日本人の活動、外務省の人たちがこうやって頑張っていたことを、恥ずかしながら事件が起きるまでまったく知らなかった私にとっては、どの記述も、眼を開かされる思いでいっぱいです。
そして読み進むに従って、運命の11月29日が近づくに従って、胸がキューと締め付けられるようになります。しかし、もちろんのことながら、11月29日に銃撃されて命を落とすことを知らない奥大使の筆は、このイラクの土地に一日も早く平和と安全がもたらされるために、少しでも力になれれば・・・という思いが変わらず綴られています。
最後の記述は2003年11月27日(木)、「感謝祭とラマダン明けの休み」。
「82空挺団の面々も来年3月までには故郷に帰る目処が付いたようで、『あと少しの辛抱で家族に会える。』と皆、遠く離れた家族を思って感謝祭の夜を過ごしていました。」 と記されて途絶えています・・・。82空挺団の面々の気持ちは、また奥大使の気持ちでもあったことでしょう。志半ばで、という無念は如何ばかりかと推察します。
しかしその一方で、こういった犠牲が”利用”されないように気を配る必要も、冷静に考える必要がありそうです。
(追記)
3月7日の読売新聞書評欄でこの「イラク便り」が取り上げられていました。評者はアジア経済研究所研究員の池内恵さん。「著者がイラクでテロによって命を落とした経緯について、いまさら詳述する必要はないだろう。しかし『軍神』扱いしかねない論評や、逆に故人の『真意』を推量して自説の根拠とするような論説には、首を傾げたくなることがある。」
とのこと。同感です。また、
「重要なのは、著者がそれぞれの時点での現状認識と判断を、失敗を恐れずに書いていたということだ。ふつうなら行政官というものは、こういった即時の情報公開を避けるものである。」
これも同感です。そういう意味でも奥大使は立派な人だったのだな、と思いました。

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